第12話

 工藤の朝のランニングに付き合い始めてから一週間が過ぎた。この日も工藤は相変わらず校庭を走り、今はそれが終わって2人で教室に向かうところだ。工藤曰くサッカー部の春の大会に出場するレギュラーに一年生は選ばれないが、その代わりに一年生には練習試合に参加するチャンスを与えられるということで、皆必死になっているのだという。

「それでさ、朝ランニングしているところを監督が見たら僕のポイント上がるだろうなぁって思って。」

 ずる賢いと人は言うかもしれないが、レギュラーの地位を何が何でももぎ取りたいであろう工藤からすれば監督の情に訴えかけるのは決して悪手ではない。そう思っているからこそ彼は悪びれる様子もなく言ってのけた。

「でも都合良く見てくれているかなんて分からないだろ?」

 城ヶ崎はそんなに上手くいくのかという疑念から彼に聞いてみた。

「まぁね、でもそれならそれでいいよ。」

 そこで彼は工藤からすればこれはあくまでついでなのだと理解した。初めから見てもらいたいという気持ちが強いわけではなかったのだ。ならいいか、と城ヶ崎は考えを改め、2人は教室に入った。

「おー、城ヶ崎と工藤じゃん。今日も走ってたよな?」

 教室に入るなり瀬良が話しかけてきた。どうやら学校に着いた時に工藤が走っているのを見かけたようだった。

「まぁね、監督へのアピールだよ。」

 工藤は照れ臭そうに右手を頭に当ててみせた。直前までアピールはついでだと言っていたにも関わらずなぜ真逆のことを言うのか城ヶ崎には分からなかった。

「お前、悪い奴だなぁ。」

 冗談混じりに瀬良は工藤と肩を組み楽しげに話し始めた。そしてすぐに彼は城ヶ崎にも話しかける。

「にしても城ヶ崎がいるのは応援部だからか?」

 瀬良に聞かれたが、応援部は依頼内容を他人に話すのはルール違反になっているので単純に友達として練習に付き合っていると答えるべきか悩んでしまった。

「え、えーと……。」

 どう言えばいいか分からず、城ヶ崎が困っていると、すかさず工藤が代わりに答えた。

「うん、僕が城ヶ崎君に依頼したんだ。」

 工藤は何もやましいことは無いというふうにすっぱりと答えた。彼にとっては応援部に頼ることは恥ずかしいという認識はしていないのだと分かり、それが応援部に頼ることへの心理的ハードルを彼が抱えていないというのは城ヶ崎にとって嬉しいことだった。

「へぇ、そうなのか。」

 瀬良は驚いて見せるがただ見ていただけの城ヶ崎は自虐気味に答えてみせた。

「と言っても、俺は何もやってないけどな。」

 城ヶ崎にとってただ見ているだけというのは何もしていないに等しく誇れることなど何も無かった。

「いや、そんなことないよ。いてくれるのが大事なんだ。」

 工藤がフォローしていると感じた城ヶ崎は素直に喜んでいいのか分からなかった。彼は工藤に今後のことについて聞くことにした。

「そういえば、応援っていつまで続ければいいんだ?」

 工藤の練習に付き合い始めてから既に1週間、もう4月下旬となり春の大会のシーズンとなる5月が近づいていた。工藤が参加を狙う練習試合のメンバー発表はいつ頃なのか、城ヶ崎はまだ聞かされていなかった。

「あぁ、それは4月最後の練習日だよ。練習の最後に監督が発表することになってて、今は皆ピリピリしてるよ。」

 笑いながら工藤は話しているが、彼の言う通りメンバー発表ともなれば、バスケ部の前島先輩の時と同じように部員の間で緊張感が高まるのはサッカー部も同じだ。そのような状態で精神的に悩んでしまう生徒の受け皿となるのが応援部の本懐というものなのだが、工藤は何か抱えているようには見えなかった。工藤が何故城ヶ崎に応援を依頼したいのかについて、彼は答えたがらなかったので、改めて聞くような事を城ヶ崎はしなかった。

「じゃあとりあえず俺はそれまで付き合ってればいいんだな?」

 確認のために聞いてみると、それを工藤は肯定した。残りは約1週間、それまでに彼が城ヶ崎に依頼した理由が分かるのか彼には知る由もないが、工藤が話してくれるのを待つしかないとも感じていた。

 そして数日が過ぎ、練習試合に参加するメンバー発表の時が近づいていくなか、城ヶ崎は放課後に部室へ行き、鹿島先輩と2人でグラウンドで練習する野球部の様子を眺めていた。

「で、どうなの? その工藤君は。」

 彼女は興味津々というふうに聞いてくる。どうか、と聞かれてもサッカー部の内部事情に詳しくない彼は答えようがなかった。

「そんなの分かりませんよ。今はあいつをただ見守るだけです。」

 見守ると息巻くのはいいものの、彼にはそれしか出来ないのだ。

「ふーん、かっこいいじゃん。」

 彼女にはその言葉が面白かったのか、からかってきた。彼女にからかわれるのが珍しかったからか、彼は派手に取り乱し、顔を赤くしながら叫んだ。

「ちょ、ちょ、何言ってるんですか!?」

 出会ってからこれまで一度も見せなかったと言える彼の動揺した姿に彼女は腹を抱えて笑った。

「あははっ、城ヶ崎君てそんな顔するんだ!」

 鹿島は初めて見る彼の表情が新鮮に感じたらしく、面白がるのと同時に嬉しそうに見えた。だが人前で恥ずかしがることがあまり無かった彼は興奮気味に彼女に言葉を放っていく。その顔を先ほど以上に赤くなっていた。

「俺だってこんな表情する時くらいありますよ!」

 半ばヤケクソになった彼の姿を見て、また彼女は笑い出した。

「まぁ、冗談はここまでとして。」

「これ冗談だったんですか……。」

 今までの流れを冗談だと言い切られ、もうこの話題に関する会話が終わることに安堵しつつも、好きなように弄ばれた感覚でもあり彼は複雑な心境を抱いていた。しかしそんな彼を置いていくように彼女は話を続ける。

「そういえば分かったの? 工藤君が城ヶ崎君に依頼した理由。」

 その質問を受けてから彼は思考を切り替えた。まだ城ヶ崎にはその答えは出ていないが、1つだけ気になることがあった。

「俺には朝のランニングで監督へのアピールはついでだって言うんですけど、他人にはそれが主な目的だって話すんですよ。」

 これは今日朝のランニング終わりの瀬良との会話で感じた違和感だ。その時は追求はしなかったが、彼の頭に引っかかり続けていた。

「城ヶ崎君とそれ以外で話す内容が真逆ってことね。」

 彼女は窓に背を向け、部室の天井を見上げながら考えているようだったが、意外にも時間をかけなかった。

「私にはなんとなく分かる気がするな、工藤君の気持ち。」

 彼と話したことのない彼女が答えを導き出したことに城ヶ崎は驚きを隠せなかった。一瞬その結論を聞きたくなったが、それは自分で得なければならないと心に決めた手前、楽な道を取ることを躊躇った。

「ま、残りの日数でその答えを得られるといいね。」

 彼女はそう微笑んだが、何を得たのか彼には察することは出来なかった。しかし彼女の微笑みにはどこか寂しさが感じられたことは気づけたのだが、彼はそれを黙っていた。

「それじゃあ次は私の件よ、新しい依頼人が今日来るわ。」

 思いもよらない報告に、一瞬見えた彼女の寂しげな微笑みへの違和感は彼の中から消え失せていた。

「それで、次の依頼人はどんな人なんですか?」

 これまで応援部では部活動に関する悩みだけでなく、千住さんの恋愛相談を担当してきた。次はどんな依頼が来るのか気になっている城ヶ崎は内に秘めたる気持ちを抱きながら彼女から告げられる言葉を待っていた。

「次の依頼人はもうすぐ来ることになってるわ。ま、気長に待ってましょ。」

 その言葉に彼は今日部室に呼ばれた理由がこの依頼主に会うためだと分かった。いずれ来る依頼主を待ちながら、2人は野球部の練習を窓から見ているのだが、城ヶ崎には気になることがあった。それは自分の応援部としての最近の活動についてだ。彼は部活はほどほどに頑張るとしながらも、廃部危機の応援部にわざわざ入部し、工藤の依頼にも怠けることなく応えている。どうして自分がそんなことをしているのかを今更ながらに彼は考えていた。1番の要因としては部長である鹿島茜の存在が大きい。彼女の言葉によって何か彼自身の中で変わっていくものがあると彼は実感していたし、それはこれからもあることだと想像できた。だからこそ彼はこれからも彼女の側にいた方がいいという結論に至った。しかしそこまで考えてまたもや彼の顔は少し赤くなった。これではまるで彼女のことを……彼が動揺している時、部室のドアの開く音がした。振り向いた2人に向かって依頼主であろう来訪者は軽く会釈をした。

「依頼させてもらったサッカー部の白銀翔馬です。」

 白銀と名乗った彼の身長は170センチほど、体格もサッカー部とだけあってがっしりしており、上履きの色から推察するに同学年なのだろうが、短く整えられた銀髪にイケメンの部類に入るであろう端正な顔立ち、大人っぽい目つきから彼が同級生だというのはいささか驚きだった。工藤と同じサッカー部だと名乗る彼を見て城ヶ崎は工藤と同様練習に付き合って欲しい、もしくは応援して欲しいというような依頼なのだと予想していた。

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