第11話
工藤の依頼を受けてから一夜明け、城ヶ崎は普段よりも約30分ほど早く学校に来ていた。春ということもあって気温は丁度良く、少々眠気を感じている以外は快適な朝だと言えた。校門をくぐり、グラウンドへと足を運ぶと、グラウンドの端に沿うように誰かが1人で走っている姿が見えた。目を凝らして見ると、半袖半ズボンの運動着を身にまとった工藤がすでにランニングをしていた。最初は遠くに見えていた彼が、ペースを落とさずに走り続け、城ケ崎に気づくと笑顔で手を振った。手を振り返した彼はグラウンドのネット越しに彼の走る姿をただ見続けた。何か声をかけるわけでもなく、タイムを測るわけでもなく、黙って工藤の走る様子を眺めるのはやはり退屈に感じられ、その証拠に眠気からあくびがでるほどだった。だが応援部にきた依頼である以上彼の願望には応えるべきだと自身に活を入れ、城ケ崎は顔を左右にブンブンと振ってからもう一度工藤の走る姿を眺めた。彼の走るスピードや姿勢は城ケ崎が到着してからも変わることは無く、走るロボットのように見えた。果てしなく長く感じられた30分が過ぎ、登校する生徒も段々と増えてきていた頃に工藤は走るのを止めた。走るロボットと表現したが、さすがに彼も人間なので、はぁ、はぁと息を荒くしながらグラウンドを囲むネットに設けられた出入り口であるネットのカーテンをくぐってきた。
「来てくれてありがとう、城ケ崎君!」
工藤は声だけ聞けば疲労を感じさせない声色で、身体中から汗を流しながら挨拶をしてきた。あれだけ走りながらもいつもの表情を浮かべられるのは、彼の日々の努力の積み重ねの結果なのだろう。それほどまでに彼の努力を純粋に称賛したい気持ちになる城ヶ崎だが、分からないことがあった。
「なぁ工藤、どうして俺に応援を頼んだんだ?」
ふと浮かんだ疑問が口からポロッと出てきていた。ありきたりで、きっと誰もが思うであろう疑問、だがその質問に対して工藤は困り顔を見せた。
「うーん、今はまだ言うの恥ずかしいかなぁ……、言いたくなったら言うよ。」
もしかしたら踏み入れてはならない領域だったのかもしれないと彼は内心後悔していた。露骨に嫌な反応をしたわけではなく、あくまで答えにくいという感じだったので、そこは不幸中の幸いと言えるだろう。城ケ崎はそれ以上の詮索は止め、2人は普段交わすような会話をしながら教室に戻った。
授業が始まってからも、城ケ崎は工藤が質問に答えがらなかった理由を考えていた。だがその答えが思い浮かぶわけでもなく、モヤモヤが心に引っ掛かりながら時間だけが過ぎていき、いつか彼自身が話してくれることを願うばかりだった。そうして一日は過ぎ、放課後になり、鹿島先輩から部活があるという連絡を受けていたので部室に向かった。
部室に入ると鹿島先輩はすでに来ており、ぼんやりと窓からグラウンドの様子を眺めていた。彼女は城ケ崎に気づくといつもの明るい声を発する。
「どう? 友達の応援は?」
彼女はやはりそこが気になるようで、さぞ聞きたそうな雰囲気を醸し出していた。応援部の活動と言ってもただ工藤が走っているところをひたすら見続けるだけなので応援なんて聞こえの良いことは何もしていないのだ。どれだけ取り繕ってその事実は変わることはない。彼は恥ずかしい気持ちを抱きながら答えた。
「いや、そんな大したことはやってませんよ。ただ友達が走ってるの見てるだけですし……。」
正直彼にもなんのためにこんなことをしているのか分からなかった。
「こんなことで良いのかって顔してるわね。」
心を読まれたように彼女に図星を突かれた彼は、彼女がまだ笑みを浮かべていたので、ゆっくりと本音を打ち明けた。
「どうして友達がこんなことを俺に頼んできたのか分からないんです。わざわざ俺に頼む必要なんて無いじゃないですか。」
工藤に頼まれたのが嫌だという訳ではないが、不可解な願望に対する疑問は薄れるどころか深まるばかりだった。なぜなら工藤は城ヶ崎には練習の手伝いをさせる訳でもなく、練習終わりの飲み物を僕に買いに行かせる訳でもなく、ただただ見ているよう頼んだのだ。
「それは私にも分からないわ。でもじっくり付き合っていればいずれ分かるはずよ。」
彼女はそんなことを言うが、決して楽観的というわけでもなく、何か確信めいた考えがあるようだった。それが気になるのだが、それこそ彼が自分で見つけるべき答えなのだろう。
「分かりました、しばらく様子を見てみようと思います。」
城ヶ崎は考えるのを止めて工藤の応援に専念することを決めた。
「城ヶ崎君が今応援してるのってサッカー部の子なんだよね?」
何か思い出したかのように彼女は彼に聞いた。城ヶ崎はどうしてそんな事を聞かれるのか分からなかった。
「はい、そうですけど……。」
彼は窓に近づいて彼女の横に並ぶとグラウンドを眺めた。すると、サッカー部が練習に励んでおり、その中には工藤の姿も見えた。
「あの中に今城ヶ崎君が応援してる子いる?」
ここでようやく城ヶ崎は彼女が聞きたい事を理解した。部長ともあれば今部員が誰の応援をしているのか把握するのは自然の流れだろう。
「あぁ、あの今走っている金髪の子です。」
彼は工藤を指差し、彼の動きに合わせて腕を動かした。
「へぇ、あの子なんだ。」
ふと彼女の横顔を見ると、まるで愛おしいものでも見るかのような目で工藤を目で追っていた。もう一度工藤を見ると、ここからでも分かるほどに必死にボールを追いかけ、汗を流していた。それを見て彼は中学時代の自分を思い出していた。空から照りつける太陽の光、全身から溢れ出した大量の汗が服に染み付くことによる不快感、帽子と頭皮の間で蒸れる感覚、飛び交うチームメイトや監督の声、ハァハァと荒い息を吐く彼自身、その全てが昨日のように思い出せた。それは青春の日々なのであろうが、彼にとっては苦い記憶であり、忘れたくても忘れられない呪いのようなものだった。
「城ヶ崎君?」
ふとした声に彼はハッと我に返った。声の方向を見ると心配そうに彼女が城ヶ崎の顔を覗き込んでいた。
「大丈夫? 顔色悪いよ、具合悪い?」
自分が険しい顔をしていたのだと理解し、それが自分の過去を思い出したためだと一瞬で分かった。他人に心配されるほどに過去を引きずっていることが恥ずかしく、同時に憎くもあった。
「だ、大丈夫です、昔のこと思い出して。」
彼は咄嗟に作り笑いを浮かべて誤魔化そうとした。
「ふーん……それでさ、その子が練習してる姿を見てどう思ったの?」
彼女はそこから彼の詮索をする訳でもなく会話の話題は変わった。彼女の優しさに救われたという安堵と、気を遣わせてしまったかもしれないことへの申し訳なさと気まずさがあったが、それを押さえ込み彼は工藤のことについて話し出した。
「工藤はすごい奴だと思います。努力しているのは確かですし、本気でレギュラーになりたいんだろうなっていうのが伝わってきました。」
努力するのは当然のように思えるが、その難しさを城ヶ崎は自分の経験から分かっているつもりだった。だからこそ工藤を心の底から応援したいと思っている。
「これからも彼の練習には付き合います。」
彼は彼女に告げると、帰るために机に置いた鞄を肩にかけ、部室を出ようとする。
「うん、頑張って。」
そう背中を押すような彼女の声を受けながら彼は部室を後にした。
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