第9話

 千住からの恋愛に関する悩みを鹿島茜が応援してから数日が経ち、城ヶ崎努は彼女の告白の結果がいつ分かるのか内心はらはらしながら過ごしていた。決して応援部に報告しなければならないなどというルールがある訳ではないが、相談を受けた応援部としては結果が気になるのは仕方ないことだろう。結果が知りたいという好奇心と、他人の恋愛を過剰に詮索するべきではないという葛藤が彼の中でぶつかり合っていた。そしてある日の休み時間、ふとスマートフォンの通知が来ていることに気づき確認すると、鹿島からメッセージが来ていた。

『千住さん、フラれちゃったって。』

 文章は簡潔に事実だけを述べる味気ないものだったが、それが彼の心に突き刺さるのは自明と言えた。これでは彼女の努力はなんだったのか、他人事であるにも関わらず彼の心の内ではやるせない虚しさが湧いてきていた。そしてこの事を知って鹿島は彼のあの質問に対してどう答えるのだろうか。それがどうしても気になったが、それを聞く気分にはなれずにそのままスマートフォンをポケットの中へとしまった。

 それから数日が経ち、これからのことを考えるために2人は部室に来ていた。これまでの明るさは薄れており、どこか重苦しい空気が漂っていたまま、城ケ崎は椅子に座り、鹿島は窓の外を眺めながらそれぞれ沈黙していた。そんな空気に耐えるのが辛くなったのか、はたまたついに決意を固めたのか、城ケ崎が口を開いた。

「千住さん、ふられたんですってね……。」

 この状況でこんなストレートに物事を言う城ケ崎は配慮に欠けるなんて言われるのかもしれないが、彼にとって好きな人に振り向いてもらえるよう努力をした彼女に甘い言葉をかけたのは他でもない鹿島だ。だからこそ城ケ崎はその努力が無駄になった彼女のことをどう思っているのか、彼はそれが気になって仕方がなかった。彼の質問に対して彼女は最初微動だにしなかったが、ゆっくりと振り向いてから話し出した。

「城ケ崎君、たしかに千住さんの努力は報われなかったわ、でも無駄なんかじゃない。少なくとも私はそう信じてる。」

 その彼女の言葉は穏やかで、かつ彼女の信念を感じさせると同時に、今日の重苦しい空気を忘れさせてくれるような声色だった。だが今回はそれで全てが片付くような城ヶ崎ではなかった。

「でもそれはあくまで先輩の持論です。だったら好きな彼に振り向いてもらうためにした彼女の努力って何だったんですか? フラれちゃったら意味ないじゃないですか?」

 これは彼に染み付く呪いのようなものから出る言葉だ。努力が報われないことなんてザラだ、しかし彼はそれを酷く嫌悪する。だからこそ自分にできる最大限の努力をしないで生きていくことを彼は決めていたし、実践してきていた。たとえ赤の他人であれ、努力が無駄になったのを目の当たりにするのは彼にとって気分が悪かった。

「城ヶ崎君は努力は報われる、と言うより報われるべきだって思ってるの?」

 これは城ヶ崎が、というより大多数の人間はそう考えているのではないだろうか。

「私ももちろんそう思ってるわ。でも現実はそうはいかない。努力っていうものは自分に自信をくれるけどそれと同時に自分を背中から斬りつける刃物になる可能性もあるものよ。」

 彼女の言うことを彼は完全に理解できていた。それを彼は中学の頃に良くも悪くも嫌というほど味わっていたのだから。

「それに自分の努力が他人の努力を報われないものにしてしまう時だってある。」

 これは特に英明学園においてはよくあることだろう。運動部ともなれば多くの部員の間でレギュラーを狙う争奪戦が始まる。結果としてレギュラーになれなければ、それまでの努力が無駄になるのは無理もない。そしてそれを彼女も理解していることを表情が物語っていると彼は感じていた。

「でもね、たとえ裏切られたとしても無駄なんかにはならないわ。」

 そんな彼の考えを否定するように彼女はもう一度綺麗事を真剣な表情で力強く語った。

「努力を無駄にするのは周りじゃない、自分自身よ。どんな努力も報われない可能性はあるわ、それでもね、無駄にはならない。だって目標に向かって頑張ることは尊いものだから。それまでの努力をこれからの人生に活かすことだってできるのよ。」

 中学の野球部でのトラウマを抱えている彼にとってその一言は突如差し伸べられた救いの手のようなものでありながら、自分を叱咤激励するものでもあった。言い換えるならば彼の閉ざされた心に差し込む一筋の光だった。彼のミスで重要な試合に負けた時、自身に向けられた視線に彼は耐えることが出来なかった。月日が経っても罪の意識は消えることが無く、今でも彼の心を蝕んでいるのだが、最早その状態に慣れてしまっていた。その経験から、努力が必ずしも自分を助けてくれるものではなく、無情にも裏切ってくることをこれでもかと体感した彼にとって、彼女の一言で何かが揺り動かされるのを実感していた。

「さ、終わったことよりもこれからのことに目を向けましょ。どうやって依頼人を見つける?」

 彼女の少し満足げな表情と言葉に我にかえり、彼は思考を切り替えようとする。未だ鹿島の言ったことが頭から離れずにいる彼だがそれを一旦頭の隅に追いやり、これからの部活について考えることにした。これまで入部してから立て続けに2人見つかり、順調にも思えるが、これはまさに偶然の産物だった。これからもこの幸運が続くとは思えなかった2人は案を探り始めた。

「宣伝をしましょう。張り紙ではなく、僕らの言葉で、と言うよりは先輩の言葉ですけど……。」

 城ヶ崎自身はやることが無いため、彼女に全てを押し付けるようになってしまい彼は申し訳なさそうにしていた。

「でも知名度は問題無いって言ってなかった?」

 それを気にしていない様子で以前依頼人を見つけることを考えた時に城ヶ崎が言ったことを覚えていた鹿島は疑問を口にした。

「それはあくまで応援部の存在についてです。今回の宣伝の目的は応援部へ依頼することへの精神的なハードルを下げることです。」

 これまでの応援部の経験を通して色々と考えた城ヶ崎は、現状打破には彼女の声をより多くの生徒に知ってもらう必要があるという結論に至った。それだけ彼女の声が人に与える影響の大きさを彼なりに理解しているためだ。

「私の声でできるかなぁ?」

 不安そうでいる鹿島に自信を持たせるために彼は彼女の目を見た。

「大丈夫です、先輩の声は人を癒す力があるって俺は思ってますから!」

 彼女を勇気づけようと咄嗟に出た言葉だが、キョトンとしている彼女を見ているうちに冷静に考えた城ヶ崎は頬を赤らめ、彼女から目を逸らした。そしてここぞとばかりに鹿島はニヤリと笑みを浮かべながら彼を見つめていた。

「ふーん、城ヶ崎君は私の声をそんなふうに思ってくれてるんだぁ。」

 応援部顧問の佐久間先生を彷彿とさせる鹿島に狼狽えながらも、咳払いをした城ヶ崎は動揺を隠しきれぬままに話を続けた。

「と、とにかく、昼休みに放送を流しましょう。それなら1年生だけでなく、全校生徒に宣伝できます。」

 彼の提案に恐らく前向きである彼女はまた新たな疑問を彼に投げかけた。

「それはそれでいいんだけど、原稿はどうするの?」

 彼女が乗り気なことに安堵しつつも、原稿のことを考えていなかった城ヶ崎はうーん、と唸り声を上げた。彼女に頼りっきりなのも悪いと思い、何もしないよりはマシだと捉え、そこは自分も考えることにした。

「原稿は今から2人で考えましょう。鹿島先輩は何か入れたい言葉や文があれば教えて下さい。」

 城ヶ崎は鞄からノートと細長い形の筆箱を取り出すとパラパラとページをめくり、適当なまっさらなページを開き、シャーペンの芯を出した。そこから2人は時間にしておよそ30分ほど原稿を考えるのだが、恥ずかしさのあまり城ヶ崎は部活が終わるまで鹿島の顔を直視は出来なかった。しかしそのせいで彼は彼女が頬を赤らめている表情を見ることは出来なかった。

 一夜明け、昼休みの時間内における放送許可を得た。教室で昼休みを過ごしていた城ヶ崎は自分が喋る訳でもないというのに並々ならぬ緊張を抱えており、気が気ではなかった。教室内はいつものように友達同士で弁当を食べる者が大半であり、それは彼も例外ではなく、瀬良や工藤と談笑しながらも箸を進めていた。

 (こんなに緊張するのは試合以来かもな。)

 ここで受験当日ではなく試合を思い浮かべるのは彼らしいと言えるが、その自覚は彼には無く、緊張からか彼の足は震おり、これから行われるであろう放送が気になって仕方がなかった。

「ここで、応援部からのお知らせです。」

 来た、と身構えた彼はスピーカーから聞こえる声に集中する。そして、聞き馴染みのある声が流れ始めた。

「皆さんこんにちは、応援部部長の鹿島茜です。私たち応援部は伝えたいことがあります。皆さんは応援部と聞いてどう感じるでしょうか。見ず知らずの他人に応援を頼むのは恥ずかしい、と感じる人は少なくないでしょう。ですがそんなことは決してありません、誰しもが悩みを抱えています。その悩みを打ち明けるのは恥ずかしいことではなく、解消するための手段の1つなのです。悩みは部活動だけには限りません、どんな悩みも我々応援部は受け止めます。話をするだけでも構いません、お気軽に応援部までお越し下さい。私たちは学校生活で悩める皆さんをお待ちしています。」

 何か特別な事を言うわけでもないベタな文章。彼女の声は凛々しく、感情に訴えかけるようでありながらも穏やかという相反する2つの感想の両方を抱くような声色だった。この文章を考えた2人のうちの1人が彼であり、本人は無事に宣伝を終えられたことに安堵した。

「今の、応援部の部長だよな、宣伝?」

「新しい依頼人探しってとこかな?」

 瀬良や工藤はごく当たり前なことを聞いている。それは分かっているのだが、まだ緊張の余韻が残っていた彼はぎこちなく答えるはめになった。

「ま、まぁな、今日は宣伝することになってたんだ……。」

 一番気になっていた生徒の反応はというと聞き流す生徒がほとんどだった。こんなものか、と肩を落とすが、誰か一人にでもこの放送が届く事を心の底から望んでいた。

「鹿島って先輩、良い声してるよなぁ。」

 瀬良が城ヶ崎と同じような事を言うので、彼はそれまでの緊張を紛らわすかのように話し出した。

「そうなんだよ、あの先輩の声はなんていうか、人を元気づける声だって感じがする。」

 それは城ヶ崎の本音であり、だからこそ彼女の言葉は彼の心にも届いたのだろう。

「城ヶ崎もそう感じるのか? 気が合うじゃねぇか。」

 調子に乗り出した瀬良はポンポンと城ヶ崎の肩を叩いた。

 放課後になり、城ヶ崎は応援部の部室に来ていた。彼が到着してから程なくして鹿島が姿を現した。

「緊張したーー!」

 開口一番そう叫んだ彼女に彼はビクッと体を動かし固まった。叫び終えた彼女は気分が晴れたのか、いつも以上に饒舌に喋り出した。

「まさか全校生徒に放送することがあるなんて思いもしなかったなぁ、緊張しちゃった。」

 彼女は笑顔を浮かべているが、まだ恥ずかしさが残っているように見えた。

「お疲れ様です、先輩。俺も教室で聞いてて緊張してましたよ。」

 彼は彼女に労いの言葉を述べた。彼女は落ち着きを取り戻すと、願いを込めるように一言呟いた。

「依頼人、来ると良いね。」

 その一言からは今日の達成感と今後への期待が感じられた。だがもちろん確証は無い、これからはもう依頼人は来ないかもしれない。そうなったとしたら彼ら2人の努力は無駄になるのだろうか。そんなことが脳裏をよぎる城ヶ崎だが、彼女の満ち足りた表情を見てそれを即座に否定する。

 (無駄な努力は無い、か。)

 あの日彼女が言ったその一言を彼女自身は本当に信じているのだと彼は悟ったからだ。トラウマから本人も気付かぬほど奥底で固く閉ざされた心の奥底の殻にヒビが入っていくことを彼はまだボンヤリとしか気づいていない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る