第8話

 記念すべき応援部初活動日から一夜明け、城ヶ崎努は昨日の彼女の前島への話ぶり、そして部活終わりに一瞬だけ見せたあの表情が忘れられずにいた。

 何かモヤモヤとしたものが拭い切れぬまま彼は登校した。

「おはよう! 城ヶ崎。」

 朝だというのにこれほど元気に挨拶ができる人間はそうそういないだろうと彼は考えているが、声の主は案の定瀬良だった。普段から元気な彼だが、今日はいつになく機嫌が良さそうに見えた。

「昨日前島先輩が応援部に来たんだろ? 先輩から紹介してくれてありがとうって連絡来たんだよ。」

 彼が上機嫌である理由が応援部だと知って、何もしていないと謙遜していた彼だが、やはり嬉しさが込み上げてきた。

「また何かあったらいつでも来て下さいって伝えといてくれ。依頼人絶賛募集中だからな。」

 城ヶ崎は誇らしげに胸を張って瀬良に言った。彼を経由して依頼が増えれば応援部としての活動が増えていき、廃部の危機を脱することに近づくと彼は考えていた。1人目が終わったとなると、早速2人目に取り掛かるべきだろう。やはり問題としては依頼人を探すところであり、彼はどうやって見つけようかと頭を悩ませる。

 結局何も思い浮かばずに数日が過ぎた。鹿島からの連絡も来ず、早くも1人目を解決したという高揚感は焦りへと変わっていた今日、彼女から連絡が来た。

『今日2人目の依頼人見つけたから放課後部室来れる?』

 えっ、と声が出たが、城ヶ崎にとってその連絡は喉から手が出るほど欲しがっているものだった。分かりましたと当然のように返信し、放課後になるのを今か今かと待っていた。

 いつもよりも長く感じた授業も終わり、胸の高まりが抑えきれぬ中城ヶ崎は部室へと早歩きで向かった。部室のドアを開けると、そこにはまだ誰もおらずがらんとした部屋が眼前に広がっていた。間に合ったと分かり、とりあえず数ある机の内の1つに鞄を置いた。それにしても彼女が連れてくる依頼主とはどんな人物なのかについての情報が全く無かったので、彼は楽しみにしていた。

 彼が部室に到着してから10分後、2つの足音が彼の耳に入ってきた。特にやることもなく、今日出された課題に取り組んでいた彼はそれが鹿島茜と依頼人のものであることを期待しながらノート類を鞄の中にしまい始める。聞こえてきた足音は大きくなり、応援部部室の前で最も大きな音を立てたかと思うと、ドアのガラス部分越しに彼女の顔が見えた。そしてガラガラという聞き慣れた開閉音と共に応援部部長である鹿島茜は嬉々とした表情で入ってきた。

「こんにちは、城ヶ崎君。」

 開口一番に挨拶をしてきた彼女の後ろには部室をきょろきょろと見回す見知らぬ女子生徒が彼女の後ろにピタリとくっついて入ってきた。

「紹介するね、彼女が今回の依頼人、私と同じ2年生の千住千尋さんよ。」

 そう紹介された彼女は銀色の縁の眼鏡をかけ、ストレートの黒髪を肩まで伸ばしており、上級生にしては童顔であり、身長も低かった。そして緊張した面持ちで椅子に座った。

「彼女は何部なんですか?」

 パッと見ただけでは運動部なのかと疑うほど華奢な体をしていた彼女を見て城ヶ崎は千住がどの部活に属するのか気になった。

「彼女は卓球部よ。」

 卓球部と聞いて彼は納得した。卓球はバレーボールやバスケとは違い、身長で有利不利が出るような競技ではないからだ。

「でも今回は部活に関するお悩みじゃないのよね。」

 彼女は前島の相談を受けている時とは違いやけにテンションが高かった。そして城ヶ崎には彼女の言っていることが理解できなかった。

「千住さんは今日恋愛相談に来たのよね。」

 鹿島の言葉にはてなマークが頭の中に沸き続ける城ヶ崎は一瞬固まってしまった。それも無理はなく、応援部は部活動に対する応援しかないと彼は思い込んでいた。思考がようやく追いつき、冷静に考えだした彼は口を開いた。

「恋愛相談ならなぜ応援部に来たんですか? 友達にした方がよっぽど良いんじゃ……。」

「友達に相談するのももちろんアリなんだけど、応援部には依頼主の情報を他の生徒に流さないっていうルールがあるから、相談する人もいるのよね。」

 彼女の説明から恋愛相談を応援部にすることのメリットについては理解したが、彼はそもそも応援部が部活に関する応援だけでなく、今回のような依頼も受けることに驚いていた。

「部活動だけじゃなくて恋愛相談とかもあるんですね。」

 彼としてはそのうような依頼が来るとは思っていなかったようで、未だ戸惑いの気持ちを隠せないでいる。

「応援部は皆の青春の後押しをする部活だからよ。青春は部活動だけじゃないからね。」

 そう言って笑みをこちらへと向けてきた彼女は千住に向き合うように椅子に座り、城ヶ崎も机と椅子を1つずつ鹿島の横につけるように動かして座った。

「それで、どんな恋愛相談なのかな?」

 彼女の目ははつらつとしていたが、前島の時と同様にあの包み込むような声で聞いた。

「じ、実は好きな人が卓球部にいるんです。それでこ、告白しようか迷っていて……。」

 彼女はもじもじしながら言葉を吐き出していく。恋愛などやったことがない城ヶ崎にとって今回の依頼を鹿島がどのように解決するのか分からなかった。

「その卓球部の人ってどんな子なの?」

「周りに気配りが出来る人で他の部員からも慕われています。」

 千住は頬を赤くして彼のことを思いながら話しているように見えた。

「告白するか迷ってるって言ってたけど、どうして?」

 その質問を聞いて城ヶ崎はハッとした。千住の発言の細かい部分を聞き逃さず、気になった部分を拾う彼女はやはり応援部なのだと痛感させられたからだ。千住はゆっくりと口を開いた。

「私以外にもその人のことを好きな友達がいて、その子も告白しようとしているみたいで……。」

 それがわざわざ応援部に依頼する理由なのだろうと城ヶ崎は納得した。

「つまり、その友達と同じ人を好きになっちゃったのか。」

 鹿島は微笑みを浮かべながら、千住を見つめる。彼女はこれを伝えたことで何か枷が外れたかのように話を続ける。

「その子は明るくて、確かに彼と気は合いそうな感じがするんです。でも……。」

 彼女は言葉を詰まらせたかと思うと、弱気に見えた今までとは少し違う雰囲気を纏ったように見えた。

「私も負けたくないって思ったんです。」

 その言葉は力強く、恐らく気の弱いであろう彼女の精一杯を絞り出したかのような告白は彼に、そして彼女の話を真正面から聞き続けていた鹿島に響いたようだった。

「その気持ちはとても大事なものだと思う。だから私たち応援部は全力であなたを応援するわ。」

 鹿島は千住の瞳をしっかりと捉え、今後について語り出した。

「千住さんはその生徒に告白したいのよね。足りないのは勇気かしら。」

 確認するように鹿島は彼女に尋ねた。告白するのはかなりの勇気が必要だというのは恋愛経験が無い城ヶ崎でもわかる、そしてその勇気こそが告白にとって最も必要なものなのであろうということも。

「そうですね、どうしても緊張してしまって……。」

 千住は自分を卑下するように俯いてしまったが、すかさず鹿島がフォローする。

「そりゃそうよ、告白するのに緊張しない人なんていないわ。それに緊張するってことはそれだけあなたが彼のことを好きだっていう証拠だしね。」

 相変わらず彼女は人を励ますのが得意だと彼は思った。昨年度の応援部としての活動が活きているのか、それとも最初からこうなのかは分からないが、応援部と言うに相応しいことは間違いなかった。

「千住さんはその生徒から好かれるために何か変えたことはある?」

「えっと……彼の好みの髪型にしてみたり、積極的に話しかけてみたりしました。」

 彼女は照れながらも自分が彼の気を少しでも引こうと努力したことが述べられた。

「その努力は絶対に無駄にはならないわ。」

 その一言に隣で聞いていた城ヶ崎の心はズキンと痛んだ。中学生の頃のトラウマから努力は虚しいものだと分かっている彼にとって今の鹿島が言った言葉は相手を不幸にする甘い誘惑としか捉えられなかった。それでも今ここで彼女の言葉に反論してしまえば、滞りなく進んでいた千住への応援が台無しになってしまう。反射的に彼女の言葉を否定しそうになるのを必死に堪え、彼はただ沈黙を貫く決意を固め、指でズボンをギュッと力強く摘んだ。

「上手くいくといいのですが……。」

 千住の不安を拭いきれていないようで、まだ彼女は踏ん切りがついていないようだった。それにケジメをつけるように鹿島がさらに言葉を紡ぐ。

「あなたが努力していることは他でもない千住さん自身が一番よく分かっているはずよ。だから自分を信じてあげて。」

 真っ直ぐとした視線、横顔だけ見てる状況でも彼には彼女の表情と言動、そして声色が一切曇りのないものだった。彼女は努力が無駄にならないと本気で信じていることを彼は理解すると、不安が脳裏をよぎる。もしも彼女の告白が失敗してしまったら彼女はなんて千住に声をかけるのか。そんなことを彼が気にしているとも知らずに千住は少しずつ前向きになっていった。

「分かりました、私頑張ります! 彼に告白します!」

 彼女はそう宣言すると、鹿島と城ヶ崎にお礼をして部室を後にした。まだこの件が完全に片付いた訳ではないが応援部として出来ることは終わったと言える。彼女の足音が遠くなって聞こえなくなり、鹿島が椅子から立ち上がった。そして窓の方へと歩き始めたタイミングで彼は質問を投げかけた。

「結構あっさりと終わりましたね。」

 彼女の応援に気をとられていたせいか、簡単に告白する勇気が湧いていたことに城ケ崎は何か違和感を感じていた。それを鹿島はすぐに返答した。

「彼女も言っていたけど、今回必要だったのは勇気よ。それに好きな相手のために精一杯努力したことは話を聞いていて分かったから後は背中をちょんって押せばいいだけ。」

 簡単そうに言う鹿島にそんなものかと疑念を抱いた城ケ崎は千住とのやり取りを思い返す。確かに勇気だけが彼女に足りないものだったが、少し背中を押したくらいで劇的に彼女の内に勇気が湧くものだろうか。考えても分からなかった城ケ崎は続けざまに彼女へ質問した。内容はもちろん鹿島の発言についてだった。

「もし告白が失敗したらどうするんですか? 努力は無駄にならないって、それでも胸を張って言えますか?」

 彼女の動きが止まった気がした。一瞬の静寂、その間に彼は唾をゴクリと飲み込み、彼女からの返答を待っていた。

「私は、努力は無駄にならないって思ってる。この考えが変わることはないわ。」

 城ヶ崎に対して背を向けていた彼女は振り返ると、真剣な眼差しを彼へと向けていた。それは自信に満ち溢れ、彼からの指摘に真っ向から立ち向かう意志が感じられたが、なぜ彼女がここまで自信を持ってそんなことを言えるのか、彼には分からなかった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る