風早静香(本編Ⅰ~本編Ⅳ:第27話直前)


 なん、な、の。

 

 「ですから、人事交流制度自体が、無くなるのです。」

 

 なん、で。

 そこまでして、あの売女を。

 誰が、なんのために。

 

*


 性感覚がおかしくなったのは、いつだったか。

 高校の時? それとも、幼稚園の時?

 

 そんなこと、どうでも、いい。

 

 大学生の時には、もう、わたしは、

 一人の男性では満足できない身体になってた。

 

 男によって、接し方も、持って行き方も、

 大事なところのしまり具合も、ぜんぜん違う。


 肉と魚、コメとパスタ。

 肉だって鶏、豚、牛、

 魚だって鰻、鮪、海老。

 牛ですら、松坂牛と短角牛は別モノ。

 一種類だけで満足できるはずないじゃない。

 

 人だって、人の数だけ、違う。

 そうじゃないの。


 でも、馬鹿な両親の前では、清楚でバカな女を演じないとダメで。

 両方とも、わたしに内緒で不倫してたのに、

 わたしの前では、「謹厳実直な家族観」を押し付ける。

 

 バカバカしい。

 

 なのに、欺瞞だらけの両親からの仕送りがないと、

 わたしは、生きていけない。


 くだらない。

 ほんとうに、くっだらない。


*


 桑原仁。

 田舎出身の、真面目だけが取り柄の、地味な男。

 バカな親どもをダマすには、ちょうどいい存在。

 

 別に、嫌いなわけじゃ、なかった。

 清楚を演じて、豹変しなかったのは、あの男だけ。

 約束の時間は守る。貢物もきちっと贈ってくる。

 

 ほんのちょっとだけ、夢を見させてやろうと。

 本番クリスマス当日に、誘ってやった。

 

 クソみたいに詰まらなかった。

 テクニックとか、そういうモンじゃない。

 まるで、わたしの身体に、興味がないみたいに。

 

 一気に、萎えた。


 ひょっとして、バカにされてるのかと。


 ふざけないで。

 誰が、あんたなんかに。

 

 桑原は、生意気に、大学近くに部屋を借りてた。

 合鍵を騙して作ったとき、いつか、やってやろうと。

 

 あの男のベットに、他の男の跡をつける。

 

 いい。

 ゾクゾクする。

 背徳感はいつでも、スパイスになる。


 まさか、一発目で、バレるなんて。

 

 信じられないものを見るような眼に、

 わたしの中の、消しきれなかったはずの良心が、

 勝手に疼いた。

 

 ふざけないで。

 

 「貴方のことは、最初から、対象外だったの。」

 

 わたしを裏切っていたのは、かしら。

 あんなに丁寧に、あんたの好みで誘ってやったのに。

 

 「だいたい、貴方で、でしょ?

  演技よ、演技。」

 

 唯一無二の、わたしの身体に、関心を持たなかった癖に。

 

 「きっと、わ。」

 

 次の瞬間、

 桑原の拳が、隣の震えていた男の顔面をぶち抜いた。

 わたしの息は、止まってしまった。

 

 桑原が、わたしを振り返ることは、なかった。

 震えが止まると、身体中から、怒りが沸いてきた。

 わたしは、だらしなく伸びた男を捨てて、呪われた部屋を去った。


*


 わたしは、男漁りを整理しはじめた。

 桑原の件がきっかけじゃない。

 役所に勤めるにあたって、身ぎれいなフリをしたかっただけ。


 公務員試験に無事に合格した時、

 わたしは、造り上げた清楚の仮面の出来に満足した。

 

 四年生の終わり頃、

 キャンパス内で、ダサい男達と話し込む桑原を見た。

 

 桑原は、わたしを見ただけで、震えあがった。

 公務員試験も、一流企業への面接も、全て駄目になり、

 サークルにも来なくなって、落ちぶれた男が、目の前にいる。

 

 ざまぁみろ。

 

 「わたしと貴方は、釣り合わないのよ。

  それだけ。」

 

 桑原は、がくがくと震えながら、キャンパスの土に嘔吐した。

 見るに堪えないTシャツを着た男どもに抱きかかえられるようにして、

 わたしの前から、去って行った。

 わたしの中で、桑原の記憶は、なんのためらいもなくデリートされた。


*


 役所勤めは、思ったよりもずっと詰まらなかった。

 なんで、このわたしが、

 こんなクソみたいにバカな奴らに仕えなきゃいけないの。

 

 ただ、公務員の身分には、別の使い方もあった。

 合同コンパで身を隠すには役に立つし、

 縁談も色々舞い込んでくる。

 

 わたしは、忌々しい桑原との恋愛ごっこで身に着けた

 清楚の仮面をかぶり、ネコナデ声を出しながら、

 すこしでも条件のいい結婚相手を漁った。

 

 風早宗次郎。

 地方財閥の御曹司。同大卒。2歳年上。

 

 条件は、悪くなかった。

 なにより、身体の相性がぴったり。

 リードが上手いし、誘い方も、声も甘い。

 これ以上、身体の相性がいい相手はいなかった。

  

 わたしは、いままでのすべての男をデリートし、

 風早家のに、アプローチを始めた。


*


 結婚する前に、気づくべきだった。

 

 宗次郎は、釣った魚に餌をやらぬタイプの男だった。

 わたしを求めなくなり、

 地元でも、東京でも、女漁りを続けていた。

 

 でも、最低限のルールはあった。

 土日に家に帰ってきて、わたしをおざなりに抱く程度だが。

 

 それすらも、なくなった。

 

 「宗次郎が愛人を囲ってる」


 噂は、市内の有力者を、同大卒のネットワークを

 光の速さで駆け巡っていた。

 

 許せ、ない。

 わたしというものがありながら。

 

 興信所を雇うと、売女は、すぐに見つかった。

 高校も出てない、蓮っ葉な、下種な、若さと顔だけの女。


 わたしは、バーのオーナー相手に、

 正式に、複数回に渡って苦情を申し入れた。

 

 バーのオーナーは、売女をクビにした。

 

 わたしは、ほっとした。

 地元で恥を掻かされることだけはなくなった。

 

 でも、その頃には、宗次郎とわたしは、完全な仮面夫婦になった。

 宗次郎は、離れから出てこなくなり、

 わたしのことを、まるで排気ガスのように扱った。

 

 売女のせい、だ。

 あの売女が、宗次郎との関係を終わらせやがった。

 

 許せ、ない。

 絶対に、息の根を止める。

 止めてやる。


 実家の遺産を使った興信所の調査で、

 あの売女が、東京にいることを突き止めた。


 どうやって破滅させてやろうか。

 日々、頭の中でいろいろな手を考えていた頃。

 

 一通のメールに添付された、同窓会の誘い。

 日々の憂さを忘れるには、いい機会だった。

 

 わざわざ東京まで来て、

 相変わらずのマウントの取り合い。

 

 仕事を続けて、出世してる奴もいる。

 わたしより金持ちの男と結婚した奴もいる。

 鼻持ちならない自慢話が止まらない。

 

 つまらない。

 なにも、かもが、クソつまらない。

 

 「どうした、シケた面して。」

 

 高野俊。

 

 御成大の同期で、わたしのの一人だった。

 クリスマスは23日だったと思う。

 

 お互い、別々の相手とも付き合っていたから、

 後腐れがなくて、ちょうど良かった。

 誘い方も、持って行き方もうまくて、

 指の腹の動きに、安心して委ねられた。


 なつかしい。

 まだ、何の憂いもない頃に、戻れたみたいで。

 

 俊と、遊ぶ回数は、増えていった。

 東京で、地元で。

 

 俊は、羽振りが良かった。

 オーダーメイドのインポートブランドに身を固めて、

 山王のデザイナーズマンションに住み、

 逢う時はいつも外資系ホテルのスイートルーム。


 商社といっても、まだ係長なのに。

 

 「金づるがあんだよ。

  派遣先で作ったネットワークのお陰だな。」

 

 連結外の非公開会社で、監査部門が弱いから、

 会社ぐるみで不正をしても、分からないのだと、

 広々としたベットの上で、得意げに言った。

 

 「工作資金にもなるのさ。

  俺が、社内でのし上がるための、な。」

 

 わたしは、聞き流しながら、俊の胸を貪った。


*


 あの売女が勤めていた会社が、破産しそうだという。

 わたしは、密かにほくそ笑んだ。

 露頭に迷う売女の顔に、唾でもかけてやろうか。

 

 だったのに。

 

 「……なんなの、これは……っ。」

 

 怒りの矛先をぶちまける先がなかった。

 メールを迷惑メール欄にぶち込んでも、

 ひとっつも気は晴れなかった。

 

 あの売女が、駿の勤めている商社に、

 正社員として、勤めている。

 

 許せない。

 そんなこと、許せるわけがない。


 わたしは、すぐに商社に苦情を入れた。

 受付の女が静かになると、

 電話相手が、勝手に変わった。

 

 「はい。

  お電話替わりました。法務部の岸本ですが。」

 

 法務部。

 そんなもの、見たこともなかった。

 法学部出身なのに。

 

 「大変恐れ入りますが、

  受付との会話はすべて録音されております。

  弊社社員への脅迫まがいの電話は、

  これ限りにして頂きますようお願い申し上げます。」

 

 怒りがふつふつふつふつと沸きあがった。

 なんで。

 なんで、あんな売女が、護られなければならないの。

 

 爆発した怒りをぶつける先が、

 ワイングラスくらいしかなかった。


 許せ、ない。

 絶対に、絶っ対に、許せ、ない。


 四散したワイングラスの欠片を踏みつけると、

 わたしの心は、ほんの少しだけ、昏い喜びに満たされた。

 

*


 俊に、メッセージが届かなくなった。

 通話も、一切、繋がらなくなった。

 

 俊にとって、わたしは、ただの遊びだった。

 もっと若く、綺麗で、スタイルのいい、

 俊好みの女が、スイートルームのベットで腰を振ってる。

 

 宗次郎は、離れすら捨てた。

 別荘から会社に通ってる。

 パーティがあっても、わたしを同伴することは一度もない。

 

 わたしは、鏡を、みなくなった。

 なにもかも、認めたくない。


 許せない。

 

 あの女。

 ぜんぶ、あの売女のせいだ。

 

 必ず。

 必ず、必ず、

 息の根を止めてやる。

 

 わたしは、あの女について書かれた資料を

 穴があくほど見返した。

 

 そして。

 気づいた。

 

 俊が言っていた「ネットワーク」先の会社は、

 あの女が潰した会社の親会社だと。


 俊の話を、聞き逃していなければ、

 もっと、ずっと早く、気づけていたのに。

 俊を使って、あの女を、潰せたのに。

 

 ……いや。

 違う。

 

 おもい、ついた。

 あの売女の足元を、根元から掘り崩し、埋め殺す方法を。

 

 わたしは大学から送られてくる

 卒業生名簿を繰り続け、目当ての人物を見つけ出す。

 

 い、た。

 しかも、逢ったことがある。

 

 わたしは、

 天才、かもしれない。

 

 わたしの復讐は、

 他の男達の手で、完璧に、成し遂げられる。

 

 わたしは、震える手でスマホを握りしめ、

 弁護士事務所への電話番号を入れた。


*

 

 前歯が、欠けた。

 

 失敗した。

 失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した。

 

 なん、で。

 

 「商社側の内部監査に阻まれたそうです。」

 

 なんで。

 どうしてあんな売女を。

 

 「商社側で、明日香さんは、

  社内の有力者との密接な人的ネットワークを作っています。

  真中さんを護っている先方のキーパーソンは、

  門地美麻人事部長代理、そして、桑原仁総務課長と伺っています。」

 

 ………。

 くわばら、ひとし。

 

 記憶から、削除されていた男。

 

 あの、ケチで、クソ詰まんない男が、

 わたしを、妨害してるとでもいうの。

 

 (「わたしと貴方は、釣り合わないのよ。」)


 わたしのたったひとことで、

 震えあがって、キャンパスで吐いたような、あの男が。

 

 なんの、つもりだ。

 わたしに対する、復讐だとでも言うのか。


 ふざけるな。

 わたしを裏切ったのは、あんただろうが。

  

 こんどこそ、叩き潰してやる。

 わたしの姿を見て、一瞬で、灰になればいい。

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