兵頭遊馬(本編Ⅰ:第1話~本編Ⅳ:第26話)


 ……予定が、すべて、狂っておる。

 こんな無様な状況に、なぜ、陥ってしまったのか。

 

 そもそも、買収は一年で済むはずだった。

 

 現役時代の資金工作の証拠を、社内で使いようがない、

 無能と破廉恥の見本のような男に責任を擦り付けて切り捨て、

 合理的に吸収合併し、解散に追い込み、一切合切を消滅させる。

 そのに、橘家の御令嬢を手元に置く。

 

 その、予定だった。

 

 橘家の御令嬢は、予想以上に優秀だった。

 平嶌桃の報告では、出世の可能性を閉ざされたのに、

 社員達を鼓舞し、無茶な命令を執行可能な業務に割り戻し、

 会社の崩壊を、たった一人で防いでいる。

 

 田舎の場末のバーデンダーとして、バカな男共の自慢話に、

 ただ、頷いているだけの、世間知らずの元令嬢が。

 

 関心を、掻き立てられた。

 どこまで、抵抗できるのか、見届けたくなってしまった。

 

 それが、過ちのはじまりだったのかもしれぬ。

 

 橘家の御令嬢は、社長に見放され、

 上司の精神的圧迫を受け続けながら、三年間も抵抗し続けた。

 二十代の、一番貴重な時間を、むざむざと浪費し続けた。

 

 目的は、変わった。

 

 欲しい。

 なんとしても、欲しい。

 

 平嶌桃の進言通り、賞与の構成を変更するよう、助言させた。

 普通の頭では考えられないことを平然とやる馬鹿共に

 心底唖然とさせられたが、成果は、確かに出た。

 

 橘家の御令嬢の心を折る、という目標は達成された。

 他社に移籍する、という決断で。

 

 裏切られた思いがした。

 これまでの闘い方と、名門の矜持から、

 そんな卑怯なことはせんだろうと思っていた。

 

 その一点を以て橘家の御令嬢への関心を喪うには、

 三年間はあまりに長かった。

 

 そして、移籍先の名を聞き、愕然とした。

 

 川上の取引先である一流商社に、

 正社員として、中途採用された。


 高卒の、風俗嬢の、女が、

 我々の、上に、立った。

 

 信じられぬ。

 あってはならぬこと。

 そのようなこと、断じて、許してはならぬ。


 どうにも、しようがなかった。

 

 橘家の御令嬢が退職して一か月、

 退職者が四割を超え、残りも無断欠勤が二割。

 残業手当を巡る訴訟を多数抱え、会社は、文字通り崩壊した。

 吸収合併というよりも、清算に近い処理になってしまった。

 

 現経営陣の、買収のタイミングは、あまりに遅すぎた。

 橘家の御令嬢の力を、侮ったのだ。

 あんなカス男共を送って、一年持つはずもない会社を、

 三年持たせてしまった凄まじい能力を。

 

 まったく分かっていない無能共だ。

 現役の頃なら、こうはならなかったものを。

 

 吸収合併を、一刻も早く急ぐべきだった。

 橘家の御令嬢が、どこまで全貌を掴んでいたか分からんが、

 重大な秘密を持ち去った可能性は十分にあるというのに。

 

 現経営陣は、揉み消しすら、怠っていた。


 資金工作の一部が、明るみに出た。

 会社ごと消去したはずのルートの一部を、

 勝手に使った馬鹿がいた。

 

 よりによって、商社側に。

 

 なぜ向こう側で統制しなかった。

 御成大を出て一流商社にいて、何を考えておるのだ。

 

 「そう、大声を出さんで下さい。

  私とて、向こうのことは良く分かりません。」

 

 役立たずの顧問弁護士は、

 困惑顔を崩さぬまま、意外な提案をした。

 

 「……橘さんの件ですが、

  貴社と先方の人事交流という手段はありえるかと。」

 

 人事交流。

 考えたこともなかった。

 

 確かに、相手先と、人事交流制度はある。

 向こうのほうが格上だが。

 つまり、

 

 「……過去の経緯で脅し上げると?」

 

 「……私は、何も。」

 

 ここまで来てよう言うわ。

 だが、それは、確かに一案だ。

 起死回生の一手やもしれぬ。

 

 それにしても、なぜ顧問弁護士ごときが、

 そんなことを知っておったのか?


 いや、今、気にすることではない。

 後手に廻って、良いことはひとつもないではないか。

 

*


 「人事交流ですが、

  今年は、総務職の若手の女性をお送り頂きたく。」

 

 「やけに具体的ですな。」

 

 「DX化の実践例を、我が社でも共有したく思いましてな。」

 

 「……。

  高野君の件を、そちらで引き取られるなら。」

 

 都合がいいことを。

 そもそも、こんな混乱状態に陥らせたのは、その者のせいだろうに。

 たが、それで済むなら、安い話だ。

 

 すらも、分かっておらんのか。

 橘家の御令嬢が、どれほどのものなのか。


*


 晴天の霹靂。


 「出さない、だと!?」


 専務の、確約まで取ったものが。


 「そ、それどころか、

  今後は、人事交流自体を縮小する、という方針で、

  検討されているとのことですっ。」


 「!

 

  どういうことだっ!

  話が、まるで違うではないか!


  そもそも、貴様らの買収のタイミングが遅すぎたから、

  逃がしてしまったのではないのかっ!」


 言っても、始まらないと分かっていた。

 だが、言わずには、いられなかった。

 

 受話器に叩きつけても、なにも、はじまらぬ。

 そんなことは分かっている。

 それでも。

 

 ……それにしても、人事制度まで動かすとは。

 たかだか高卒の平社員一人を、なぜ、会社ぐるみで守る?


 まさか、専務の意思を覆せるような誰かが、

 あの娘の後ろに立ったとでも言うのか?

 

 だとすれば、橘家のことを


 つぅるるるるる

 

 !

 ……

 

 がちゃっ。

 

 「なんだ。」

 

 「あ、あの、申し訳ありません。

  受付です。」

 

 「どうした。」

 

 「兵頭顧問に、け、警察の方が。」


 ……けい、さつ?

 

 「た、高野俊氏の捜査の件で、

  に、任意で、ご協力を頂きたいと。」

 

 !?

 そ、捜査、だ、とっ!?

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