歓送迎会狂騒曲(本編Ⅱ:第6話)


 うわぁ…。

 

 「明日香ちゃん、もう一杯飲む?」

 「真中さん、なに頼む?」

 

 露骨、すぎる。


 しょうがないんだろう。

 あの子達も、もう少し、スマートに囲い込みたいんだろうな。


 でも、そうもいかなそうだ。


 社内結婚は、価値観が近い人同士でくっつくには、楽なやり方だ。

 条件が離れすぎていると、話をそもそも合わせられないし、

 ギャップに萌える、なんていうのは、カレ〇ノのような菩薩戦略が、

 現実に通じると思ってる連中だけの妄想。

 

 基本、「ここ」に来るような子は、堅実志向だから、

 大半は、冷徹に、戦略的に行動する。

 ……一定確率でホスト狂いとかは出るけれど。


 社内結婚は、社内の、フリーの上澄み同士から、順番に結ばれていく。

 同期からだと、二年以内、広がっても四年くらい。

 一番上澄みは、早くから結婚していることが多いから、

 必然的に、余りものを巡って熾烈な争いになる。

 そして、漁獲高が無くなる前に、外にターゲットを絞っていく。


 そういう社内相場観に

 あっていなかったが、二人、いた。

 

 その一人が、同期、頓宮早苗ちゃん。

 

 同性から見ても、

 狡いくらいちっちゃくて可愛いし、おかしなくらい胸もある。

 狙ってるとしか思えない仕草が、

 理系出身の初心な男性社員を次々転ばせていった。


 でも、早苗ちゃんは、

 田舎の女子高から、女子大に進んだ娘で、要するに社会人デビュー。


 根は恐ろしく真面目で純な子だから、同性からの敵意はわりと少なめ。

 総務のお局様達からも、孫みたいに可愛がられてる。

 まぁ、私達が守ったっていうのもあるけど。

 

 もう一人が、

 早苗ちゃんの上司、桑原仁総務課長。


 ともかくソツがなくて、如才なく、隙を見せない人。

 でも、部下にはとても優しい人。

 こっちから見てても、あの扱いづらいお局大奥をうまく操縦し、

 他セクションとの調整もスムーズに進める。


 超有望株の桑原課長は、当然、社内中の女子社員にマークされている。

 でも、噂になった人は一杯いるけど、付き合うまで至った人がいない。

 

 ネタ枠では、同期の三条さんとデキてるんじゃないかとか言われたりしてた。

 三条さんが顔を真っ赤にして否定したので、かえって噂に拍車をかけていた。

 三条さんの結婚が偽装だと思われるくらいには。

 

 桑原さんは、早苗ちゃんが新人研修の頃、早苗ちゃんの教育係だったらしい。

 それ以来、早苗ちゃんは、

 憧れとも恋心とも言い難いものを秘めながら、健気に仕事をしていた。

 20代の社会人でこんな純粋な恋心があっていいのかと思うくらいに。


 当時、早苗ちゃん以外、全員彼氏がいた同期達は、大いに色めき立った。

 でも、私達はおろか、お局様の御英知を結集しても、

 桑原さんの防衛線を突破する術がなかった。


 時間も、足らなかった。

 いまどき古風の極みに過ぎる早苗ちゃんのお母さんは、

 もともと東京に出て仕事をすることすら反対だった。

 24歳までに結婚できなければ、地元で見合いさせる、という約束だったから。

 早苗ちゃんは、恋愛経験値がほぼゼロなのに。


 なにより、桑原さんが、異常なまでに鈍感すぎた。

 職場の直属の上司と部下だったことも、早苗ちゃんには不幸だった。

 仕事に集中する桑原さんの邪魔ができるほど、

 早苗ちゃんの心は、強くなかった。

 

 早苗ちゃんが、桑原さんをぎりぎりまで狙わなければ、

 あと一年は早く結婚したと思う。


 早苗ちゃんの結婚相手は、異業種の大手企業に勤めている。

 中学の時、早苗ちゃんの同級生だったらしい。


 体型や姿形はお世辞にも魅力的ではないけれども、

 〇ろく〇カフェの妹パンダに好かれる人みたいによくできた子で、

 累計で三度告白して、三度断られたのに、友人関係を切らさず、

 桑原さんとうまくいくことを応援すらしていた。


 ……本当に早苗ちゃんが桑原さんとうまくいったら、

 狙ったのにな、あの子。


 男子の草食系と女子社員から絶大な支持を集める

 奇跡の存在だった早苗ちゃんが結婚しちゃったので、

 本社内での潜在的な需給バランスは崩れた。

 

 新入社員漁りがひと段落した後で、

 降って沸いたような有望株の登場に、男子社員達が色めくのは当然のこと。

 

 ただ。

 いくらなんでも、いい大人が三人がかりで

 真中さんの周囲を取り囲んでいるのは、どうなんだろう。

 真中さんも、話を丁寧に聞きすぎる。

 うまく躱さないと、やっかまれるだろうに…。

 

 ……しょうが、ない。

 早苗ちゃんからも、声、かけられちゃってるし。

 

 動こうとした時、だった。

 

 「明日香ちゃん。」

 

 うわ。

 総務課の御上臈、馬場さんだ。

 早苗ちゃんと同じ身長149センチしかないのに、男子社員共がモーゼしてる。

 

 「あんたはこっちで呑みなー。」

 

 うわっ。ひとつの説明もなしか。

 男子かい潜って「ぐ」って手を引いたよ馬場さん。

 

 やばい、マジかっこいいぞ御上臈。

 こないだディズ〇ーラ〇ドでちゃんちゃんこ着て

 騒いだ姿を社内報に載せられたばっかりなのに。

 

 あー、男子諸君、哀れ……。

 なにひとつ逆らえなかったなぁ。

 馬場さんに目をつけられたら出張旅費止められるもんね……。


*


 簡単に、接近できると思っていた。

 

 「これは、内緒だがね。

  彼女を専務が受け入れたのは、

  彼女のだよ。」


 橘家の末裔だと。

 堂上家級の家柄の娘だと。

 家業由来の、ささやかな法人運営だったのに、

 家の中に裏切り者が出て、悲惨な運命になったと。


 「監査部が動き出す前に、

  彼女を、に引き込めれば、それで良い。

  そうでなければ、を要する。」


 歓送迎会は、ちょうどいい機会だと思っていた。

 営業の気の早い連中が、

 私欲に塗れた個人的な接点を持とうと焦った動きに出ているが、

 そうではない機会で、ごく、自然な接点を持てる。

 

 逃げ道の少ない半個室に、常務達を

 空いていた、彼女の、前に座る。

 

 真中明日香。

 

 本名。

 橘明日香。

 

 少しだけ切れ長だが、大きな、澄んだ瞳に、

 意思の強そうな光が宿っている。

 正座する背中が伸び、凜とした、清涼な空気を醸しだす。

 

 大和撫子。

 その概念が、ごく自然と、あてはまる。


 ただ、お高く止まっているわけでもなく、

 ごく自然に、左右の総務課の年上の同僚達に、笑顔で頷いている。

 飲み会での印象態度としては、完璧に近い振舞いだ。

 彼女の背景を知らない役員連中を唸らせたのも分かる。


 ……それにしても、やっかいな。

 目の前にいるのに、会話の口火が、切れない。

 ヤチグサカオルがどうとかナツメマサコがどうとか言っている

 口さがない連中を、突破しづらい。


 一人ならなんとかかわしようがあるが、

 三人がかりで昭和トークでブロックされると、入りようがない。

 

 「四家君さぁ、呑んでる?」

 

 うわ。

 総務課のお局筆頭、馬場さんかよ。

 身長だけは頓宮早苗と同じ、あとは全部違う。

 酔っぱらうと絡み酒になるめんどくさい人だ。

 

 「の、呑んでますよ。」

 

 呑んでなどいない。

 対象と、接触すらしてない。

 

 「あんたさぁ、明日香ちゃんに手、出そうとしてんだろ?」

 

 ぐっ……。

 

 目的は、違う。

 意図は、違う。

 断じて。

 

 でも、手段は。

 

 「はは、わっかいねぇ。顔に書いてあんよ。

  あんたで、もう、五人目だよ。」


 ……五、人、目?


 「ったく、いい大人が、雁首揃えて

  明日香ちゃんに群がるってのはどういうもんかね。

  なんかがありそうだけど。あんた知ってる?」

 

 知って、る、だと?

 ……まさか、もう、知られてるのか?

 

 「ま、あたしらにとっちゃ、ただの頼もしい娘だけど。

  しっかり仕事もやるし、言うことも聞くし、話も丁寧だしね。

  早苗ちゃん、名古屋に取られっちゃうしさ、

  そう簡単にゃ、他所の部署に渡さないよ? ははははは。」

 

 人事の当初案では、真中明日香は、

 営業の専門職枠での採用、だったはずなのだ。

 それが、完全な正規職で、なぜか、総務部総務課。

 

 (「彼女のだよ。」)

 

 正規職は実力と経緯からかろうじて分かるが、

 営業部ではなく総務部、それも総務課に配属される理由が分からない。

 

 言ってはなんだが、わが社では、

 間接部門の花形は経営企画部と社長室、秘書室であり、

 前世紀末に財務部に分離されてしまった総務部は、

 必ずしも主流ポストではない。

 

 ……それで言うなら、

 昇進したての桑原さんは、不気味な存在だ。

 仕事はソツがないし、役員達からも気に入られている。

 能力から言えば、本来ならば、彼こそ、社長室長に就くべき人だ。


 30代ではエース級の桑原さんを、

 課長とはいえ、高齢者を養うだけの総務課のような、

 間接部門の後衛セクションでのうのうと過ごさせている人事は、

 正直、理解に苦しむ。

 

 まぁ、うちの人事は昔からおかしかった。

 今更、考えることでもないが。

 

 …それにしても。

 明日香に、全然話しかけられない。

 総務お局トライアングルブロックが鉄壁すぎる。

 

 あの連中は高卒なのに現社長と同期なのをいいことに、

 気に入らないと難癖つけて出張旅費を認定しなくなるので、

 社内では怖いもの知らずに振舞っている。

 

 ううむ…。

 ここでお局の会話が途切れるのを待っていてもしょうがない。

 いったん撤退するしかないな。

 

 

 どさっ

 

 

 ……ん?

 

 「あれ、明日香ちゃん、寝ちゃった実行犯のかね。」

 

 「強そうなのにねぇ。

  まだ一次会でこのざまってのは、だらしないねぇ。」

 

 !

 お、同じことを考えた奴がいたってことかっ…??

 

 「でも、確かにおかしいねぇ。

  総務の歓迎会では全然大丈夫だったのに。

  ……ひょっとして、あんたたちが睡眠薬でも盛ったのかい?」

 

 !

 ま、まずい。

 身体検査をされたら、犯人にされる。

 なのに。

 

 「まっさかぁ。

  いい大人が、そこまでするわけないよねぇ。」

 

 総務課のお局連中の地獄のような笑い声が、個室内に唱和する。

 嫌な汗が背中を流れ続ける。生きた心地がしない。

 

 「あら。

  明日香ちゃん、寝ちゃい教唆犯ました?」

 

 !

 ど、どうして、門地人事部長代理が。

 常務と一緒に封じ込めた筈なのに。

 

 「あー、美麻ちゃんかー。

  お勤めご苦労さんー。

  あれ、仁ちゃん一応上司は?」

 

 無敵、だ。

 ほんとうに無敵だ、こやつら。

 

 「頓宮さんと話してるのではないかと。

  頓宮さんの歓送会ですから。

  ……明日香ちゃん、だいぶん本格的に寝て計算通りますね。」

 

 「ちょうどさぁ、

  こいつらが睡眠薬を盛ったんじゃないかって

  話してたんだよ。いっそ身体検査でもする?」

 

 !

 ゆ、指をさすなっ!!

 

 「やめときやめときー。

  四家孝雄君にそんな度胸ありゃしないよ。」

 

 た、立ち去りたい。

 一刻もはやく、この場から。


 「……そう思ってんなら、はやくしな。」

 

 ぅっ。

 こ、声に、で、出てた、だと??

 

 「顔に書いてあんの。

  いーから、あっちにお行き。

  誰もあんたがやったって思ってないから。

  ……いまのところ、ね。」

 

 っ!?

 

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