(本編Ⅴ:彼女に振られて女性不信になった僕は、部下のすべてと結ばれる)

第25話


 地方から出て来た、右も左もわからない学生に、

 キラキラした学生生活が得られるはずもないことを、

 誰一人として、教えてくれなかった。

 

 東京出身で学生達。

 都会的なセンス、割りのいいバイト、異性との交遊関係。

 すべてを、既に、手にしていた。

 

 数少ない知人が宗教団体の沼に嵌りこんでいく中で、

 避雷針のように入った勉強系のサークル。

 

 他大学とのジョイントサークルで、遊び慣れしている人が仕切り、

 夏と冬の単位を確保する時だけ、便利にもてはやされ、

 それ以外は、ただ、いないものとして扱われ続ける日々。


 その扱いに、特に不満を感じることもなく、

 単位の確保とアルバイトのみに費やしていた大学2年生の春。


 サークルの後輩に、紹介された。

 他大学の女子、小松原静香さん。

 

 「先輩は地味っすから、

  お互い地方出身者同士で、いいんじゃないっすか。」

 

 公務員試験を目指しているという、

 少し低い声の、地味そうな見た目の女子だった。

 

 確かに、地方出身者同士で、話は、合った。

 東京出身者の遊び方に馴染めないこと、

 交通機関の混雑具合、サークル内でのイベントの進め方への不満。


 彼女が、自分の進路を既に固めていることに、少し、敬意を抱いた。

 公務員用の学校に、別に通っていることも。


 その年の夏。

 

 「貴方のこと、いいと思ってるの。

  付き合ってくれない?」


 小松原さんから、告白された。

 いまにして思えば、告白としては、淡泊すぎた。


 僕の中では、まだ、綾子さんを忘れられなかった。

 でも、忘れるべきだった。

 いけなかった。

 

 「身体の相性ってもんがあるからな。

  いろんな奴と付き合って経験を積んでおくのは、

  将来のためにもなる。」

 

 こんな連中の言い草に、乗るつもりはなかったけれど。


 ふっきるべき、だと。

 綾子さんを。

 初恋を。

 

 「わかった。

  これから、よろしくお願いします。」

 

 「貴方って、そんなところも事務的なのね。

  まぁ、いいけど。」

 

 付き合う、という行為が、分かっていなかったけれど、

 付き合う以上は、誠実に対応すべきだと。

 雑誌も僕なりに研究して、服装、髪型も、似合わないなりに替えた。

 隣にいて、恥ずかしがられないように、なるべく健康的な生活を心がけた。

 

 小松原さんと、時間と場所を指定して落ち合うのは、2か月に一度程度。

 淡泊さを、都会的で軽やかだと、勘違いしていた。

 二人の写真が溜まっていくことが、付き合っている証だと。

 

 小松原さんは、付き合っていることを、

 まわりに話さないように願って来た。

 

 「サークル内恋愛って、めんどくさいの。

  あの人達見れば、分かるでしょ?」

 

 サークル内で、目立つ立場にいたサブリーダー同士が、

 他大学の女子を取り合って壮絶な死闘を演じ、

 空気がギスギスしていた。

 

 僕は、小松原さんの言葉を、納得して受け入れた。

 

 サークル内で、目と目で通じ合っていると思っていた。

 アルバイトは、雑誌が勧める相場を越えたプレゼント代に費消された。

 小松原さんが喜ぶ顔を見て、精神的な慰めを得た。


 「今度は、いつ逢えるの?」


 ひとつ、ひとつ。

 小松原さんの言葉を、真に受けていた。

 

 12月21日。

 少し早いクリスマスデート。

 

 小松原さんは、僕を、求めて来た。


 「身体の相性は、ちゃんと知っておきたいの。

  貴方とは、結婚するつもりなんだから。」

 

 綾子さんへの想いを封じるために

 抑えつけた性欲は、

 僕にとって、簡単に操りがたいものになっていた。

 

 禁じ手が。

 最後の手段が、なくはなかった。


 綾子さんを、想うこと。

 

 心の中で、綾子さんの声を、瞳を、仕草を、身体を、

 できる限り鮮明に想い出す。

 

 そして、下半身への装填が完了したら、

 綾子さんを薄れさせ、目の前の小松原さんに集中する。

 それが、せめてもの誠実さだと、思っていた。


 小松原さんの声色が替わり、満足してきたら、

 あとはただ、その流れに合わせて進む。

 

 これしか、手が、なかった。

 僕が、綾子さんのことを、言い出せるはずもなかった。

 まして、あらゆる手段を使って抑えたを。


 春になると、小松原さんから、合鍵を求められた。

 素直に応じたのは、恋人同士はそういうものだ、という洗脳以外に、

 微かな後ろめたさ、申し訳なさもあったように思う。

 

 就職戦線に身を投じていた、

 3年生の、終わり頃だった。

 

 派手な化粧をするようになった小松原さんとの会話が、

 以前にも増して、かみ合わなくなった。

 僕が行ったことのない場所を、おかしそうに話している。


 人を疑うべきでは、ない。

 人を疑って、良いことはない。

 

 学生食堂で、耳を傾けていると、

 派手になった小松原さんが、誰と付き合っているかを当てあっている。

 その中に、僕の存在はなかった。

 

 問いただすつもりはなかった。

 僕のほうが、自然消滅を狙っていたと思う。

 

 、小松原静香が、

 他の男に、抱かれていなければ。

 

 部屋を、間違えたのかと思った。

 表札を、二度、確認した。

 

 小松原静香は、半裸の身体を、詰まらなそうに弄びながら、

 当然の権利のように、僕に、告げた。

 

 「貴方のことは、だったの。」


 対象、外?

 

 「そ。

  詰まんないんだもの。」

 

 だったら、どうして。

 

 「肩書が欲しいだけに、決まってるでしょ?

  親を騙す写真に、一緒に映ってもらえばいいのよ。

  わざわざ言わせるなんて、ほんっと、鹿。」

 

 ……。

 

 「田舎の男なんて、チョロイもんね。

  ちょっと地味なナリをして、

  適当に話を合わせてあげれば、尻尾を振ってくる。

  揃いも揃って節穴だらけ。馬鹿じゃないの。

 

  だいたい、貴方で、でしょ?

  演技よ、演技。


  きっと、わ。


  いくら貴方がでも、

  それくらい、気づいてんでしょ?」


 僕は、小松原静香ではなく、

 その言いぐさに震えている半裸の間男を殴り倒した。

 その足で、不動産屋に行き、

 他人が泊まれそうにない3畳の一人部屋を契約した。


 役員面接まで進んでいたところも含めて、

 第一志望から第五志望までの就職先を、全て、落とした。

 表情からあらゆる光を喪った僕に、誰が振り向くだろう。

 

 公務員試験の勉強は、まるで手につかなくなった。

 図書館で鉛筆を持つ手が震え、頭に知識が定着しない。


 吐いて、叫び、自己嫌悪に震え、

 手首を切り裂くことを夢見る日々。


 灰色の季節が明けた時、僕には、何一つも残されていなかった。

 先に内定を貰ってはいた、

 必ずしも志望していたわけでない就職先を、選ぶしかなかった。

 

 大学4年生、ゼミ旅行の前。

 僕は、自殺未遂を決行した。


*


 感情を交えず、淡々と、

 事実だけを話すことができたのは、

 明日香さんのお陰だろうと思う。

 

 彼女が、目を潤ませて聞いてくれていたから。

 僕のことを、馬鹿にしないと、分かっていたから。

 

 「……その後、新人研修で砺波さんとお会いしたので、

  女性一般への恐怖心は、だいぶん減ったのですが。」

 

 四年生の後半は、ほとんど男性としか話していなかった。

 女性が視野に入るだけで、身体が、震えてしまっていた。

 ……まぁ、あれはあれで、悪い思い出でもないけれども。

 高田や荻野みたいな奇人変人と接する機会は二度となかったろうし。


 「……あくまで、こちらから見た話です。

  向こうには、向こうの言い分があろうと思います。」

 

 いまなら、言える。

 最初から、付き合うべきではなかった。

 ただ、それだけのこと、だ。

 

 ……それだけの、こと、だった。

 そう、思えるまでに、なんと無駄な時間を過ごしてきたのだろう。

 

 いや。

 明日香さんと、会わなければ。

 僕は、一生、自分を責め続けていたのではないか。

 必要な時に使うことができなかった、

 禁じ手綾子さんの面影を使ってしまった自分を。 

 

 

 (「……決まってるじゃ、ない、ですかっ……。」)



 ああ。

 

 僕の万年雪が、解けはじめたのは、

 あの瞬間、だったんだ。



 「合格、です。」



 は……?

 あの、珠希さん?

 

 「あはは。

  、言ってたじゃないですか、あの時。

  『私は、合格ですか?』 って。」

 

 あ、あぁ。

 うわ。あれもあれで恥ずかしいな、なんだか。

 

 「疑うまでもなかったんですね。

  風早静香は、仁さんと、お姉ちゃんの、敵です。

  ふつつかで不器用で頑固で視野が狭くてめんどくさいお姉ちゃんですが、

  どうか、末永くよろしくお願いします。」

 

 「た、珠希っ!

  あ、貴方、ほ、ほんと、

  ど、どういう神経してるのっ!」

 

 あはは。

 こういう光景、なんか、楽しい。

 

 「じゃあ、もう、これは言えますね。

  惟住さんにへんな入れ知恵をしたのは、風早静香。

  惟住さんは、お姉ちゃんの乗っ取られた会社の

  親会社の顧問弁護士をしてて、そこの顧問に、兵頭遊馬氏。」

 

 ぇ。

 

 あ。

 しま、った。

 

 僕が不覚を思い知らされたのと同時に、

 明日香さんが、口を、小さく開いた。

 

 「……お姉ちゃん、覚えてる?」

 

 「え、ええ。

  お客さんに、その名前の人、いたわ……。」

 

 「髭面の嫌なポマードの匂いがした

  いけすかないおっさん。でしょ?」

 

 「……珠希。」

 

 「お姉ちゃん。」

 

 倹のある表情を見せた明日香さんを、

 珠希さんは、まるで、諭すように。

 

 「わたしは、自分でアルバイトして、給付奨学金で卒業したの。

  の。

  だから、恩を感じるのは、やめて。

  

  ……いいんだよ、お姉ちゃん。

  もう、なにも、後ろめたく感じなくて、いいんだよ。

  いままでほんとうにありがとう、お姉ちゃん。」

 

 珠希さんの声は、優しく、

 明日香さんの声にならない声が、くぐもって聞こえて。

 

 「……そこは、わたしに抱き着いて来るべきじゃないの?

  まったく。」

 

 明日香さんの声にならない嗚咽は、

 僕の胸の中に哀しく、少し甘く響いて、

 やがて、背中に廻した温もりの中へ消えて行った。

 

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