第23話


「こっちはいいから、追ってっ!

 明日香ちゃんを、追うのっ!!

 

 はやくっ!!!」


 刺されそうになってたはずの砺波さんが、

 大声で、僕の足を動かす。

 

 飛び跳ねるように。

 明日香さんの、真っ白な背中を、目で探しながら。

 

 日曜日。

 人影のないオフィス街の公開空地。


 バブル期に勢いで作った石畳と階段が続く道を、

 明日香さんが、軽々と駆けていく。

 

 もう、明日香さんが、視界から、消えかけてしまっている。

 走ったって、追いつくはずはない。


 35歳。

 睡眠不足で、運動も、ぜんぜんしてない。

 足を動かすたびに、息が切れまくってる。

 身体全体が、ストライキを起こしまくっている。

 

 しまらない。

 しまらないけど、追わずにはいられない。

 

 わかった、から。

 いまさら、いろいろ、わかったから。


「あ、明日香さんっ!」


 息、絶え絶えで、

 視界、ギリギリに、捉えているけど、

 ここで、逃がしたら、もう。



「明日香さんっ!

 待ってくださいっ!」



 げほっ!!

 こ、呼吸がっ

 

 うわっ!?

 

 つ、つんのめって、

 階段のっ

 

 


 ぱしっ。

 


「……ぁ。」


 あ、ありゃりゃりゃ……。

 追いかけてるつもりが、

 助け、られてちゃってる。


「……ふふ。

 も、もう、逃げないでくださいね、明日香さん。

 こ、これ以上、貴方を、お、追えません、から。」

 

 ……なんだ、この、

 人として情けなすぎる構図。


 ……明日香さん、顔、真っ赤なままだ。

 手、離さないようにだけ、しないと。


 ……げほっ。

 うあ。痰が肺にきとる。


「……だ、大丈夫、ですか?」


 情けなさの上塗り。

 ほんと、運動しないと……。

 

 ああ。

 涙目になってる姿まで、いとしいだなんて。


「あ、明日香、さん。

 ほんとうに、ありがとうございます。

 また、命を助けて頂きました。」


 まさか、物理的に助けてもらう機会があるとは

 思いもしなかったけれども。

 二人でケニアに赴任したら普通にありそうで怖いわ。


「……。」


 明日香さんは、顔を、真っ赤にしたまま、

 ぴくりとも、動かない。


 明日香さんが、珠希さんが、

 中学の、高校の課外活動の所属先を、隠そうとしたこと。

 そして、


(「だいいち、っての。」)


 荻野は、知っていたこと。



「……はずか、しく、てっ……。」



 なにより。

 僕が、気づくべきだったこと。



(「だいすき。

  えへへ……、だいすきっ……」)


 

 バレーボールの経験だけで、

 あんなに身体が、がっちりホールドされるわけはないから。


「や、野蛮な、

 野蛮な女と、思われ、たらっ……。」


 ああ。

 なんでそんなこと、思うんだろう。


 全身を、真っ赤にして、

 こんなの、ただただ、可愛いだけで、

 どうしようもなくなるじゃないか。


「……引っ越し先ですが、

 本当に、駅を替えなくてよいのですね?」


 可愛すぎて、照れてしまって。

 話を、露骨にそらしてしまう。


「!

 は、は、はいっ!」


「わかりました。

 では、先日お送り頂いた条件を元に、

 こちらで幾つか候補を絞りましたから、

 今日のお勤めが終わったら、一緒に不動産屋に参りましょう。」


「はいっ!!」


 礼儀正しすぎるのも、和事仕込みのせいだろうな。

 分かってしまうと、なんということもない。

 なにもかもが、ただただ、愛らしいだけだ。


 誰もいない街で、

 バブル期に勢いで作って半ば放置された時間式の噴水が、

 水音を立てながら吹きあがっていく。


 あ。

 ……こんな、感情、

 僕から、沸いて、来るんだ。

 

 自然に。

 濡れた目尻の先に浮かぶ解けた笑顔が、

 存在が、ただ、いとしくて。


「ぁ。」


 欲しく、なって。

 明日香さんの、存在を。

 身体中の、細胞が、沸き立つように。

 

 言葉も交わさずに、

 互いの、瞳だけで、近づいて。

 走った後の、汗が、上気していて。


 水音が、少し、大きく聞こえる。


 水しぶきを背に、

 明日香さんは、真っ赤な顔を、少し、俯かせて。

 

 そして。



「おうおうおうー。

 仁よぉ。」



 !?


「イチャイチャすんのは、

 仕事、終わってからにしてくれよぉ?」


 お、お、お、荻野っ。

 って、っていうか。

 

「と、砺波さんは??」


「となみさん?

 だれだ、そりゃ?」


 あ、あぁ。


「うちの上司。

 門地部長代理の旧姓だよ。」


「あーあーあー。あの女傑様かぁ。

 いやもう、お前んとこの委託先のセキュリティ会社が

 きれーに引き取ってったぞ?」


 え。

 いつの、まに。

 

 ……ん。

 ………ん??

 

 ま、さか。

 砺波さん、

 ???

 

 ……やってそう、だ。

 なにもかもが、不自然、すぎるもの。

 日曜のオフィス街に、狙い撃ちで現れてくるなんてのは。


 高野の行動も、短絡的に過ぎる。

 いかな背任がバレそうだとしても、自分で手を出すっていうのが結びつかない。

 おそらく、方々から誘導を掛けて、隙を作ったんだろう。

 砺波さん自身を囮にして、にするために。

 

 ……ほんと、怖いな。


 っていうか、やることが派手すぎる。

 身を危険にしてまでやることじゃないだろうに。

 僕は本気で死にかけましたけれど。明日香さんいなかったらどうなってたか。


「まーまーまー、いーから、

 契約通り、明日香ちゃん、借りるぜ?」


「……二時間だけだぞ。

 午後から不動産、見に行くんだから。」


「ははははは。

 わーってるわーってるわーってる。

 じゃー明日香ちゃん、マジよろしくね?」


「は、はいっ。」


 ……明日香さん、

 スーツ、ちょっと、汚れちゃってない?

 分からないと思うけど。

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