第22話
その週の日曜日。
都内。職場から二駅先。
皇居に近い落ち着いたオフィス街。
「おーおーおー。
久しぶりだなぁ仁よぉ。」
ぜんっぜん、変わってないな。
なんだそのダっサい文字が入った黒のTシャツ。
35歳になって着てんの、ラーメン屋の人くらいだろ。
なんでこれが生きてるのが許されるんだ大手信用調査会社。
「仁こそぜんぜん変わってないわー。
日曜にスーツ着てんの、お前くらいだろ。」
TPO、TPO。
だいたいスーツじゃなくて
オフィスカジュアルのジャケットだぞ?
「スーツ寄りを選ぶ時点でコンサバだっての。」
コンサバって表現は死語にもほどがあるぞ?
ほんと、変わってないなぁ。
ああ、でも。
「いろいろありがとう。」
「おけおけおけ。気にすんなー。
いまからちゃんと返してもらうから。
あー、きみかぁー。
俺、見るのはじめてだけど、
あー、おおぅー、おおおぅーー、
これはマジ上玉SSR、ってかUR級じゃん。
35までガチャ引きを待った甲斐があったってか?」
明日香さんが、ひとことも喋れない。
異世界の、地上に存在してはいけない人物だから。
「何言ってんの荻野。
大概にしろよ。」
つい、学生時代に戻ってしまう。
ひどいことはたくさんあったけど、
ゼミには、悪い思い出はない。
「ほ、ほんとによろしいんでしょうか。
私がセミナー講師なんて。
恥ずかしながら、高卒の中途採用一年目なんですけど。」
真っ白なスーツ。
黒のインナーの王道コントラスト。
貸衣装らしいけれど、何を着ても映えるっていうか。
「あー、いいのいいのいいの。
ほんとにもう、通り一遍なやつだから。
なんつっても相手、ただの学生さんだし。」
そこは多少は気にしろ。
高卒なのに大学生にしていいってのは、どういうレクなんだか。
「もうさー、外注先がマジでクッソみたいなところでさ、
でもあんな不安定な条件じゃ、いい人なんて雇えないだろ?」
「だろ、って言われても、
そっちの業界事情全然知らんぞ。」
まぁ、なんとなくはわかるけど。
隣の庭みたいなところもあるから。
なんで信用調査会社が学生向けのレクしてるのかまったくわからんけど。
「んだからまぁ、これでチャラ?
あ、ちゃんと謝金出すから。
でないと、後ろに控えてるお方に殺されるんでな?」
うし、ろ?
え。
「……砺波、さん?」
お休みなのに?
旦那さんと白金か代官山のカフェにいるような時間でしょうに。
「ふふ。
見に来ちゃった。」
リネン混の淡いカラーのマキシワンピースに、
濃紺のカーディガンを軽く羽織ってるだけなんだけど、
スレンダーな砺波さんは、どこで見ても映える感じ。
30代中頃で全然通用しちゃうよなぁ。
「明日香ちゃんがどんなレクチャーをするか、
見て見たくなったのよ。」
うわ。意地悪なこと言ってる。
「マニュアル通りに喋るだけでしょ?」
「君ならそうしそうね。
学生さん、寝ちゃうかも。」
うあ。
……否定、できない。
「あー、あー、仁よぉ。
ちょーっと明日香ちゃん借りるわ。」
は?
「契約書とか、段取りとか、いろいろあんのよ。
手は出さねぇから安心しろー。」
お前の存在自体に
安心する余地が一ミクロンもないわ。
「ははははは。俺も子どもいるんだわー。
だいいち、手出ししたら殺されるっての。
んじゃ、明日香ちゃん、こっち来てなー。」
「は、はいっ。」
あんなのが、子ども、いるんだよなぁ……。
ぱぱーって呼ばれてるってのがほんと、信じられん。
「あれが荻野君?
ずいぶん面白そうな子ね。」
相当おかしいですよ、あれは。
どうしてちゃんと社会人やってられるのかが不思議で。
「器用な子なのね。
あの子、ウチを受けてくれたら、採ったと思う。」
は?
「ああいう子はね、2~3年に1人くらいは欲しいのよ。
いい感じで攪乱してくれるから。
それこそ、ナイロビ支社長とかには向いてるわ。」
あぁ……。
なんか、わからないでもない。
明日ガンジス川に落としても、
明後日にはインド人と笑って飯食ってそうな奴だ。
「……また、君を利用しちゃったな。」
ん?
あぁ。
「なんとなくは、分かってましたから。」
高野氏の件。
最初に、鳴沢さんを紹介したあたりから。
「正直言うとね、決定的な証拠がなかったの。
監査部を本気で動かしたら、それこそ後に引けなくなる。
高野君は、滝沢専務のお気に入りだったからね。」
え。
そう、なんですか。
それは、完全な初耳。
「学閥よ。
性格もあったけど。」
あぁ、なるほど。
滝沢専務、確か御成大だっけ。
「実績はあったし、
海外駐在も、語学も、一見危なげなく見える。
次か、次の次の本社営業部の課長級、ほとんど内定してたの。
そうなったら、もう、無理だった。
一回、握りつぶされてたから。
ちゃんとした子達が、辞めちゃうところだったの。」
……なるほど。
しかし、それを聞かせてる、ということは。
「……明日香さんに、関係がある、と。」
「そうね。
君が会いたくないだろう人の話もね。」
……やっぱり、知ってたか。
まぁ、そりゃそうか。
「ふふ。
案外落ち着いてるのね。」
……かも、しれない。
最近、いろいろ、ありすぎたから麻痺してる。
「それで、夜の生活はどうなの?」
え。
そんなことまで聞きますか?
「大事よ?
重要人物の出産育児休暇のスケジュールは、
事前に知っておきたいもの。」
なんだそりゃ……。
ん、
あれ?
「僕が休むことになってます?」
「あら。
君なら、普通にイクメンをやれそうだけど?」
うわ。
考えたこともなかったな、そんなの。
でも。
「残念ですが、まだそのような営みは。」
「呑気ねぇ。
明日香ちゃんのこと、調べたんでしょ?」
……まぁ。
「東京の財界人連中でも、
知ってる人は知っちゃってるって感じだったのよ。
ほら、明日香ちゃん、出自が出自でしょう?」
え?
「あら、桑原君ったら、
そんなことを知らないでいたの?
まぁ、それこそ君らしいけど。」
ぁ。
(「わたし、お得意さんなんです。
高校生の頃から通ってますから。」)
……あっ!?
「おーおーおー。
俺のことでも話してたかぁ?」
……お、荻野っ。
空気読まねぇなぁホント。
助かったっちゃ助かったけど。
「まぁ、ちょっとな。」
「……ってか、あいつ、ヤバくね?」
は?
ぇ。
た、たしかに、ヤバそうな奴が、
こっちに向かって、
あ、あれって、
たか、の
「門地ぃぃぃぃっ!!!」
え、
な、んで、
いやっ
「!」
な、ナイフっ!?
こ、こいつ、正気かっ!
「く、桑原君っ!?」
「砺波さん、さがってっ!
荻野、警察をっ!」
ぅぁ。
つい、条件反射で、
前に、出ちゃったけど。
もう若くはないんだよなぁ……。
にしても、こいつ。
なんで、ここが。
どうして、砺波さんを。
「……そうか。そうかよ。
お前ら、よってたかって、俺を、
俺をォォォォォォっ!!」
だ、だめだ。目が血走ってる。
もう理性的説得の段階じゃない。
いまの運動神経で、前に出る意味は微塵もなかった。
死ぬなら、絶好の機会だ。
こいつを殺人犯にできる。
社会から、不要な人物を一人、抹殺することで、
不能な僕が、社会の役に立てる。
いや。
死にたく、ない。
殺されたくない。
せっかく。
せっかく、生きるのが、楽しく
「死ねやぁっ!!!」
っ!!
……ぇ。
それは。
まるで、スローモーションのように。
美しいお手本のように。
海外向けの資料映像のように。
明日香さんが、高野のナイフを交わして肘の下に潜り込み、
少し斜め上に引き上げて懐に入り、
右手で固定して、あざやかな弧を描いて
ずたぁぁんっ!!!
「……ほぇぇぇ。」
荻野が、情けない声を出しているうちに、
明日香さんは、ナイフを武装解除し、
高野の襟をぎゅっと締めて、意識を落とした。
あまりにもナチュラルな、素早すぎる行動に、唖然としていると。
「……っ!!!!」
まるで、
AIにはじめて意識が宿ったように。
白いスーツ姿の明日香さんの顔が、
ゆっくりと朱に染まり、
全身が、真っ赤に染まって。
そして。
「あっ!」
全速力で、走り去っていった。
「桑原君っ!」
っ!?
「こっちはいいから、追ってっ!
明日香ちゃんを、追うのっ!!
はやくっ!!!」
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