(本編Ⅳ:彼女に振られて女性不信になった僕は、部下達の前で過去との決別を開始する)
第19話
(「貴方のこと、いいと思ってるの。」)
嘘、だ。
(「今度は、いつ逢えるの?」)
嘘つき。
(「貴方とは、結婚するつもりなんだから。」)
全部、嘘だったじゃないか。
(「貴方のことは、最初から」)
しず、か……っ!!
*
!?
ぁ……。
……はぁ……
はぁ……。
……夢、か。
なんで、いまさら、こんな夢を、見たんだ??
しばらく、見てなかったのに。
……。
あぁ……。
隣に、いないから、か。
明日香さんが。
情シスが共催してるセキュリティ系イベントの応援出張。
九州北部、3泊4日。
断っても、良かった。
いや、断るべきだったかもしれない。
でも。
同じセクションに、いつまでもいられるわけはない。
明日香さんの、将来を考えれば、
総務課から、離れることも、
正常な人事ルートに戻ることも、当然、視野に入れるべきで。
突然忍び寄る怪しい部長代理。
人事は、いつだって、絆を引き裂きに来る。
頓宮さんが、そうだったように。
組織としては、ごくごく、ふつうのこと。
それを、割り切れなくなるくらいには、
依存して、しまっている。
……はぁ。
まだ、一日しか経ってないのに。
生まれてから、ずっと、ひとりだったのに。
僕は、こんなに、弱かったのか……?
情けないことこの上ない。
……明日香さん、か。
(「大好き、です。
愛してます、ひとしさん。」)
(「……なんか、天使みたいだな、って。」)
どう考えても、ただの錯覚。
それに、依存してしまって、本当にいいのか。
醒めてしまったら、同じように、裏切るんじゃないのか。
……いや。
信じ、たい。
そんなことは、ないと。
……僕に、そんなことを、
信じる、権利が、あるだろうか…。
(「そ、そんなぁっ!!」)
(「つ、次がありますっ!」)
……ふふ。
強い。
あの娘は、ほんとうに、強い。
あはは。
明日香さんの百面相を、思い浮かべるだけで、
気持ちが、しっかりしてきてる。
そうだ。
路は、作らないと、先に拓けない。
当たり前じゃないか。
やらないと。
いまは、一つ一つを、動かしていく時だから。
明日香さんのいないがらんどうな部屋で、
もったりしたPCが無機質に立ち上がる機械音が響く。
明日香さんがいない、今だからこそ、
このPCごと物理的に廃棄する予定だからこそ。
(「……あの娘のこと、調べてないの?」)
片づけて、いく時だ。
ひとつ、ひとつ。
荻野に紹介して貰った興信所からの報告書は、詳細だ。
概ねは想像していた通りだが。
噂の高野俊氏が、こんなところで出てくるとは…。
あやうく見落とすところだった。
……これ、考えようによっては、砺波さん案件だよな。
ひょっとして、最初から繋がることを意識してた?
あの人なら、ふつうにありえそうだから怖い。
……。
それはそれとして、この報告書の形は、ちょっと、違和感がある。
プロの書式にしては、詳細すぎるっていうのもあるけれども、
……。
……ん。
………あれ??
(「……その。
高校まで、ば、バレーボールを、少々。」)
ない。
課外活動のことが、どこにも書いていない。
個々の事案についてはこんなに詳細に書いてるのに。
分からない。
明日香さんの身体能力が、
腕の力の、理由が。
詳細に書いている分だけ、
書いていることと、書いていないことに妙な落差があるんだよな。
よく、ここまで調べたなぁとは思うけど。
調べた。
よく、ここまで、調べた……?
……
まて、よ……?
………。
!?
お、荻野。
あ、あいつ、まさかっ。
*
都内某所。
職場から離れた、ほどほどに奥まったビル街の端にある、
モノトーンのハンフリーボカードが笑っている喫茶店。
「…………。」
グレイマン理論に反してはいるが、
流行からかなり離れた、男モノの紺のスーツを着てる。
まぁ、目立たないといえば目立たない。
場所柄をしっかり弁えてくる感じを演出している。
オフィス街は、土日は、概ね閑散としている。
自然に密談をするには、良い環境ではある。
形式上は、こちらのほうが、顧客だ。
でも、報告書をメールで見れば内容は分かるのに、
リスクを冒して直接コンタクトを取ったのは、理由がある。
……ほぼ、直観だけど。
なんせ、紹介者が、あいつだから。
やることがふざけてるのに、勘だけは良い、やっかいな奴。
皆が5合目を助け合って登っている時に、
一人だけ、先にヘリコプターで頂上に登り、
ダサダサのTシャツによくわからないジャンパーを合わせて、
悪気なく待ってるような奴。
だから。
「……私は、合格ですか。」
紺のスーツ、黒縁の眼鏡。
無表情を貫いていても、振動は伝わってくる。
膝の下で、スツールが、カタっと揺れた。
「……。」
ビンゴ、か。
話す気はないが、行動で雄弁に語ってしまっている。
根が正直な家系なのだろうか。
「詳しすぎました。
明日香さんの情報が。」
こちらが依頼した情報レイヤーは、
せいぜいのところ、明日香さんの実家が破産に至る経緯。
その後、明日香さんが、どこで何をしていたかに関する、大まかな情報。
幼稚園時代までを、詳細に記す必要は、ない。
「優しすぎましたね。
明日香さんに対して。」
淡々と中立的に書いているように見えるが、
明日香さんがこちらと結婚するにあたっての不利な情報は、
あからさまに避けられている。
例えば、業務中の、明日香さんの性的な事情、
(「中には入れさせないようにしてたんですけれど、
……だめ、でした。」)
この証言にあたる部分が、ひとつも、ない。
プロフェッショナルなら、もっと客観的に突き放して、
クライアントが欲しい情報だけを簡潔に書くはずだ。
つまり、目の前にいる人物は、素人。
そして、明日香さんの、関係者だ。
ただ、ここまでだ。
明日香さんと、目の前の人物が、
どういう関係なのか、突き止めきるだけの情報はない。
荻野とどんな関係にあるのかも、わかりようがない。
そして、分かる必要は、ない。
「貴方に、お伝えしたいことは、ただひとつです。
私は、明日香さんと、
結婚を前提としたお付き合いをしています。」
本人にも伝えていない言葉を、
口にしてみると、妙に、しっくりと来る。
27歳の女性の運命を、軽々しく弄ぶべきではない。
(「仁さんがいれば、
子どもなんて、要りません。」)
自分にとって、この運命は、何があっても、逃すべきではない。
弱気になってしまっていいことなど、何一つ、なかったから。
「直截的に申し上げます。
貴方から見て、私と明日香さんの結婚に至る道の、
最大の障害は、何ですか。」
「………。」
考えて、いる。
表情が見えない、黒縁の眼鏡の先で。
ふふ。
明日香さんなら、表情が、くるっくる変わるんだろうな。
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