第15話
……あぁ。
面影を、はっきりと感じる。
鼻筋にも、明るい瞳にも。
遺伝の力とは、かくも強烈なものか。
「……お待たせ致しました。
桑原でございます。」
歳の頃は14~15歳くらいかな。
バイヤスチェックのスカートとニットベスト。
ローファーとスカートの色を合わせてきている。
高級な生地ではないけれど、品の良さを感じさせる。
大人しそうには見えるけれども、
綾子さんと違って、少し、前のめりに頷いている。
意思を前に打ち出すタイプなのかもしれない。
「……沢城栞菜、と申します。
穂波綾子の娘、です。」
会社のロビーで、中学生と逢っていると、何事かと思われるだろうな。
これも説明がしづらい関係だ。
「母が、お世話になっていたと、
お伺いしています。」
……。
エレベータに飛び乗った時から、
覚悟は、できていた。
それ、でも。
「……母は、三か月前に、
他界、致しました。」
……やはり、か。
あの夢は、虫の知らせだったのだろうか。
奔流のように溢れてきそうになるぐちゃぐちゃな感情を、必死に堰き止める。
会社にいること、目の前に中学生がいることも、
心の動きの抑制には役立った。
「……知らぬこととはいえ、
まことにご愁傷様でございます。」
「いえ……。」
……。
似て、いる。
仕草も、指先の動きまで。
綾子さんが、乗り移っているようで。
彼と、結婚したのだろうか。
それとも、違う男と。
……十七年、か。
歳を、取る、わけだ……。
「……こちらを。」
上質な和紙で封じられた手紙が二通と、
花水木をあしらった栞が、一葉。
『桑原 仁 様』
流麗でありながら、繊細な書体。
間違いなく、綾子さんの字、だ。
書道の段、持ってたもんな…。
「四十九日の法要が済んでから、
桑原さんに渡すように、と。」
ああ。
……本当に、しっかりした人だ……。
すべて、貫いたんだ。自分の人生の矜持を。
「桑原さんを探すのに、時間がかかってしまって。
遅れまして、申し訳ありません。」
……しっかりした娘さんだなぁ。
教育、厳しくしてたんだろうな。
大人、だ。
綾子さんは、本当に、大人だったんだ……。
「……お金とか、財産ではないので、
ご期待されていたら、申し訳ありません。」
……あはは。
歳相応な部分があって、助かる。
少しだけ、笑顔になってしまう。
読み、たい。
いますぐにでも、眼を、通したい。
いや。
抑えないと。
四方八方から沸き起こる感情の奔流に、急ごしらえの堰を施し終わってから、
役員に張り付けるような笑顔を、
綾子さんの面影を宿した女子中学生に向ける。
「……大変失礼ですが、
綾子さんが、お亡くなりになって以降、
貴方の……。」
「沢城です。
沢城栞菜、です。」
……あはは。
目の前の少女の名前なんて、ひとっつも入ってなかった。
失礼にもほどがある。……ほんと、どうかしてる。
「……沢城さんのご生活には、
支障はございませんか。」
「……はい。
叔父が、おりますので。」
気丈にふるまっているが、表情の固さは拭えない。
いまできるのは、これくらいだろう。
「私の名刺をお渡しします。
それと、こちらが。」
スマートフォンを取り出し、QRコードを提示する。
女子中学生が、小さく口を開き、声にならない声をあげた。
「お嫌でなければ。」
「いえっ。
……ちょっと、意外だったので。」
はにかむ表情が、本当に綾子さんと二重写しになる。
……さすがに中学生相手にときめきはしないが。
「……あの。」
ん?
「……桑原さんは、ご結婚、されてますか?」
……そういうことに、関心を持つお年頃なのだろうか。
「いえ。」
でも。
「……そうしたい人ならば、おります。」
人の前で、言葉にしてみると、
少し、しっくりくる。
ああ。
結婚。
したいんだな、僕は。
*
「桑原仁様
前略
お元気でしょうか。
働きすぎて、身体を壊してなどいないでしょうか。
この手紙は、栞菜に託すことになるでしょう。
あなたがこの手紙を読む頃には、私はもう、この世にはいないでしょう。
最後の最後まで、月並みだなと思います。
こんな時まで、決まり文句を書いてしまうんですから。
時間が、ありません。
用件だけを、申し上げます。
栞菜のことを、お願いします。
引き取ってくれなどとは申しません。
仁君の子なら、そうして貰ったでしょうが。
ただ、どうか、気にかけて下さい。
あやまった方向に向いた時は、手を引いてあげて下さい。
厚かましいお願いなのは、わかっています。
私の不徳の致すところですが、
あなた以外に、託せる人がいないのです。
仁君。
ずっと。
ずっと、待っていました。
あなたが、私をさらってくれる瞬間を。
あなたの子どもが、欲しかった。
本当に因業で、ふしだらな女ですね?
あなたから、逃げ続けていたのに。
いまわのきわになって、こんなものを投げつけるなんて。
だから、この手紙は、私がえんま様の業火にくべられる時に、
あなたのもとにとどくようにします。
仁君。
どうか、栞菜のことを、おねがいいたします。
かしこ」
*
……
ひどい、人だ。
書体を、崩してまで。
最後の、最後まで、
人を、惑わし続けて。
……
ひとりで、良かった。
この時間に、ここで読んで、よかった。
きっと、僕は、人に見せられない顔をしてるはずだ。
(「あなたから、逃げ続けていたのに。」)
逃げ続けたのは、僕のほうだ。
踏み出すことが、できなかった。
倫理を、世間を、僕自身を、超えることができなかった。
綾子さん自身が、望んでいないと思いたがっていた。
それは、正しく。
そして、完膚亡きまでに、間違っていた。
(「貴方の子どもが、欲しかった。」)
欲しがって、くれていた。
綾子さん、が。
僕、を。
チャンスは、あったはずだ。
綾子さんの動向を、追い続けていれば、
綾子さんの生活を、ずっと、見続けていれば。
そうすべきでないと。
忘れるべきだと、それが人の道として、正しいと。
思い込んでしまっていなければ。
ああ。
……涙なんて、もう二度と、
流れないと思って、た、のに。
……。
(「知りたくて。
なんでも、ぜんぶ、知りたくて。」)
……あは、は。
明日香さんが、正しい。
そうするべき、だった。
あの時、そうするべきだった。
明日香さんのように、真っすぐに、綾子さんを掴みにいくべきだったんだ。
どうして、明日香さんは、
あんなことになったのに、度し難い境遇に陥ったのに、
あんなにも素直で、強くいられるんだろう。
……。
……。
戸惑いは、ある。
新たな火種を作るだけかもしれない。
隠しておいたほうが、お互いにとって幸せなのかもしれない。
でも。
話、そう。
真っすぐ向かって来てくれる明日香さんに、
せめて誠実であるために。
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