(本編Ⅲ:彼女に振られて女性不信になった僕は、部下の前で初恋を想い出に替える)

第13話


 知り合いというには、知りすぎていて。

 友達と呼ぶには、知らな過ぎる。

 

 近しい知人の、兄の、彼女。

 

 3歳年上の、眼鏡の似合う、人だった。

 清楚で、控え目で、口数の少ない人だった。

 

 演技を、疑った。

 本心を、疑った。

 心の裏を、疑った。

 

 撃たれたように。

 身体中に流れてしまった電流を、

 ないものと、思いたがった。

 

 優しい笑顔の人だった。

 少女漫画を、心をときめかせて読んでいた。

 

 穂波綾子さん。

 存在自体が、奇跡のような、人だった。


 たかが知人Bというには、関係は、深すぎた。


 夏の花火。喫茶店。

 薄着の、半袖の白のブラウス。

 外した眼鏡の先に宿る瞳の情熱。

 

 近づけば。

 人を、惑わせて。

 

 (「教えてあげよっか?」)

 

 笑顔で、声で。

 

 (「ふふふ。

   ねぇ、こういうこと、知らないの?」)

 

 仕草で、行動で。

 なにより。



 (「……ひとし、くん……っ。」)



 それ以上。

 進んでは、いけなかった。

 

 想いを、気持ちを、劣情を。

 全力で、抑えつけた。


 ……になったのは、

 そのせい、なのかもしれない。

 

 そうなって、良いわけがなかった。

 それは、わかってるけれど。

 

 

 (「………。」)

 

 

 せめて、幸せそうな顔を、してくれていたら、

 諦めも、ついたはずなのに。


*


 ……ん

 ……ぁ……。

 

 妙な夢を、見たなぁ……。

 十五年以上、前の話なのに。

 

 ……十五年以上、か。

 そりゃ、歳も取るわけだなぁ……。

 

 綾子さんは、結婚してから、地元も離れたから、

 完全に没交渉なんだよな……。

 触れてはいけないもの、

 忘れなければいけないもの、だった、から……。

 

 それにしても、

 いまさら、なんでこんな夢、みたんだろう……。

 

 ……ん?


 「……すぅ……

  すぅ……。」

 

 ……ふふ。

 すっかり、寝てる。

 

 ……

 

 匂いが、ぬくもりが、弾力が。

 とてつもなく安らぐ。


 もちろん、これでは、いけない。

 もっと深い、身体の底からの満ち足りた幸せに、

 誘わないといけない、はずだ。

 

 でも。


 「……ん……っ……。」

 

 ……あは、は。

 人の寝顔、見てるだけでいい、

 っていうのは、本当かもしれない。

 

 隣で息が、聞こえるだけで。

 ささくれだった心のトゲが、抜けていく。

 

 「……。」

 

 一人で生きて、一人で死ぬ。

 つい昨日まで、当たり前だと思っていたのに。

 

 「……。」

 

 髪の通りが、やわらかい。

 手入れが、行き届いている。

 

 北口から持ち込まれたシャンプーの匂いが薫り、

 なんとも形容しがたい満ち足りた気持ちにさせてくれる。

 

 幸福とは、

 こういうことなんだろうか。


 ……ガラでもない。


 ただ。

 そのせいで。

 

 家に人がいる、という状態で

 こういう困り方をするとは……。

 ……明日香さんを起こさないように動かないとなぁ。

 

 昨日シャットダウンしなかったので、

 PC立ち上がる時に音が鳴らないのは助かる。


 荻野からのメールは、と……。

 あぁ。ちゃんとタイトルもぼかしてくれてる。

 あいつ、仕事は抜かりないな。仕事じゃないけど。

 

 どれ、どれ……。

 ……と。

 ……。

 

 

 ……やっぱり、か。

 

 明日香さんがいた会社は、出資先に吸収合併された。

 出資元が現在の役員を追放したかったということなのだろう。


 出資先から派遣した役員も用済みで詰め腹を切らせて終わり。

 財務を悪化させたのも、買収費用を軽減させるためと考えると、

 すべてが一貫する。


 ただ、買収は、想定よりも早かったようだ。

 この一~二か月で、各部署で退職者が一斉に出ている。

 機を見るに聡い人達が多かったということか。

 

 それとも。

 

 

 (「弁護士さんが、身の回りを整理してくれた時、

   前の会社も、紹介してくれて。」)

 


 ……ちょっと、ひっかかってるんだよな。

 ただまぁ、あまり推論を言ってもいけない。


 もう少し、確度の高い情報が欲しいけれども、

 ただ働きでやってもらえる範囲を超えるな。

 やっぱり、自腹を切るしかないよなぁ…。

 

 あ。

 

 「……!?

 

  お、おはようございますっ!!」


 あはは。

 やっぱり、起こしちゃったか。

 

 「も、申し訳ありませんっ!」

 

 ……これも、なんだよなぁ。

 普段から、ちょっと丁寧すぎる。

 上司と部下の関係とはいえ……。

 

 「……お休みの日ですから、

  寝ていらしても良いのですよ?」


 「い、いえっ!」

 

 ……ふふ。

 

 「寝顔を見られると幸せ、というのは、

  本当ですね?」

 

 ……あはは。

 顔、真っ赤だ。

 若々しい薄青のパジャマ姿がなんとも可愛らしい。


*


 「やっと、か。」

 

 ああ。

 

 「砺波さんは?」

 

 知ってる。

 

 「そりゃそうだよな。

  同期で知ってんのは?」

 

 いまのところ、三条だけかな。

 

 「そっか。

  あと1か月、待つって感じか。」

 

 ああ。


 「そのタイミングで引っ越しってとこか?」

 

 ……さすがにな。

 1LDKは、いくらなんでもしんどい。


 「だろうな。

  豊洲にでも越すか?」

 

 馬鹿言うな。

 

 「なんでよ。

  二人とも、うちで働いてんだぞ?」

 

 大震災あったらどうすんだよ。

 ライフラインぜんぶ止まるぞ?

 

 「んなこと普段から考えてるやついねーぞ?

  ほんとかったい奴だなぁ。

  

  真面目な話、通勤距離長くて、

  いいことなんてなんもねぇぞ?」

 

 ……それはまぁ、確かに。

 

 「あーあ。

  ナイロビ、誰かいねぇかなぁ。」

 

 ……こっちが推薦したら、一生恨まれるわ。

 アフリカ方面の立て直しが大事なのは、分かるけど。


 「いっそ夫婦で行くか?」

 

 行けるかっ!!

 そもそも夫婦じゃないっつーの。

 

 「時間の問題じゃね?

  35にもなって、何を躊躇うことがあるんだか。」

 

 ……。

 言えるわけが、ない。

 

 「わかってると思うけど、

  明日香ちゃん、狙われてるからな。」

 

 明日香ちゃん、って。

 三条、いつかセクハラで寝首掻かれるんじゃないかな。

 

 「、交際状況なんて、気にしないぞ。

  平然と乗り越えて襲ってくる。」

 

 ……。

 

 「結婚しててすら、怪しいモンなんだから。

  常務たち、見てるだろ?」

 

 ……我が社、爛れてんねぇ……


 まぁ、そりゃそうか。

 稼ぎも確実だし、共働きにしたい若い子からすれば、

 手元に置きたくなるのは当然だろう。


 ……それに。

 客観的にいって、明日香さんは、可愛らしい。

 

 小さくて可憐な頓宮さんとは違った意味での、

 真っすぐに、ひた向きに目標に向かう可愛さ。

 男からすれば、是が非でも傍におきたくなる。

 

 (「……ひとし、くん……っ。」)

 

 ……は、

 こっちにも、ある。

 止められなくなることも、覚悟しておかないと。

 

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