第11話


 シャワーからあがり、ペラペラのジャージに着替えると、

 真中さんが、ベットのマットレスに座って、

 そわそわしながら、こっちを、じっと待っている。


 化粧をすべて落としているのに、

 髪も肌もツヤが良く、どこか、艶めかしい。

 同世代の男性から見れば、垂涎の的だろう。


 ……期待、されてしまっている。

 これから、その期待を、裏切らなければならないのに。

 

 ……くる、しい。

 辛い。

 哀しい。


 風呂上りなのに、嫌な汗が、止まらない。

 吐き気と息苦しさが、代わる代わる、襲ってくる。


 だめだ。

 向かい合うと、決めたからには。

 こちらからは裏切らないと、覚悟を決めた以上は。

 


 「……結論から、申し上げますと、

  貴方とのお付き合いは、致しかねます。」

 


 ……地球上の全ての生命活動が止まったような、色のない顔。

 こんな顔、させたいわけではなかった。

 最初から、接点を持つべきでは、なかった。

 

 「真中明日香さん。

  貴方のせいでは、ありません。

  

  誰であっても、駄目、なのです。

  

  私は、私では、

  ……子孫を、残せ、ないの、ですから。」


 ……。

 

 

 (「貴方で、でしょ?

   演技よ、演技。」)



 顔も見たことがない女性の告白に、応じてみた。

 新宿の、見知らぬ女性も試した。

 風俗も、試した。

 最先端のED薬も、使ってみた。


 すべて。

 無駄なあがき、だった。

 

 13年間。


 (「35にもなって、結婚できないっていうのはだろう。

   それともお前はか。」)

 

 その通り、なのだ。


 あれ以来。

 どうしようもない、のだ。


 「……。

  そう、ですか。」

 

 悄然とした顔だ。

 告白までした男性が、不能だなんて、聞きたくもなかったろう。

 

 「ですから、応じられないのです。


  幸い、貴方が告白されたことは、私以外、社内では知りません。

  総務部から他の部署への転属申請をしても、

  貴方であれば、どの部署でも歓迎するでしょう。

  入社3か月の試用期間ですから、人事部も

 


 「……勝手に、決めないで下さい。」

 


 ……ぇ?



 「仁さんがいれば、

  子どもなんて、要りません。」



 ……それは、ないだろう。

 こんなに正直に、向き合ったのに。

 超極秘事項を、決死の覚悟で、伝えたのに。


 「子どもなんて、わたし、

  本当に、要らないんです。

  

  そりゃぁ、いないよりは、

  いたほうが楽しそうですけれども、

  それだけです。」


 ……なにを、言ってるのか。

 同情か、詐欺か、馬鹿にしてるのか。

 怒りが、渦巻いてきてしまう。

 

 「……わたし、汚れてますから。」

 

 ……?

 

 「……高校の時、実家が、倒産したんです。

  もともと、危なかったらしんですけれど、

  父が信じてた人が、会社の金を、ゴッソリ持ち逃げして。

  それで、不渡りが出ちゃって。」


 ……。

 

 「借金、返さなくてもいいなんて、

  その時は、なにも、知らなくて。

  できることは、やって。」

 

 ……。

 

 「だから、愛人も、やり、ました。

  中には、入れさせないようにしてたんですけれど、

  ……だめ、でした。」


 ……。

 

 「弁護士さんが、身の回りを整理してくれた時、

  前の会社も、紹介してくれて。

  社長さんは、とてもいい人でした。


  でも。

  いい人って、長続き、しないん、ですね。」


 ……。

 

 「やれることは、全部やったつもりでしたけれど、

  全然、なにも、足らなくて。

  変な人が、入ってきちゃった時、止められなくて。

  

  だから、

  これは、なんだ、

  わたしの、なんだから、当然だ、としか思えなくて。」

 

 ……。

 

 「……

  そしたら、助かって。」

 

 ……?


 「……その時、ひとしさんを、見たんです。

  目の前で、眠っている、ひとしさんを。」


 ……

 

 「……なんか、使だな、って。

  空間が、切り抜かれたみたいで。」

 

 は……?

 ど、どうしてそうなる?

 35歳の疲れ切った鰥夫がどうしてそう見えた?

 別に禿げてもいないぞ? もうじき死ぬ天使の輪っかのほう??


 「……近づきたくて。話しかけたくて。

  でも、話しかけていいような人では、ありえなくて。

  

  それでも、どうしても話しかけたくて。

  ひとこと、ひとことだけでも、話しかけたくて。

  

  ……ずっと、ずっと、

  ずっと、みてたんです。

  ひとしさんの、こと。


  息遣いも、

  歩いているところも、

  走っているところも、

  話しているところも、

  笑っているところも。

 

  知りたくて。

  なんでも、ぜんぶ、知りたくて。 


  家とか、会社とか、乗る電車とか。」


 ……堂々とストーカー宣言をされてしまった。

 立派な犯罪だよ、それは。

 

 「ひとしさん、いつも、寝てて。

  疲れてるんだな、そこだけは同じだな、って思って。

  寝顔を見てるだけで、幸せになれて。

  

  そしたら、その日だけ、起きてて。

  小さい画面で、いっぱい動き回るものが見えて。

  

  なんだろう?

  ゲームかな? みたことないな、って思って。

  

  それで、なんか、自然に、

  ほんとに自然に、話しかけられたんです。」

 

 

 (「そのゲーム、なんですか?」)



 ……確かに、自然だった。

 なにも、裏がないように見えた。

 ストーカーされていたとは、まったく思えなかった。

 

 「そしたら、話しかけてくれて。

  ゲームなんて、やったことなかったけど、

  案内もしてくれて、これは近づくきっかけになる、

  って思って、やってみたら、

  動きがなんか、可愛くて、めちゃくちゃはまっちゃって。」


 ……そこも、ホントなんだ。

 確かに、終点になっても、気づかなかったようだし。

 

 「そしたら、『着きましたよ』って言われて。

  顔をあげたら、ひとしさんが、わたしに、笑ってくれていて。

  心臓が、ほんとに、飛び出るようにドキドキして。」

 

 ……単に乗り過ごした、だけじゃなかったわけか。

 

 「階段のぼっちゃってから、

  しまった、連絡先、聞けなかった、って

  死にたくなるくらい後悔しました。」

 

 ……走っちゃってたもんなぁ。

 

 「それで、がっかりして、

  あぁもう、一生このまま、接点ないのかな、

  いや、またあの電車に乗ればいいか、

  って思ってたら……。」

 

 ……顔、赤くなっちゃってる。

 

 「……お会い、しましたね。青のジャージで。」

 

 「……はぃぃ……。」

 

 本当に、想定してなかったんだろう。

 

 あ。

 それで、こっちの顔を、見ないようにしてたんだ。

 その時にはもう、ストーカーだったんだから。

 

 「だから、どんなひとしさんでも、

  わたしには、いいんです。」

 

 言い、切られた。

 昂然と顔をあげて、真剣そのものの瞳で。


 「……それは、たまたま、

  痴漢から助けたというだけでは?」

 

 「違います。ぜんっぜん違います。

  はっきりいって、あの痴漢に、感謝してます。

  もし、あの電車で、痴漢にあわなければ、

  ひとしさんと縁が繋がることは、一生、なかったんですから。」

 

 それはまぁ、そうだけれども……。

 

 「わかってます。

  わたしだって、よく、わかってます。

  ひとしさんは、わたしには、絶対に届かない人だって。

  

  ……でも、ちょっとだけ、嬉しいです。」

 

 ……ん?

 

 「誰にも言ってないことを、

  みまさんも知らないひとしさんのことを、

  わたしが、知ってるって。」

  

 「……貴方に不利な内容ですが。」

 

 「ぜんっぜん。

  ぜんっぜんですよ。

  ヤリ〇ン性病ばら撒き野郎よりも、

  〇だし強制アフピ飲ませクソ野郎よりも、ずっといいです。」


 ……はしたない言葉を。

 

 「……

 

  わたし、ひとしさんが、好きです。

  大好き、です。」

 

 ……

 ……どうだ、ろう……。

 

 「それは。

  それだけは、信じて下さいますよ、ね……?」



 (「貴方で、でしょ?

   演技よ、演技。」) 



 ……。

 

 

 「貴方は、

  。」



 ……

 ………

 ぶっ!!!!

 

 な、なんてことを聞いてるんだ僕はっ。

 はしたないなんてもんじゃないっ。

 

 「し、失礼。

  てっかいさせ

  

 ……て?

 

 「……!?!?」

 

 ………

 

 だ、だいじな、

 だいじなところに、てが


 ……あ、っ。

 

 

 「……決まってるじゃ、ない、ですかっ……。」

 

 

 ぜ、全身、真っ赤だっ……

 ひ、瞳が、潤み、まくって……

 

 そ、その声は、

 ち、ちょっと、反則、だろう…っ…。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る