第8話

 

 ジャージは、寛容な服だと思う。

 性別、年齢を問わず、とりあえずは、着られる。

 部屋着でもあり、寝間着でもあり、ちょっとした外出着でもある。


 近くのスーパーなら、これを着ればいける、

 一番上質な、とっておきの生地のジャージが、

 スタイルの良い真中さんの身体に、フィットしている。

 こっちが着ても、寂しいオジサンにしかならないのになぁ。

 

 おっと。

 考えてなかったけど、こっちもシャワーしないと。

 社内アウェイ接待で、すっかり疲れてる。

 そもそももうオジサンなんだから、身体をしっかり清めないと。

 

 「では、こちらも失礼しますね。」

 

 「は、はいっ!」

 

 やけに元気よく送り出されたな。

 お酒はもう、抜けたんだろうか。

 

*


 ……ふぅ。

 ほんとは、お風呂に入りたいんだけどなぁ……。

 

 まぁ、いいか。

 明日、休みだし。

 

 あ。

 真中さんの毛が、溝に流れていってる。

 

 ……。

 

 (「、酔い潰れて寝てしまったのは」)

 


 (「タクシー代、出してあげるから。」)

 

 

 ……、睡眠薬を入れた、ってことか。

 誰が? なんのために? 

 

 (「他部署では、明日香ちゃん、しっかり狙われてるから。」)

 

 営業部の男子社員?

 それとも、女子社員?

 

 (「欠点らしい欠点っつったら、

   高卒っていうくらいだけど」)


 既婚者しかいない枯れた総務課にいると、忘れてしまう。

 うちの会社と言えども、飢えた狼と嫉妬深い女狐の群れだから。

 

 ……少しだけ待遇のいい協力会社を、案内したつもりだった。

 こっちの近くに来るとは、露ほども思わなかった。

 余計なことをしたものだと。

 


 (「さん。

  ……やっと、やっと、きてくれた。」)

 


 ……酔った夢の、戯言にしては、

 力が、籠っていた。

 

 

 (「貴方のことは、。」) 

 

 

 ……。

 信じるのは。

 ひとを、信じるのは、もう。


 いや。

 そういう問題ではない。

 真中さんは、僕の、部下だ。


 部下である以上は、きちんと護らないといけない。

 少なくとも、部下ではなくなる日までは。

 

 ……お湯、出しすぎた。

 ボーナス、出たからって……。


*


 あ、れ。

 

 もう、ベットで、寝てるのか。

 

 ……疲れてたもんな。

 しょうが、ない。


 ……邪気のない、整った、安らかな顔だ。

 頓宮さんの旦那さんのような、しっかりした人がいれば……。

 

 ……ほんの、少し。

 ほんとうに、少しだけ。

 

 ……いや。

 考えては、いけない。

 どのみち、そうは、のだから。


*


 (「貴方のことは、

   だったの。」)


 

 大学2年生の春。


 

 向こうから、口説いて来た。

 向こうから、告白をしてきた。

 向こうから、身体を預けてきた。

 

 2年間、付き合った。

 金も、身も、心も。

 能う限り、捧げたつもりだった。

 

 それ、なのに。


 (「貴方で、でしょ?

   演技よ、演技。」)


 ……

 だったら、どう、して。

 

 (「肩書が欲しいだけに、決まってるでしょ?

   わざわざ言わせるなんて、ほんっと、鹿。」)


 ……

 ………


 そんな、ことで。

 を、振り切って、まで。

 すべてを、捧げた、のに。


 ……。


 許せ、ない。

 許せない、許せない。許せない。

 許せない、許せない、許せない、許せない。

 絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に。

 

 ……死に、たい。

 死にたい、死にたい、死にたい。

 死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、

 死ぬべき、死んで当然、死ななければ、なんで死ねない、

 死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、

 死にたい、死にたい、死ねない、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい


 ……信じない。

 信じない、信じない、信じない、信じない、信じない、信じない、信じない。

 絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に。


 絶っ対に。


*


 ………。

 

 ……ん。


 ……ぇ。

 ぉ、重……ぃ?

 

 「……ぁ……っ……。

  そ、そのっ……」

 

 真中、さん?

 ……朝から、顔が、真っ赤だ。

 

 ……って。

 

 「……どうして、ベットで。」

 

 真上に、乗られてるんだけど。

 泣きはらしたような顔なんだけど。 


 「……あ、あの、

  ……な、な、泣いて、らしたので。

  その、そんな顔、しなくて、よくってって……。」

 

 支離、滅裂。

 なにを言ってるか、ぜんぜん、分からない。

 

 ……。

 

 でも。

 

 ……あたた、かい。

 

 人肌が、空気が、

 気持ちが、

 頬を下る涙が。

 

 「……その、門地部長代理から、う、うかがってます。

  ひとしさんが昔、ひ、ひどい裏切られ方をしたって。」

 

 ……砺波さん、なんで、喋ってるかなぁ…。

 極秘事項だと確約したはずなのに。

 

 「……すぐに信じて欲しいとは、思って、ません、から。

  一生かけて、信じて貰いたいですから。

  棺桶に入る時に、信じて貰えれば、十分ですから。」

 

 ぇ。

 

 「……め、め、迷惑ですよね。

  わ、わたしなんて、家も、潰れちゃってますし、

  財産なんて、塵一つもないですし、

  こ、高校しか、出てないですし、

  顔も、身体も、みなさんみたいに」

 

 ぁ。

 

 ……なん、だろう。

 

 

 (「貴方と私は、釣り合わないのよ」)

 

 

 

 ほんとうに、違う。

 ……かも、しれない。

 

 ……この人、が。

 もしか、したら。


 いや。


 でも、

 この人、嘘、だったら。

 その時こそ、だけじゃないか。


 「……おはようございます、真中さん。」

 

 まだ、

 下の名前を呼ぶのは、恥ずかしさがある。

 

 「!

  お、おはようございますっ!」


 あは、は。

 お腹の上に乗っている筋肉質の四肢が、

 命の輝きが、眼がくらむように、眩しい。


 「今日のお昼は、外で、ご飯をと思いますが、

  お付き合い頂けますか?」


 「!!

  は、はいっ! よろこんでっ!」

 

 上に乗ったままで、濡らした頬も拭わぬままに、

 顔一面に浮かべた、心が解けたような満面の笑みが、

 魂の奥底に降り積もる万年雪を溶かしてくれる。

 

 路ができるとは思わない。

 固まり切ったアイスバーンが溶けるとも思えない。

 

 それでも。

 

 許されるのならば。

 もう一度だけ、ほんの少しだけ、

 信じて、みたい。


 目の前の、彼女のことを。

 そして、僕のことを。

 

 


彼女に裏切られ女性不信になった僕は、

ゲームを紹介した部下に溶かされる

 

(本編Ⅱに続く)

 

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