第6話


 「一応言っておくけれど、

  明日香ちゃん、いま、フリーだからね。」

 

 は?

 い、いきなりなんですか、門地人事部長代理。

 

 「ふふ。

  桑原君からは、一生聞かなそうだから。」

 

 そりゃぁまぁ、聞かないですよ。

 コンプライアンスに触れますから。

 

 「律儀ねぇ。

  三条君なんて、入社日の労働条件説明の時に聞いてたわ。」


 ……人事部の課長代理なのに。

 

 「ま、君らしいわ。

  35で奥手なんて、誰も褒めてくれないけど。」

 

 35のセクハラなんて、独房行きまっしぐらでしょう。

 

 「あはは。

  ほんと、君らしい。

  いい加減、学生時分のことは忘れたら?」

 

 

 

 (「貴方のことは、。」)

 

 

 

 ……。

 

 「ついでに言っておくけれど、

  他部署では、明日香ちゃん、しっかり狙われてるから。」

 

 まぁ、そうだろうな。

 27歳。見た目は2~3歳くらい若く見えるし。

 大きな瞳、垢ぬけたスーツとスタイルの良さ。

 所作の美しさに声の良さとくれば、男ウケする要素が揃っている。

 

 「いいの?」

 

 いいって。

 年齢、8つも下ですよ? 見えている世界が違います。

 ……向こうから見れば、最初から、でしょう。

 

 「18歳と10歳ならね。

  35歳と27歳じゃ、大して変わらないわ。

  私から見ると、皆、可愛いこどもよ。」

 

 ……そんな歳じゃないでしょう。

 

 「あはは。お気遣いどうもありがとう。

  それとも、ほんとにお見合いする?

  今年中に結婚しないと、ナイロビ支社長よ?」

  

 「……どこまで本気なんですか、それ。」

 

 「そうね。

  七割くらい、かな?」

 

 ……げげっ。


 「君なら、責任を果たしてくれそうだから。

  死ぬかもだけどね。」

 

 「……あっさり言わないで下さい。」

 

 ……総務畑の人間が行くとこじゃないんだけどなぁ。


*


 臨時の歓送迎会は、どういうわけだか、

 営業主導で、セクション合同でアレンジされてしまった。

 意向確認で断るわけにもいかないから、ちょっと後手に廻った嫌いはある。

 

 「大丈夫ですよ、桑原課長。

  明日香ちゃんには、私がちゃんとついてますからっ。」

 

 小さくて可憐な頓宮さんが、胸をとんっ、と叩いている。

 細やかな仕草がいちいち愛らしい。

 結婚前は全社的に大人気だったからなぁ。

 

 「最後のお勤めですから。」

 

 最後って、名古屋にずっといるわけでもないでしょう。

 旦那さんが東京に戻ったら、また一緒に戻られますよね。

 

 「……課長、そういうところですよ?」

 

 ?

 どういうところ?

 

 「なんでもありません。

  ともかく、明日香ちゃんには、指一本、触れさせません。

  おまかせくださいっ!」

 

 小さくて可憐な頓宮さんが、真剣な表情で、

 びしっと敬礼する姿がおかしくて、思わず笑ってしまった。


*


 うーん。

 35にもなって、素敵なアウェイ感を感じる。

 

 「桑原、お前、公私混同してたのか。」

 

 榛沢常務取締役。

 体育会系出身で、縦社会の住人。

 でっぷりとした身体になったにも関わらず。

 

 正直、うっとおしい。

 普段の業務案件なら別に気にならないが、

 逃げ場のない飲み会の席だと、さすがにキツイ。

 

 っていうか、なんで榛沢常務まで来てるんだか。

 ヒラ社員級の歓送迎会なのに。

 

 「人事部としては、適正な手続きを踏んでおりますし、

  榛沢常務にも、決済印を頂いておりますが。」


 援軍を適切に投入してくれる門地人事部長代理。

 この歳になっても、護られてるってのは実に情けない。

 

 「決済はな。手続き上の瑕疵があったわけじゃない。

  ただ、事前に関係を知らなかったぞ。」


 まで上にあげるわけないじゃん。

 おそロシアのスパイ組織かよ。


 「不適切な関係ではなかったかと。

  最寄り駅が同じ、というだけでは、利害関係者にはなりえません。

  そもそも、真中さんを案内したのは、私です。」


 眉間に刻まれた深い縦皺が、ぴくりと揺れた。


 「門地が、か?」

 

 「ええ。

  ご存知ありませんでした?」

 

 「……門地こそ、どんな関係だ。」

 

 「そうですね。

  申し上げるならば、事前引き抜きでしょうか。

  他社に応募しようとした真中さんと、偶々遭遇致しました。

  それで、我が社の中途採用枠を第一次からアレンジした次第です。」

 

 「一次から、か。」


 ……五百倍くらい、だっけ。

 

 「はい。」

 

 実力、ってことなのか。

 ほんと、凄いんだな、真中さん。

 高卒で書類選考に落ちなかったっていうこと自体が凄いけど。


 「常務の三次枠の方とは、当たっておりませんよ。」

 

 政治家のコネ枠でねじ込まれそうになった子。

 中途採用どころか、新卒枠でも通りそうにない感じの。

 

 「……その話はもういいだろうが。

  こっちだって、好きでやった訳じゃない。」

 

 「存じております。」

 

 あはは。パーフェクトに護られちゃってるな、俺。

 率先して不正をやったばかりのどの口が言えるのか、ってか。

 情けないことこの上ないけど。

 

 「だいたいな、

  お前が35にもなって鰥夫だから悪いんだぞ。」


 うわ。

 この線で砺波さんに勝てないからって、

 変なハラスメントしてきたぞ。

 

 「恐縮です。」

 

 「相手くらいおらんのか。

  紹介ならしてやるぞ。」

 

 汚職政治家かよ。

 常務の紹介なんて絶対嫌だわ。


 「大変光栄ですが、気持ちがない状態では、

  お相手にもご迷惑かと。」

 

 「いい歳して何言っとるんだお前は。

  35にもなって、結婚できないっていうのはだろう。

  それともお前はか。」

 

 ひっさびさに聞いたなこの単語。

 女性の部長代理がいる前で、平然と。

 

 「50過ぎて離婚されてる方はよろしいのでしょうか。」

 

 役員にそこそこいる。

 妻に愛想をつかされた方々が。

 

 「いい歳して、いちいち口答えするな。

  離婚はまだ良いだろうが。

  一度は結婚してるんだからな。」

 

 基準が意味不明だが、理屈が通じないのでどうしようもない。

 まぁ、この方が社長になることはありえないので、

 お勤めと思って大人しく耐えるとしますか。


*


 頓宮さんは、と。

 ……二次会、かな? 若いなぁ。


 「桑原君。」

 

 「あ、門地部長代……」

 

 ぇ。

  

 「ふふ。

  桑原君、だったわね?」

 

 「は、はい。」


 潰れて、る。

 それはもう、鮮やかに。

 

 「タクシー代、出してあげるから。」

 

 ぇっ。

 

 あ、あぁ……。

 これは、確かに、電車、乗れない。

 一次会でこんなに出来上がるって。

 

 「……分かりました。

  お心遣い、ありがとうございます。」

 

 肩に、ずしんと重みが来る。

 運動、してなさすぎだなぁ…。

 

 タクシーは、すぐに捕まえられた。

 せめてもの幸いだ。あと2分載せていたら、腰が抜けてたと思う。

 

 最寄り駅を告げると、もちろん喜ぶ。

 向こうからすれば、化けてくれたわけだから。

 こっちからすれば、電車代の25倍が飛ぶわけだが。

 

 ……ふぅ。

 

 そういえば、横に座るのは、久しぶりだ。

 電車で早く、帰すようになっていたから。

 

 

 (「そのゲーム、なんですか?」)

 

 

 ふふ。

 ほんと、不思議な縁だなぁ。

 

 真中さんにも、頓宮さんみたいな、

 幸せな相手が見つかりますように。

 

 ……

 さすがに、ゲームはできない。

 タクシー内の揺れだと、吐きそう。

 

 ……こっちも、今日は、なんか疲れた。

 ちょっとだけ、寝ようかな……。

 

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