【45】小さな異変(2)
「気持ちは晴れませんけど、私にはやりたいこともたくさんありますから。もう一度自分のお店も持ちたいし、今はナバナと色々計画しているところですし」
「ナバナって、夜叉の少年香術師? 何か始めるの?」
「ふふっ、秘密です。まだ動き出したばかりなんで、もう少ししたら教えますね」
「ちょっと、私に秘密ってどういうことよ。アオバ、教えなさいよ!」
詰め寄られた、そこへ――
「おや、楽しそうですね」
ちょうどそこを通りかかったカガチさんが声をかけてきた。
「あっ、カガチさん。警邏の帰りですか?」
「えぇ、今戻ってきたところです。お二人は何を?」
「これを買いに来たのよ」
と、レンゲさんは買ったばかりの飴を見せた。
「そういえば、先日開店したばかりでしたね」
「カガチ、一つ食べてみたら? これなんて綺麗だと思わない?」
「なるほど、これは見事ですね」
差し出された飴を、カガチさんは一つ口に運んだ。
夜叉で人質になった一件以来、二人の距離が縮まったように思える。というのも、緋ノ里から戻ってきたカガチさんは〝一人になって色々考える時間があったせいか、大切なものが何なのか再認識させられた気がします〟と言っていた。
もしかしたら、レンゲさんという存在の大きさでも実感した何かがあったのかもしれない。その影響なのか、カガチさんも最近は女性達と交流している姿を見なくなった。
「レンゲさん、私そろそろ戻りますね」
「えっ、もう帰るの?」
「シュロさんに、薬香を作っておくようにって言われてますから。すぐに帰って、たくさん作るんです」
想い合う二人を邪魔するのは申し訳なくて、まだ一緒に出掛けようと止めるレンゲさんを振り切り、私は人混みの中へと飛び込んだ。
帰るとは言ったものの、正直、まだ帰る気にはならない。材料が届くのは子ノ刻を過ぎてからだ。裏庭の薬草園も許可が下りたばかりで苗木しかないし、研究するにも文献すらない。
「そういえば、ここには国が管理する古書館があるってシオンが言ってたよね。もしかしたら、貴重な香術の文献や書物があるかも!」
「アオバさん」
古書館の場所を誰かに訊ねようと、きょろきょろしていたところで名前を呼ばれた。振り返ると、そこにいたのはカガチさん。どうやら私の後を追って来たらしい。
「間に合ってよかったです。寄宿舎までご一緒しようと思って追ってきました」
「それは構いませんけど……レンゲさんはどうしたんですか?」
「火龍楼へ帰りましたよ」
「送ってあげなくてよかったんですか?」
せっかく二人きりだったのに、どうしてわざわざ私を追ってきたのだろう。女心がわかってないと軽く呆れる私に、カガチさんはなぜか柔らかい笑みを返した。
「レンゲさんは綺麗な方だから、その辺を一人で歩いていたら……」
「レンゲはああ見えて強いですからね。大丈夫ですよ」
何を根拠に強いと言うのか。確かに夜叉の血を引いているし、白狼の力もあるから、その辺りの男より強そうだけど、それでも一人の女性に変わりはない。
追いかけた方がいいと言っても、大丈夫だと言ってカガチさんはきかない。仕方なく、そのまま寄宿舎へ戻ることにした。
戻るまでの間、「今日の夕飯に牛が出る」とか「警邏の途中で偽金を作っていた輩を捕えた」とか、他愛もない話が続いていた。カガチさんは楽しそうにしていたけれど、私の頭の中は「帰りたくない」の言葉ばかり浮かんで気も漫ろになっていた。
「そう言えば、総長に薬香を作るようにと言われているそうですね。何かお手伝いできることはありますか?」
カガチさんが唐突にそう言った。心ここにあらずだった私も、この一言でふと目が覚めたような感覚になった。
「えっ? いや、大丈夫ですよ。今までだって一人でこなしてきたんですから。カガチさんだって色々と忙しいのに、手伝わせるわけにはいきませんし」
「おや、遠慮など無用ですよ。アオバさんの頼みなら、仕事を放り出してでもお手伝いしますから」
それはそれで問題がありそうだった。仮にも、カガチさんは黒龍隊の副総長。そんな人に小間使いとか弟子のような手伝いなんてさせられない。それこそ、ヒユリさんに口うるさく文句を言われそうだ。
「遠慮しないで下さいね。警邏も済みましたし、訓練までは時間がありますから」
「それじゃ……少しだけお願いします。でも、少しだけでいいですから」
「おや、何なりと言って下さってかまいませんよ」
「裏庭の薬草園に一緒に行ってくれますか? 雑草取りに行こうと思っているんですけど、思っていたより広くて」
「お安いご用です」
寄宿舎へ到着し、その足で裏庭へ向かおうとした時だった。
運が良いのか悪いのか。ちょうど訓練場から戻ってきたシュロさんとヒユリさんと鉢合わせてしまった。
これといって特に悪いことをしたわけではないけれど、やはり顔を合わせると妙な気まずさに襲われる。少しでも視界から外れようと、さり気なくカガチさんの陰に隠れた。
「カガチ、今戻ったのか?」
「はい。これから薬草園に行って、アオバさんのお手伝いをするところです」
以前のシュロさんなら「副総長に手伝わせるとは偉くなったな」とか、嫌味の一つでも言いそうなものだけど、「そうか」と素気なく答えるだけ。二人きりになったら危ないと心配してはくれないのかと、淡い期待を抱いては、また気持ちが落ち込んでしまいそうになる。
「アオバ、それはどうしたんだ?」
不意にシュロさんが訊ねてきた。視線は私の手元にある小さな箱に向けられていた。
「えっと、さっき街で買った飴です」
「飴?」
「とても綺麗だって評判みたいですよ」
私はおずおずと、色とりどりの飴が詰まった箱を差し出した。シュロさんも一度は手を伸ばしたけれど、思い留まるように手を引いた。
「確かに、綺麗だな」
「皆さんの分も買ってきたので、あとで休憩の時にでも一緒に――」
「悪い、これから剣術の訓練があるんだ」
言い終わる前に断られてしまった。やはり一緒に時を過ごすことさえ許してはくれないみたい。言葉を口にする度に傷つくくらいなら、いっそのこと街の娘達のように遠くから眺めているだけの方がいいのかもしれない。
肩を落とす私の隣で、カガチさんが小さく溜息をついた。それは呆れたような、うんざりしたような、そんな声色だっただろうか。
「アオバさん、総長は甘い物があまり好きではないのですよ。ですから、これは私達だけでいただきましょう」
何を思ったのか、カガチさんは私の肩を抱き寄せた。ここ最近はそんな素振りも見せていなかっただけに、意図の読めないその行動に驚いてしまった。
「は、はい?」
「そうそう、美味しいお茶が手に入ったんです。きっと、これに合うと思いますよ」
もしかしたら、私が抱いた気まずさを察して、気を使ってくれたのかもしれない。カガチさんは女性の扱いには慣れている分、表情から心を読み取るなんて容易いはずだ。
それにしても気になるのは、肩を抱く手の力がやけにしっかりとしていることだ。今までに何度か触れられたことはあったけれど、こんなに強くなかったような覚えがある。
やんわりと触れる程度で、体を密着させなければならないほど近づかれたのは初めてかもしれない。
そのせいか、シュロさんの目が気になった。どんな顔で見ているのか。恐る恐る目をやると、シュロさんは表情一つ変えずにカガチさんを見ていた。
「あぁ、お茶の時間が楽しみですね。そうと決まれば、薬草園の雑草取りをさっさと済ませてしまいましょう」
「そ、そうですね」
「では総長、私達はこれで失礼します。行きましょう、アオバさん」
肩を抱かれたまま、カガチさんに連れられて薬草園へと向かった。
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