【44】小さな異変(1)

 ◆◆◆◆  


「よしっ、これでいいかな」


 黒龍隊の隊服に袖を通し、姿見を見ながら身だしなみを整えた。

 完治して数日が経った頃、私は黒龍隊の正式な香術師として登録され、その証となる隊服も支給された。

 今までは〝仮〟でしかなかったけれど、今日からは正真正銘、本物の専属香術師。こうして隊服に身を包むと心なしか身が引き締まった。いっそう、中途半端なことはできないと実感させられる。


「仕度もできたし、仕事しなきゃ」


 そうは言っても、私の仕事は以前と何ら変わらない。まずは日課となった薬草園の雑草取りから始めることにしよう。

 部屋を出て間もなく、そこをシュロさんとヒユリさんが通りかかった。晴れやかな気分は一転、その姿を前に心の奥がちくりと痛んで、とたんにモクモクと黒い雲がかかった。


「シュロさん。おはようございます」

「あぁ、おはよう。隊服、支給されたんだな」

「何だか妙な感じです。でも、仕事しなきゃって気分になります」

「それじゃ、その気分が無くなる前に頼んでおくか」


 シュロさんは手にしていた袋を私に差し出した。中には幾らかのお金が入っていた。


「昨日、町での小競り合いで怪我人が増えてな。備蓄してあった薬香が底をついてしまったんだ。材料も追加で頼んではいるが、届くまで数日かかるらしい。それまでの繋ぎ程度でいいから、材料を調達してきてほしいんだ」

「わかりました。すぐに行ってきます」

「頼むよ」


 そう告げて、シュロさんはヒユリさんを連れて離れていった。

 後追うヒユリさんはいつになく嬉しそうで、訓練のことや警邏のことなど楽しそうに話している。その光景が少しばかり複雑だった。

 最近は常にこんな調子だった。仕事の会話はしても、それ以上のことは話さない。以前は嫌味っぽくからかわれたりしたけど、今となってはそれすらなくなった。ここへ連れてこられた時よりも、よそよそしくなったのは確かだった。


 傷が治るまでといっていたのに、私はいまだにシオンの部屋を使い続けている。一応、他の剣士達にはシュロさんの婚約者で通っているのに、この状況だと確実に怪しまれているはず。「婚約が白紙目前だ」と、噂されているかもしれない。

 私は居場所を得るため、そしてシュロさんは元総長の渡会さんを騙すため。互いに協力する関係だったけれど、こんな状態が続くようならば関係を解消したほうがいいのかもしれない。


「あからさまに避けられているよね……はぁ」


 もっと話がしたい。そう思うのは贅沢なのか、わがままなのか。



 ―― まさか、こんなに歳の離れた娘にその思いを揺るがされるとは思わなかった



 灯籠華祭の、あの夜。あの時が一番、シュロさんとの距離が縮まっていた。

 あんな言葉を言われて、あんなにも近くに感じて……それを思い出してしまうせいか、気持ちがどんよりと曇っていくばかりだった。


「うぅぅぅ……悩むなんて私らしくない! 今できることをやらなきゃ」


 悩んでいたら前に進めなくなってしまう。いや、すでに立ち止まって進めなくなっている。手遅れになる前に気持ちを切り替えよう。

 シュロさんのお使いを済ませるため、私は町へ向かった。

 いつものように露店通りへやってくると、行きつけの店で材料を調達。そのまま真っ直ぐ寄宿舎に帰ればよかったのだけれど、どうにも帰りたくないと思っている自分がいる。


 いつにも増して足が重くて、気晴らしについでに普段は立ち寄らない場所に行ってみることにした。

 人の流れに沿って歩き、やってきたのは桜華通り。遊女達の着物を売る店や、髪飾りや首飾りの装飾など、露店通りの庶民的な雰囲気とは打って変わって、そこには華やかな店が溢れている。

 その中でも一際目立つのは飴屋だった。新しく店を構えたばかりらしく、噂を聞きつけた娘達が店先に群がっていた。ふとその中に、レンゲさんの姿を見つけた。


「レンゲさん!」


 声をかけると、レンゲさんは向日葵みたいに明るい笑顔を見せた。こうして外で見ても、レンゲさんはどの娘達よりも美人で華やかだった。


「あら、アオバじゃない。この辺に来るなんて珍しいわね」

「ちょっと寄り道したくなって。レンゲさんは?」

「私はここの飴を買いに来たのよ。うちの若い子達が、宝石みたいだって噂していたから気になってね」


 まるで自分の宝物を自慢するみたいに、レンゲさんは店先に並ぶ飴の箱を手に取った。

 色とりどりの飴が、小さな箱の中にぎっしりと詰め込まれている。黄色に緑、紅色に橙。丸く切り取られた宝石みたいにキラキラと輝いていた。


「うわぁ、綺麗! なんだか、食べるのがもったいないですね」

「しばらく眺めていてもいいかもしれないわ。そうだ、うちの子達に買っていこうかしら」


 レンゲさんは身を乗り出し、楽しそうに選んでいた。

 私は一緒に覗き込みながら、ふとシオンのことを考えていた。彼はこういったお菓子が好きそうだ。前にヤマト国の緑茶を飲ませてもらったお礼もまだだし、お返しに買って行ったら喜ぶだろうか。

 シオンは何色が好きだろう。黄色か、それとも紅色か。あれもこれもと好きそうなのを選んでいると、レンゲさんが私の手元を覗き込んだ。


「そんなに買っていくの? もしかして総長に?」


 そう訊ねられて、思わず手が止まった。

 本当は、これを持ってシュロさんのもとに行きたい。一緒に食べられるのなら、どんなに嬉しいだろう。ただ、今のシュロさんが私の買った土産を受け取ってくれるかどうかも怪しいところだ。


「アオバ、どうかした?」

「なんだか、以前にも増して避けられているんです」

「えっ、そうなの?」

「今なんて、仕事以外の会話はしていません。嫌われちゃったのかもしれませんね」


 あまり考えたくはないけれど、あの素っ気ない態度を見ていると、ついそんなことが脳裏を過ってしまう。

 少しばかり弱音を吐いた私に、レンゲさんは呆れたような溜息を返した。


「総長はアオバのことを大切に思っているんだと思うわ。嫌いだったら、毒に侵されたアオバを心配して、必死になって手を握らないと思うけど?」

「そうでしょうか……?」

「何を躊躇ってるのかしらね。アオバを大切に思う反面、踏み切れない何かがあるのかしらね……」



 ―― 誰も失わないために、一人で生きていくと決めていたんだ。深く心を交わせば、失った時に怖くなる


 以前、シュロさんが言っていた言葉を思い出した。

 躊躇っているのはそのせいかもしれない。今は月下香もあるし、私や他の人が白狼の力で傷つくこともない。けれど、私が抱いたこの想い自体が自分勝手なのだろう。

 私の想いを押し付けることはできない。好きだから振り向いてほしいだなんて言えるわけがないし、言える権利だってないのだから。


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