【42】化けて出てやる(2)
「この香りは‼? 嘘でしょ……皆、すぐに鼻と口を塞いで! 早く!」
私の切羽詰まった声から、ただ事ではないと感じたはずだ。子供達は素直に指示に従い、着物の袖で口を塞いだ。
この喉奥に突き刺さるような、この甘い香りは間違いなく毒香だ。香術の中でも禁術に分類される香で、かつては暗殺の道具として用いられていたものだ。「この香りを絶対に忘れるな」と、一度だけお師匠様から教わって嗅いだことがあったけど、まさかここでその香りを嗅ぐことになるとは思わなかった。
考えてみれば、私を含め夜叉の子供達はあの男達の顔を見ているし、そのまま置いて逃げれば必ず足がつく。そうならないために残された手段は〝消し去ること〟――その結論に行き着くのは当然だ。なにせ死人に口なしだもの。
「お姉さん、この煙は何? お兄ちゃん、何が起きてるの?」
「えっと、それは」
「これはね、その……」
私とナバナは、答えられずに顔を見合わせた。ナバナの困惑した様子からして、彼もこの煙が毒香であると知っているようだった。
これは毒香で、吸い込んでしまえば命がないなんて口が裂けても言えない。ましてや、この状況を説明したところで混乱させるだけだ。
「だ、大丈夫だよ。きっと、黒龍隊が悪いヤツと戦ってるんだよっ」
「……お兄ちゃん、本当?」
「う、うん。兄ちゃんの言うことが信じられないのか?」
ナバナは平静を装っていたけれど、スズちゃんも不穏な空気を感じているのだろう。これ以上は誤魔化しきれず、ナバナは逃れるように視線を逸らした。
「ア、アオバ……」
「……わかってる」
ここで私が動揺しては駄目だ。心の乱れや不安は、言葉として口にする以上に相手へ伝わってしまう。
大丈夫、必ず助かるし助けてみせる。強く言い聞かせながら、用意していた札香を懐から取り出して残りを確認した。
今、手元にある札香は二種類のみ。子供達を守れるようにと、男達が乗り込んで来た時に幻影を見せて追い払う幻夢香。そして傷の手当ができる薬香だ。薬香に別の妖術を上書きして解毒香に変化させ、充満する毒を中和させることもできるけれど、完全に無効化するは数が足りなかった。
「……できるとすれば」
静かに振り返り、子供達の姿を見つめた。全てを中和することは無理だけれど、この狭い牢内だけなら何とかなるかもしれない。
「ナバナ、この札香を持っていて。それから皆、できるだけ牢の奥に移動して!」
「アオバ、何するつもりだ?」
「これを壊すの」
と、私達を閉じ込めている鉄格子を掴んだ。
「壊すって、どうやって⁉」
「素手で壊せると思う? もちろん妖術を使うの」
こんな狭い牢内で鉄格子を壊すとなれば、当然近くにいれば巻き込まれる可能性があった。そのくらいは小さな子供にも想像はできたはず。私が何やら危険なことをすると覚った子供達は、我先にと牢の奥へ身を寄せた。
「さてと。これで準備は整ったけど……あぁ、私、戦闘系の妖術は苦手なんだよね……こんなことなら、もう少し真面目に勉強しておくんだった!」
自ら言い出したものの、正直、香術に関連する妖術以外はお世辞にも上手くない。
身を守る時に必要だからと、お師匠様には耳にタコができるくらい言われていたけれど、どうしても苦手意識が抜けきれず、結局は基礎だけ覚えて応用術は覚えずじまいだった。まさか、そのツケがこんなところで回ってくるとは思わなかった。
「弱気なことばかり言ったって駄目だよね。今はできることをやらなきゃ……」
できないと思うからできないし、苦手だと思うからいつまで経っても苦手のままだ。
私がやらなければ!――自らを奮い立たせ、人差し指を唇に押し当てる。そっと吐息を拭きかけ、その指で二本の鉄格子に触れた。見えない点と点を繋ぎ切り離すように、指で「一」の文字を横に切った。
やがて指が触れた箇所がジワリと赤く光が灯るのを見定め、力いっぱい鉄格子を握りしめた。鉄格子は熱を放って、シュッーと音を立てて蒸気を噴き上げた。
「皆、伏せて!」
叫ぶと同時に子供達のもとへ駆け、傍に居た子に覆いかぶさった。その直後、牢内に爆音が轟き、辺りは一瞬にして焼け焦げた煙に包まれた。
煙が僅かに薄れたのを見計らって鉄格子の状態を確認した。私の力不足もあって全てを破壊することはできなかったけれど、一部分を焼き落とすことには成功した。人が通りぬけるには十分の大きさだ。
「これでいつでも抜け出せる! ナバナ、この札香を燃やして!」
燃えた鉄格子から出た墨を使い、薬の札香の裏に新たに妖術の術式を書き込んでナバナに渡した。
「わ、わかった!」
「持ったまま動かないでね」
頷くナバナに合わせ、札香の裏に記した術式に人さし指と中指を揃えて翳し、上に向かって振り上げた。
チリチリと燃え、ゆっくりと黄金の光と煙が立ち上り、花梨の香りと共に子供達をゆっくりと包み込んでいった。
「スズちゃんも皆も、この光の傍から離れないでね。この光の中にいれば大丈夫だから」
「これ、もしかして! 解……っ!」
言いかけた言葉を遮るため、私は素早くナバナの口に手を突き付けた。
そう、これは解毒香。もともと薬香だったけれど、術式を上書きして毒を中和させる解毒香に変化させた。その事実を口にしてしまえば、ここに漂う煙が毒であると気づかれてしまう。混乱して各々が逃げ惑えば、滞留していた毒香が広がってしまう可能性もあった。
「ナバナはここに居てね」
「アオバは?」
「私は扉を開けてくる」
この牢内だけならば、いずれ解毒香が毒を中和してくれるから心配はいらない。あとは戸を開けて喚起すれば問題ないはずだ。
焼け落ちた隙間から這い出て、私は一人で扉へ向かった。後はここを開ければ――と、力いっぱい押しているというのに、どういうわけか全くびくともしない。どうやら、男達は毒香を投げ入れた際、ついでに外から鍵をかけてしまったらしい。
ここさえ開けば助けられるというのに、あの男達は最後にとんでもない置き土産をしていった。
すでに札香も使い果たし、ナバナに預けた香が燃え尽きれば後がない。おまけに扉の辺りは毒の煙が充満していて、迂闊に口を開こうものなら毒香を一気に吸い込んでしまう。
ただ、このまま何もせずにじっとしているわけにもいかず、なんどか居場所を知らせるために必死で扉を叩いた。
―― アオバ、どこだっ!
扉の向こうで、微かにシュロさんの声がした。きっと、地下への扉が隠れているせいで見つけられずにいるのかもしれない。
ここにいることを知らせたくて、何度も、何度も、扉を叩き続けた。その内に手や腕に力が入らなくなり、視界が薄らとぼやけ始めたことに気づく。袖口で鼻と口は塞いでいるものの、微量ではあるが毒を吸い込んでしまっていたらしい。
この扉の向こうにシュロさんが……声が出せれば、気付くかもしれないのに思うように声が出ない。
扉が分厚くて、私の力で叩いても伝わらないのなら、最後の手段に出るしかない。
「シュロさんっ!!」
毒香など知ったことか。
私は声を張り上げ、必死に扉を叩いた。これで届かなかったら化けて出てやろう。そう思っていた矢先、扉はキーッと音を立てて開いた。
「アオバっ、無事か!」
顔が見えた瞬間、今までに味わったことがないくらいに心の底から安堵した。張り詰めていた緊張が解けたらしく、私は崩れ落ちるように座り込んだ。シュロさんはそれをしっかりと抱き留めてくれた。
「遅くなって悪かった!」
「本当、遅いですよっ!」
「すまない。見張りの男達が思いのほか手強くてな。捕えるのに手間取った」
今更気づいたのだけれど、自嘲気味に笑うシュロさんは白狼の力を解放した姿だった。言葉通り、よほど手強かったのだと伺えた。
「力使って、平気なんですか?」
「あぁ。アオバが作った月下薬が効いているらしい。力が安定しているよ」
「役に立って、よかったです……」
言葉を交わしている間にも、視界はさらに白くぼやけていく。これは完全に毒が回ってた証拠だ。
「シュロさん、奥に子供達がいます。外へ、連れ出して下さい」
「あぁ、わかった!」
「それから、気をつけて下さいね。さっきの男達、逃げる時に毒香を……置いて行ったので。毒が、充満して、ます……でも、皆は、大丈夫……です。ちゃんと、守って……」
「アオバ? おい、どうした!? アオバ!」
すでに声までも聞き取り辛くなっていた。まだまだ、シュロさんの声を聞いていたいのに、体が言うことを聞かなくなっていた。
もう、本当に来るのが遅いんだから。このまま目が冷めなかったら、化けて出てやることにしよう。
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