【37】交換条件(2)

「お前……変わってるな」

「そ、そうですか?」

「あぁ、変わってる。普通こんな状況に置かれたら、見逃してくれと請うだろう?」

「それが私に何の得になるって言うんです?」


 それこそ見逃してくれというのは安易過ぎる。頭を下げて懇願したところで状況が変わるとも思えないし、それで逃がしてくれるのなら苦労はしない。いかに安全で、且つ効率よくここから帰るかが重要なのだ。


「下手に抵抗して、事態が悪化し兼ねません。だったら、こっちから協力して信用も得て、さっさと解放された方が得策だと思います」

「……ははっ、確かに。それじゃ、遠慮なく使わせてもらう」

「何なりと。それで、私は何をすればいいんですか?」

「さらわれた夜叉の子供達を助け出してほしい」

「さらわれた?」

「帝都から少し南に〈タンガラ〉という町がある。そこで夜叉の子供達が売られていることを知っているか?」 

「いいえ。子供を売る……? 未だにそんなことをしている人がいるんですか?」


 ウツギさんが言うには、親を亡くした子供達を引き取っている〈水月院〉という孤児院があるらしい。けれどそれは表の顔で、実際は各地から夜叉の子供達を集めてきて、労働力として高値で売り捌いている組織なのだとか。


「俺達が乗り込んで行って奪い返すのは容易い。だが、それがきっかけで何が起こるかわからん。夜叉に対する憎しみが大きくなる可能性もある」

「つまり、私が乗り込んで行って助けるってことなんですね?」

「子供達を連れ戻したとわかれば、仲間達も少しは信用するだろ。だが、これには問題がある。子供達を助けるには、お前が〈タンガラ〉へ行かなければならないし、かといって単独で向かわせれば、助けに行くという口実で逃げ出す可能性も考えられる」

「それなら、ここに人質を残して行けばいいんじゃないでしょうか?」

「そんなヤツがどこに居るんだ」


 と、ウツギさんは呆れたように吹きだした。


「私、これでも黒龍隊専属の香術師なんです。そこに使いを送って事情を話して下さい。私が子供達を助けに行っている間、黒龍隊の誰かが私の身代わりとしてここに残ればいいんです。それなら、私は絶対に裏切れませんから」

「簡単に言うな、お前は。本当に引き受けてくれるヤツなんているのか?」


 そう言われてしまうと、正直自信はない。わざわざ夜叉のもとへ、しかも身代わりの人質になるために来てくれるほど、私を信頼している者などいるだろうか。

 ヒユリさんは絶対に無理だろうし、カガチさんは「どうして私が?」と笑って断りそう。シュロさんは……黒龍隊の総長で責任感も強く、仲間を大切にしているから引き受けてくれそうだけど、隊員はもちろんヒユリさんが許さないはずだ。きっと、シオンなら引き受けてくれる気がした。


「あんまり自信はありませんけど。取りあえず、やってみなければわかりません!」

「確かにな。ならば、それで進めるしかない」

「子供達は私が助け出します。もちろん、月下香の作り方を教えてくれることが最低条件ですよ」


 すると、ウツギさんはきょとんと丸く見開いたあと、おかしそうに腹を抱えて笑った。


「見た目以上にしっかりしてるな」

「ここに来た目的はそれですからね。夜叉ノ契までして半狼になったんです。手ぶらでは帰れません」

「わかった、わかった。約束するよ」

「約束ですよ! それにしても驚きました。夜叉の子供が売られているなんて」


 いくら夜叉を毛嫌いしているとはいっても、そこまでする輩がいるなんて。同じ人間として恥ずかしい。


「このこと、陛下はご存じなのかな?」


 人間と夜叉との間で起こる争いをなくそうとしている現在の皇帝が、争いの火種となるこの一件を見過ごすはずがない。帝都から離れた町での出来事だから耳に入らないのか、それともその組織が巧妙に隠しているのか。


「おそらく、皇帝の耳には届いてないんだろうな。それを生業としている連中はかなり警戒心が強いらしくて、なかなか尻尾が掴めなくてな。俺も調べるのには苦労したよ」

「表向きは孤児院ですからね。子供がたくさんいても疑わないし、いなくなっても引き取られたと思われるだけですよね」

「せめて、皇帝の耳にさえ入れば、状況も変わるんだろうがな……」


 そう漏らすウツギさんは悔しそうに唇を噛んだ。その横顔を申し訳なく見つめていると、頭の片隅にあった記憶がふと蘇った。


「もしかして、帝都を襲った理由ってこの件が関係してるんですか?」

「帝都を襲う? 何の話だ?」


 ウツギさんは不思議そうに首を傾げた。


「何のって……先日、夜叉の一団が城を襲った件ですよ」


 人間に不満を持っているなら、今、長代理を務めるウツギさんが「人間に思い知らせてやれ」と、命令を出したからあの日、城を襲ってきたのだと思った。

 あの日のことを説明したけれど、予想に反して、ウツギさんは終始怪訝な顔をしていた。


「あれはウツギさんの指示じゃないんですか?」

「はっきり言っておく。それはこの里の夜叉じゃないし、俺の指示でもない。無関係だ」


 そう言いつつも、何か気になることがあるのか。黙り込んだと思えば、すぐに顰めっ面。顔を覗き込むと、黄金色の瞳が真っ直ぐに私を捉えた。


「アオバ、夜叉を見てどう思う?」

「えっ? えっと……最初は怖いと思ったんですけど、こうして話をしていると優しい人もいるんだなって思いました」

「では、以前はどう思っていた? 小さい頃から聞かされていた夜叉像があるだろ?」


 夜叉であるウツギさんを前にして、言ってもいいのだろうか。あまり口にしたくはなくて、言いたくないと目で訴えてみる。それに反して、ウツギさんには話せと言わんばかりに凝視された。


「……野蛮で、戦いを好む種族だから関ってはいけないって。周囲の大人達は口癖のように言っていました」


 やはり、言ってから後悔した。おそらく、ウツギさんは私が教わってきた夜叉とは明らかに違う。そう言ってしまったことが申し訳なくて、膝に置いた手をぎゅっと握り締めた。

 少し項垂れる私を見て、ウツギさんは目を細めて優しくほほ笑んだ。


「そんな顔するな。見ているこっちが罪悪感を覚える」

「ご、ごめんなさい」

「俺達は争いを好まないし、できることなら人間との争いは無くしたい。互いに手を取って生きていける方法があるなら、迷うことなくそれを選ぶさ」

「それじゃ、この間、帝都を襲ったのは何だったんですか?」

「おそらく、この地を追われた同胞だろうな」


 ウツギさんはフウッと息を強めに吐いて立ち上がると、部屋の隅にある机へ行った。

 置かれていた煙管に火をつけ、ゆっくりと煙草を吸う。ぼんやりと漂う煙を目で追いかけながら、細く、長く煙を吐いた。


「長は、憎しみの果てに相手を傷つけたり、本能のままに戦いを楽しむような者を極端に嫌っている。そういう血の気の多いヤツは、少なからず里に危険を及ぼすことになる。そうなる前にと、長は問題を起こした同胞をこの地から追いやることがあるんだ」

「帝都を襲った夜叉は、そういった人達ってことですか?」

「長の考えに従えず、自らこの地を去った者もいる。そういった同胞が徒党を組み、本来の目的や信念を忘れて盗賊に成り下がって、町を襲っている者もいるらしい」


 争いを望まず、共に生きていけるならと願うその姿は、帝都を襲ってきた夜叉とは違う。もしかしたら、これが夜叉の本来の姿なのかもしれない。ウツギさんを見ていると、そう思えるから不思議だった。


「俺はこれから外へ行く。ついでだ、月下香を作る香術師の所へ案内してやるよ」

 

 ウツギさんはそう言って煙管の火を消し、そのまま戸の方へ歩いて行く。あまりにも突然だったため、一瞬、何を言っているのかと考えてしまった。


「えっ? でも、月下香は子供達を助けた後じゃ……」

「俺の気が変わってもいいのか?」 

 

 立ち止まって半身で振り返り、意地悪そうに言った。それが、ほんの一瞬だけシュロさんの姿と重なって見えて、鼓動がトクンと高鳴った。


「い、行きます!」

「だったら、早く立て。置いてくぞ」


 彼の後について部屋を出ると、入口を見張っていた仲間の夜叉が物凄い形相で私を睨みつけた。「俺が同行するから問題ない」とウツギさんが説明しても「何か企んでいる」だの「危険だ」だのと、外へ出ることを必死に止めていた。ウツギさんも半ば強引に言い聞かせていたけれど、納得してもらえるわけがない。終始、私は無言で威嚇されっぱなしだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る