【36】交換条件(1)

 ◆◆◆◆


「大人しくしてろよ」


 投げやりな声が耳元で聞こえ、それと同時に目隠しが外された。ぼんやりと霞んだ視界で見えたのは、壁に点々と続く職台と蝋燭の炎だった。しばらく光を遮られていたせいか、その淡い蝋燭の光でさえやけに眩しく見える。

 一族の証なのか、壁には狼を象ったような紋章が刻まれた旗が飾ってあるものの、それ以外には何もない。奥に寝室らしき部屋が一つあるらしく、そこから微かに声が漏れ聞こえていた。

 ここがどこなのか正確な場所と位置まではわからない。何せ、黒ノ森からここへ来るまでの間、ずっと目隠しをされたまま移動してきたから、逃げようにも帰り道もわからない。数少ない情報からわかるのは、ここが夜叉族の住む〈緋ノ里〉と呼ばれる里であることと、夜叉族の長の屋敷だということくらいだ。


 私はこれから、どうなってしまうのだろう。

 ありもしない疑いをかけられて捕えられてしまった。このまますんなり帰してもらえるとは思えないし、最悪、命を取られるなんてことも考えられる。そうなる前に何としてでも逃げ出して、月下大樹の花を手に入れて帝都に帰らなければ。

 あれこれ考えている内に、奥の部屋から人がぞろぞろと出てくる。ふと、最後に出てきた男の姿を見て驚いた。


「あなたはっ!」

「お前!」


 私同様に、気づいた彼も見て驚いて声を上げた。奥の部屋から現れた男は、ナタと一緒に薬草を取りに出かけた森で、深手の傷を負って現れた夜叉の青年だった。


「ウツギ、この娘を知っているのか?」


 仲間の一人がそう訊ねると、ウツギと呼ばれた彼は小さく頷いた。


「俺の傷を治して、助けてくれた娘だ」


 その一言に、一同は動揺する。人間が夜叉を助けるなどあり得ない、何かの間違いだ、と口々に言い合った。人間が夜叉に対して恐れや嫌悪を抱くのと同様に、夜叉もまた人間を無慈悲な存在なのだと決めつけている。長い歴史がそうさせたのさせたのかもしれないけれど、自らの言動を改めなければならない気がした。


「この里の長だったんですね」


 声をかけると、彼は少し間を置いてから一度だけ頷き、私に視線を合わせるように目の前にしゃがんだ。


「いや、俺は代理だ。本当の長は俺の親父。今は……病床に臥せている」


 そう告げてから表情は曇り、不安げに目を伏せていた。表情から察するに、あまり芳しくないと覚った。

 責めるわけでも罵るわけでもなく、穏やかに交わされるやり取りに痺れを切らしたのか、あの赤毛の少年夜叉が苛立った様子で彼の隣に跪いた。


「ウツギさん、こいつは何かを企んでいます! どんなことをしてでも吐かせないと、里に危険が及びますっ」

「……」


 彼は何も答えず、ただじっと私の目を見つめた。


「……ここへ来た目的は何だ?」

「〈月下大樹〉の花を採取して、月下香を作りたかったんです」

「月下香? どうしてあれが必要なんだ? 人間には必要のないものだろう」

「大切な人達を助けるためです」


 人間でありながら、毒となる白狼の力をその身に宿したシュロさんやシオン、レンゲさんが、身に巣食う獣の暴走に苦しんでいること、蒼ノ月が昇る時に使う香があると教えてもらい、それを手に入れるために私自身が〈夜叉ノ契〉を飲んでここまで来たことを話した。

 周囲の夜叉達は疑いの眼差しを向けていたが、彼だけは真っ直ぐに見据え、黙って私の話に耳を傾けてくれた。


「目的はそれだけなのか?」

「はい。それが全ての理由です」

「……そうか、わかった」


 彼は徐に立ち上がり、私の背後へ回りこんだ。何をするのかと思えば、持っていた短刀で、私の腕を縛り上げている縄を切って解いてしまった。

 その場に居合わせた仲間の夜叉達も騒然。中でも少年夜叉の驚きは人一倍大きく、戸惑いと怒りを滾らせて彼に詰め寄った。


「ウツギさん、正気ですか! 人間の言うことを信じたんですか? 絶対嘘に決まってます!」

「嘘かどうか見極めるには早過ぎる。少し様子を見たい」

「そんなの甘過ぎます!」

「ならば、お前達はこの娘をどうしたいっていうんだ? 命でも奪うつもりか?」


 その問いに誰も答えようとしなかった。口を噤んだまま俯き、悔しげに拳を握りしめる者もいれば、お前が答えろと目配せをして互いに擦りつけ合う者もいる。


「わかっているはずだ。憎しみに憎しみをぶつけても何も生まれない。仮に命を奪えば、憎しみの種が芽吹く。自らの手で夜叉族を危険に晒すつもりか?」

「そ、それは……」

「俺はこの娘に命を助けられ、その借りは必ず返すと約束した。だからこのまま帝都へ帰してやってもいいと思う。だが、そこまでこの娘を信じきってはいない」


 黄金色の瞳が再び私を捉えた。

 なぜだろう。視線は鋭く、睨みつけられているようにも見えるのに、そこに迷いのようなものが薄らと混じっているようにも見えた。


「この娘をどうするか、俺に判断させてくれ。皆が納得する形で答えを出す。話は以上だ。出て行ってくれ」


 長代理である彼がそう決めた以上、彼らもまたそれ以上は何も言えなかったようだ。まだ不服そうな表情を浮かべながらも、仲間の夜叉達は部屋を出ていく。それを見計らい、彼は私を連れて奥の部屋へ移った。

 彼は花が好きなのだろうか。部屋にはたくさんの花が飾ってあった。まるでシュロさんみたいで、ふと過ったその姿に心が温かくなった。


「ずっとそこに立ってるつもりか?」


 彼は溜息混じりに言って、部屋の中心に敷かれた敷物の上に座った。こっちへ来い、と手招きで促され、私は少し躊躇いながら向いに座った。


「あの……この場所は?」

「長の屋敷だ。と言っても、ここは俺の部屋だけどな。それを知ってどうする?」

「いえ……あっ。さっきは、ありがとうございました」

「勘違いするな。俺はまだ、お前を信用したわけじゃないんだからな」


 語気を強めているけれど、どこか気まずそうに目を逸らす仕草を見せた。行き場を失った視線はやがて腕に辿り着き、撫でるように手の平で触れた。


「だが、俺も礼は言っておかなければな。森で助けてくれた礼を言いそびれていた。ありがとう……そう言えば、名を聞いていなかったな」

「アオバです。腕の傷、もう大丈夫ですか?」

「あぁ、問題ねぇよ」

「よかった。それから、あの……」

「何だ」

「私は、これからどうなるんでしょうか?」


 ウツギさんはともかく、他の夜叉達は私の処遇について納得していない部分がある。どういう扱いを受けるのか、囚われた身としては気になった。


「さっきも話した通り、お前をこのまま帝都に帰してやってもいいと思ってる。森での借りもあるからな」

「ほ、本当ですかっ」

「だが、このまま帰した後、帝都の軍隊でも引き連れて戻ってくるんじゃないか。俺以上に、仲間達はそう思っているはずだ」

「そんなことしませんよ。第一、ここへ来た目的は夜叉族と戦うためじゃないんですから」

「言葉ではいくらでも言える。それを行動で証明しなければ意味がない」


 確かに、信じてほしいと口で言うのは簡単だけど、それを目に見える形で示すことは容易ではない。何かを得るためには、自ら動かなければ何も掴めない。


「それじゃ、私を使って下さい」

「使う?」

「さっき、私をどうするかってことで〝お前達が納得する形で答えを出す〟って、言っていたじゃないですか。私がここから無事に帰るには、ウツギさんだけじゃなく、他の方の信用も勝ち取らなければならないってことですよね?」

「早い話、そういうことになるだろうな」

「だったら、答えは簡単です。皆さんが納得するまで、私をこき使えばいいんですよ。体力仕事でも薬香作りでも、お好きなように命じて下さい」


 それで解放されるなら易いもの。ただ、ウツギさんはそう思っていなかったらしく、面食らったような顔をしていた。


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