【29】天邪鬼(2)

 その後を追い、連れられるがまま街の外へと出た。やってきたのは街からほど近い場所にある平原だった。一面に蒼い灯籠華が咲き、淡く蒼い光を灯した綿毛が夜空に向かって飛び始めていた。


「うわぁ、こんなにたくさん咲いてる! それにしても……誰もいませんね」

「夜叉の件があるからな。最近は日が暮れてから帝都を出る者が少ない。そのせいだろう」

「もったいないですね。こんなに綺麗なのに」


 草原に分け入り、座り心地がよさそうな平らな場所を見つけて座った。

 シュロさんも続いて隣に座ると、その勢いで綿毛がふわりと宙に舞った。ただそれを目で追っただけなのに、いつの間にか視線がかち合っていてハッと我に返る。とたんに恥ずかしくなって、傍に咲いている灯籠華に触れて誤魔化してみたり、綺麗だと呟いてみたり。何か話さなければと不自然に焦ってしまった。


「さっき渡しそびれていたんだ」


 もしかしたら、私の焦りがシュロさんに伝わったのかもしれない。シュロさんの方から話を切り出した。

 懐から出したのは首飾りだった。細い革紐の先に翡翠で作られた勾玉が揺れている。どこかで買ったのだろうか。それにしては形が妙に歪で、お世辞にも綺麗な仕上がりではなかった。


「これ、どうしたんですか?」

「貧街区のナタから預かってきた。薬香の礼に、ナタと他の子供達が作ったらしい」

「ナタが? 嬉しい! そっか、ナタが……削るの、すごく大変だっただろうなぁ」


 手作りであれば形が歪だった理由も納得できた。職人でもない子供のナタが曲線を削るのはとても難しいだろうし、穴を開けるのだって大変なはず。歪な形が心を込めた証のように思えて、言葉にならない温かさを胸の奥で感じていた。


「今度、お礼言わなきゃ。シュロさん、どうです? 似合ってます?」

「アオバは何て言われたいんだ? あぁ、そうか。褒めてもらいたいのか?」

「今日くらい真面目に答えてもバチは当たらないと思いますけど?」

「ははっ、そうだな」


 ケラケラと笑ったかと思えば、今度は私の姿を凝視して「うーん」と唸る。視線がつま先から顔、顔からつま先へと行ったり来たり。いつまで経っても終わらないから、恥ずかしくて少しだけ睨んだ。


「それにしても」


 ぽつりと呟いたもののその先を言わず、ただ顎に手を当ててこちらを見つめるものだから、居心地が悪いったらない。


「な、何ですか?」

「いや。女とはこうも変わるものなのか、と思ってな」


 着物をまじまじと見、やがて顔をじっと見つめ、不思議そうに首を傾げた。どうしてこんなに変化するんだ、と驚くばかりだった。


「似合わないなら正直に言って下さい」

「似合ってるよ」

 

 そう言ってすぐ、シュロさんは吹き出して笑った。


「ちょっと! 似合ってるって言っておきながら笑うって、どういうことですか!」

「いや、悪い。笑ったのは俺自身のことだ」

「シュロさんのこと、ですか?」

「本当、厄介だな。ちょこまかと動き回るし、少し目を離すと姿を消すし。帰って来たと思ったら、小娘が女に化けている。正直、心が掻き乱された」


 その時、風で飛んできた灯籠華の綿毛が偶然にも私の髪についた。

 取ろうと手を伸ばすと、シュロさんが先にそれを取ってしまった。たったそれだけの仕草で、私の心臓は大袈裟なくらいにドンッと跳ね上がった。


「アオバ、あまり振り回さないでくれ」

「あの、私がですか?」

「他に誰がいる? 俺の中にすんなり入り込んで、ちゃっかり居座って。本当、どうしてくれるんだよ」


 シュロさんの手が躊躇いがちに頬を捉えた。夜風に触れたせいか、指先はいつにも増して冷えている。でも不思議と冷たいとは感じなかった。

 見上げたその顔には、苦しげな笑みと戸惑いの色がくっきりと浮かんでいて、どんな言葉を返していいのかわからなくなってしまった。


「俺は……誰も失わないために、一人で生きていくと決めていたんだ。深く心を交わせば、失った時に怖くなる。だから……まさか、こんなに歳の離れた娘にその思いを揺るがされるとは思わなかった」

「シュロさん、あの……」

「互いの目的を果たすための、関係だったはずなのにな――」

 

 言葉が途切れ、辺りの空気が変わった。

 シュロさんがわずかに距離を縮めたのがわかった。流れる時の速ささえ遅く感じさせるほど、辺りの空気は甘く流れていく。その香りに酔わされた私は、抗えないほど強く惹きつけられた。

 

 期待に鼓動が跳ねる反面、ほんの一瞬過った不安に思わず身を引いた。けれど、逃げるなとでもいうように、シュロさんは私の腕を掴み引き止める。このままでいたいと、心の底から願ってしまった。

 唇が触れそうになった、その瞬間――雷鳴のような爆音が辺りに轟いた。その衝撃と振動に驚いて振り煽ぐと、青白い月が浮かぶ夜空に向かって黒い煙が真っ直ぐに立ち昇っていた。


「シュロさん、帝都から煙が!」

「何かあったらしいな」

「シュロさん、戻りましょう!」

「あぁ、わかった」


 言いたいこと、伝えなければならないことはたくさんあった。だが今優先すべきことは、私の想いをぶつけることではない。溢れ出しそうな想いと感情を体の奥底に押し込んで、シュロさんと共に帝都へ急いだ。

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