【40】潜入開始

 ◆◆◆◆


 北方領と東方領の国境付近に位置する商業都市〈タンガラ〉に到着したのは、昼を少しばかり過ぎた頃だった。

 シュロさんの話によれば、子供達を助け出す前にシオンとヒユリさんと合流することになっているらしく、私とシュロさん、ナバナの三人で待ち合わせ場所へと向かった。


「二人は、どちらに?」

「待ち合わせは船着き場だったが……あっ、ほら。あそこにいる」


 町の中を流れるザンカ運河の船着き場に、町民に変装したシオンとヒユリさんが立っていた。二人の姿を目にしただけで言いようのない嬉しさが込み上げてきた。


「シオン、ヒユリさんっ!」


 たった数日合わなかっただけなのに、もう一月以上も会っていなかったような気持ちになって、私は嬉しさから思わず駆け寄った。

 辿りついた矢先、シオンは両手で私の頬を挟むように包み、ぐっと顔を近づけてきた。


「怪我、ないよね?」

「う、うんっ、大丈夫だよ。夜叉の長の息子さん、私には優しくしてくれたから」

「……心配したんだよ」

「うん、ごめんね」


 頬を包んでいる手をそっと握った。

 ふと左頬に鋭い視線が刺さる気配を感じて、恐る恐る目をやった。予想通り、ヒユリさんが私を睨んでいた。相変わらず向ける視線は鋭いし、睨みつける目は開いているのかわからないほど細められているし、すぐにでも噛みつきそうな形相だ。とにかく今は謝らなければと、口を開いたけれど――


「私、やっぱりあんたが嫌いだわ」


 相変わらず、私に向けられる言葉は酷いものばかりだ。もちろん、怒りの原因はいつもシュロさんがらみだから仕方がない。

 シュロさんが私を迎えに行ったことで日常業務に支障が出たとか、カガチさんを人質で残してきたこととか、色々と気に入らないのだろう。ただ一つ。以前つけられた〝大嫌い〟の大が消えていたのは、少しだけ嬉しかった。


「あんたの行動で振り回されるのはたくさんよ。そのせいで、総長がどれだけ!」

「ヒユリ、そのくらいにしておけ」


 すかさずシュロさんが止めに入った。

 まだ何か言いたそうにしていたけれど、シュロさんに止められては何も言えない。ヒユリさんは苦々しい表情のまま溜息をつく。その腹癒せなのか、怒りの矛先がナバナに向けられた。


「それで? この夜叉のガキはなんなのよ」

「ガ、ガキ言うなっ。言っておくけど、ガキでも力ならお前より上だ。白狼(ハクロウ)の力を解放すれば、お前なんて――」

「そこまで!」


 見兼ねたシュロさんが語気を強めた。無駄な争いはするなと威嚇された二人は、互いの顔を見交わして口を噤んだ。


「頼まれた仕事、さっさと片付けちまうぞ」

「片付けるって言っても、肝心の子供達がどこにいるのかわからないじゃないですか」


 ウツギさんは孤児院の院長がさらったと言っていたけれど、20人以上の子供達をそのまま堂々と孤児院に置いておくはずがない。どこかに匿っていると考えるのが妥当だけど、肝心の場所がわらかないままだった。


「そのことなら問題ない。すでに居場所は突き止めた」

「カガチさんが見つけてくれたんだよ」


 シオンは対岸にある寂れた寺院を指差した。

 寺院として成り立っているのか、外観だけでは判断ができないほどのオンボロ寺院だった。襖や障子は比較的綺麗ではあるけれど、垣根は所々崩れ落ちているし、周囲は雑草が伸びきって荒れ放題。庭に植えられた枝垂れ柳の影響もあるのか、まるで妖の棲みかのようだ。


「あそこに子供達がいるの? あんなにボロボロなのに……?」

「社の下に地下牢があって、売られる子はそこに閉じ込められてるらしいよ」

「そこまで詳しい情報、どうやって掴んだんだろう? ウツギさんは、相手が用心深くてなかなか尻尾が掴めなかったって言ってたのに」

「あいつなら、その尻尾も簡単に掴めるだろうな。なにせ、俺達とは明らかに経験が違う」


 カガチさんの姿でも思い出しているのか、シュロさんの表情には苦笑いが浮かんでいた。


「黒龍隊に入る前、カガチは情報を売買する盗賊の頭だったんだ」

「何ですか、その経歴……」

「あまり大声じゃ言えないが、帝都で問題が起こって情報を集めなきゃならない時は、今もその頃の子分共を使っているらしい。だから恐ろしいくらいに詳しい情報が即座に集まってくる」


 かなり異色の経歴ではあるけれど、それがカガチさんとなれば話は別だ。あの独特の雰囲気はそのせいだったのか。驚きよりも、むしろ納得できてしまった。


「元情報屋で盗賊の頭が掴んだ情報は信用できるんですか?」

「今のところ、カガチさんが掴んだ情報が外れたことってないよ」


 シュロさんだけでなくシオンまでも、カガチさんが掴んだ情報を信頼しきっていた。何だか怪しい気がすると疑った矢先、「ふふっ、私の情報網を侮ってもらっては困ります」と、不敵に笑うカガチさんの姿が脳裏を過って、思わず身震いしてしまった。ここはカガチさんというより、シュロさんとシオンを信じることにした。


「情報は揃っている。あとはどう踏み込むか、だな」

「強引に突入してみる?」


 対岸を眺めながら策を練るシュロさんに、それとなくシオンが案を出した。悪党には堂々と派手に攻撃を仕掛けてもいいというシオンに、シュロさんは腕を組んで渋っていたけれど、案外満更でもなさそうだった。


「それも陛下は許可して下さったからな。やってみるか」

「そ、総長! 強引に踏み込んだら、相手がどう出るかわかりません。慎重に行くべきです!」


 無茶をしそうな雰囲気を察知したのか、ヒユリさんが慌てて口を挟んだ。

 もちろん、考えもなしに突っ込んでいくほどシュロさんは無謀ではない。それはいつもの冗談であって、シオンもわかっていて提案していた。ヒユリさんがこれにまんまと引っ掛かったわけだ。

 からかわれたことにムスッとしているヒユリさんを横目に、私は自分がどう行動すべきかを考えていた。


 強引に踏み込むことくらい、シュロさんの腕なら容易いはず。ただ問題なのは中にいる子供達のことだ。

 私達が踏み込んだ時、子供達をさらった連中がどんな行動に出るのか今の時点では予測ができない。一応、人様に顔向けできない悪事を働いているのだから、当然証拠を消そうとするだろう。

 まずは子供達に危険が及ばないよう、先に安全を確保する必要がある。そしてシュロさんが正面から心おきなく突入するために、私ができることが一つだけあった。


「ヒユリさん、お願いがあります。私とナバナを売り飛ばして下さい」

「……はぁ!?」


 突然の申し出に声を裏返すヒユリさんに、私はにっこりと笑って返した。

 話はそう難しいことではない。私とナバナが売られて中に入り、不測の事態に備えて子供達の傍で待機をする。合図を出したら、シュロさん達が突入して悪党共を確保するという筋書きだった。


「二人で入るって言うのか? そんな危険なこと、任せるわけがないだろう!」


 予想通り、シュロさんは真っ先にその提案に反対した。

 危険だとか、何かあったらどうするとか、まるで過保護な父親みたいなことを延々とこぼしていた。そんなことは自ら提案している私も承知の上でのことだった。


「そんなこと言っている暇ありませんよ。今できることを実行するのみです! ヒユリさん、お願いしますね」

「ちょっ、ちょっと! 勝手に手を引っ張るなっ」

「すみませーん、その船、乗ります! ナバナ、行くよ」

「う、うんっ!」


 シュロさんの制止を振り切り、ちょうど船着場にやってきた舟に強引に乗り込んだ。

 呆れたようにも、不安そうにも見える顰め面を浮かべ、ガシガシと頭をかきながら見送るシュロさんの姿を見送り、舟はゆっくりと運河を横断し、あっという間に寺院前の船着場へ到着。すばやく舟を降りた私達は、坂を上った先にある寺院の塀の陰に身を隠して様子を窺った。


 入口には見張りらしき男が二人いた。一人は僧侶の格好をした男と、もう一人は山賊みたいな派手な毛皮の羽織を纏った大柄の男だった。

 どう見ても人が住めるような状態ではないオンボロ寺院に、僧侶らしからぬ屈強な体つきの強面僧侶と、見るからに凶暴そうな山賊風男の組み合わせ。どこからどう見ても怪しい。疑ってくださいと自ら主張しているようなものだ。


「あんな怖い顔した僧侶がいるわけないですよね。ここに何かありますって、言ってるようなものですよ」

「……本当に、あんた達で大丈夫なの?」


 そう問うヒユリさんの声は、あからさまに不安そうだった。もちろん、それは私やナバナの身を案じてのことではなく、この作戦が成功するか否かを心配してのことだ。


「大丈夫ですよ。ねぇ、ナバナ」

「お前に心配されるほど、僕は弱くないからな」


 嫌味を言われたにもかかわらず、ヒユリさんはそれに構うことなく、まだ不安そうにしていた。確かに、闘いやこういった現場に立つのは素人だけれど、もう少し信用してくれてもいいだろう。ヒユリさんに信用してもらうには、まだまだ時間がかかりそうだった。


「今は私を疑うことより、子供達を助けられるよう最善を尽くすことを考えて下さい」


 いつも散々嫌味と睨みを受けているのだから、たまには言い返すのも悪くない。シュロさん風の口調で、軽い嫌味を込めて言ってやった。

 その嫌味にヒユリさんはハッとするも、いつものように負けじと顰めっ面を返してきた。


「わ、わかってるわよ」

「それじゃ、行きましょう。お願いします」


 私が差し出した手を取り、ヒユリさんは苦々しい表情を浮かべて男達の元へ向かった。


「夜叉の子を隠してるってのは、ここで間違いないの?」


 姿を見せて早々、ヒユリさんはなんの誤魔化しもせずに訊ねた。さっさと終わらせたいのか、それとも回りくどいことが嫌いなのか。どちらにしても、これはヒユリさんの性格の問題だ。

 こんなにも思い切って聞いてくるものだから、当然男達はヒユリさんを警戒した。こちらに向ける表情はみるみる険しくなり、腰に下げていた刀に手が添えられた。


「何が目的だ?」

「誤解しないでよ。私はこいつらを連れてきただけなんだから」


 ヒユリさんに背を押され、私とナバナは少しよろめきながら前に出た。男達は警戒を解くことなく顔を見合わせていた。


「何だ、このガキ共は?」

「さっき、あんた達の雇い主に売った夜叉の子供よ。孤児院の方に置いておくと目立つから、こっちに連れていけって言われたの」


 男達は再び顔を見合わせ、さらに疑いの視線を向けてきた。刀に添えられた手が動かないところをみると、まだ何かを疑っているらしい。


「おかしいな。ガキ共をここへ連れてくるのは孤児院の連中だ」

「最近は、こっちが手に入れた子供を横取りする同業者までいるからな。無関係の者にこの場所を教えることはない。まして、売主にここへ行くよう指示することはあり得ないんだが?」


 そんな事情などこちらが知るはずもない。突き出された私とナバナはもちろん、ヒユリさんもこれには焦ったことだろう。ここで正体が知られてしまったら元も子もない。ヒユリさんがこの状況をどう回避するのか、私は祈りながら見守った。


「……私の他にも、夜叉の子を連れてきていた者がいたのよ。そっちの方が人数が多いからって優先されちゃって。人手が足りないから止むを得なくって、院長である領主様が教えてくれたのよ」


 とっさのことだったけれど、ヒユリさんが上手く誤魔化してくれた。まだ半信半疑の様子だったけれど、雇い主である〝領主〟という言葉が出たのが功を奏したのか、ヒユリさんに対する警戒が少し和らいだのを感じた。


「まぁ、ここに来たってことは事実なのか……」

「こっちのガキは確かに夜叉だが、こいつ本当に夜叉か? 瞳も肌も色が違うじゃねぇか」


 山賊男はこちらへやってくるなり私の顎を掴み、少し強引に顔を上に向かせた。まるで品定めをされているような気がして、あまりいい気はしない。


「見た目じゃわからないけど夜叉らしいわ。確か母親が夜叉で、父親が人だって聞いたけど」

「あぁ、なるほど。半狼か」


 と、納得して頷いた。夜叉の間で使われているこの言葉だと思っていたけれど、どうやら彼らも使っているらしい。気に入らないのは、これが明らかに相手を蔑んだ言葉であることだ。


「とにかく、私はその二人を早く手放したいの。もうお金も貰ったし、後はそっちの好きなようにして」

「わかった。こいつらは確かに受け取った。忠告しておくが、ここの場所を誰かに話した時は――」

「あー、わかってるわよ。誰にも言わないから安心して。それじゃ、これで失礼するわ」


 ヒユリさんは私に一度だけ目配せをし、足早にその場を後にした。その後ろ姿を見つめていると、よそ見をするなと再び顎を掴まれた。


「痛っ!」

「歳は一七、八ってところか。売り値は下がるだろうが、お前みたいな小娘を手元に置いて可愛がりたいっていう、物好きな金持ちはいるからな。問題ないか」


 物好きな金持ちが可愛がりたい――一体、どんな風に可愛がるというの? まさか猫や犬みたいに、頭を撫でられたり膝に乗せられたりするのだろうか。仮にそうだとしても、考えただけでゾッとする。


「おいっ! 吟味するなら中へ行ってやれ。ここじゃ目立つだろう」


 周囲の目が気になるらしく、僧侶の格好をした男は山賊男を急かすように腕を叩いた。


「あぁ、わかりましたよ、僧侶様。ほら、行くぞ」


 強引に腕を引かれ、私とナバナは寺院の中へ連れて行かれた。

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