【25】心を食らう夜

 ◆◆◆◆


 寄宿舎へ戻ると、ちょうど警邏に出ていたカガチさんと城門の前で鉢合わせた。


「あっ。お帰りなさい、カガチさん」

「ただ今戻りました。そうそう、シュロさんが心配していましたよ」


 私の顔を見るなり、カガチさんは含みのあるような言い方をした。


「心配させるようなこと、私はしてないと思うんですけど?」

「おや、そうですか? 昼には戻ると言っていたのに、どうして帰ってこないんだって騒いでいましたよ」

「あっ……そういえば」


 ここを出る時、カガチさんとシオンにそう伝えていたことを今になって思い出した。

 その言葉に偽りはなかったし、買い物が済めばすぐに帰るつもりだった。ただ、予想外のごたごたに巻き込まれてレンゲさんのもとへ行っていたこともあって、すっかり忘れていた。気づけば陽は沈みかけ、辺りは薄暗くなり始めている。


「寄り道でもしていたのですか?」

「そんな感じです。色々、面倒なことが起こったので」

「面倒? ……おや、その着物は」


 カガチさんはハッとして私の袖を掴み、鼻を近づけて息を吸い込んだ。まるで美味しいものを見つけた猫みたいに、スンスンと鼻を鳴らした。


「この着物はレンゲのものですね。もしかして、レンゲと知り合いなのですか?」

「えっ! わかるんですか?」


 驚く私に、カガチさんは「やはりそうでしたか」と得意気にほほ笑んだ。


「何年か前、レンゲがこの着物を着ていたことがありました。それに、この香り。桜の香……私が好きな香なので、すぐにわかりました」

「カガチさん、凄いですね。香りだけでわかっちゃうなんて」


 そういえば、レンゲさんは桜の香は〝自分が好きな香だから作ってほしい〟と言っていたけれど、それは私に対するちょっとした嘘。本当は、カガチさんが好きな香りだから使っているのだろう。それはつまり、カガチさんに想いを寄せているということ。


「レンゲとは、どのような経緯で知り合ったのです?」

「実は、ちょっと厄介なことに巻き込まれたんですが、レンゲさんに助けてもらって。その時に着物が破れちゃって、これをお借りしたんです」

「そうだったのですが。それにしても、レンゲらしいですね。彼女は厄介事に自ら首を突っ込む癖がありますから。放って置けなかったのでしょう」


 いつも見せるのはどこか企みの混じる不敵な笑みだったり、相手を小馬鹿にするような冷笑だったりするのに、その時見せたカガチさんの笑顔はとても優しかった。それが妙に新鮮で興味深げに見つめていると、カガチさんは思い出したように切り出した。


「もう一つ伝えるのを忘れていました。あの手紙のことです」

「手紙? あっ、呪の手紙ですか……?」

「早めに処分していただけますか? シオンの震えが止まらなくて、仕事も手につかない状態なのです。見ているのが可哀そうなほどで……」


 額に手を当て、何度も首を横に振る仕草がどうにも演技に見えるし少々大袈裟なようにも思える。あまり信用してはいなかったのだけれど、それも強ち外れてはいなかった。

 シオンは寄宿舎前にある松の木の下に蹲り、まるで雨に濡れた子犬みたいに膝を抱えてブルブルと震えていた。早急に手を打つため、私は呪の手紙の処分に取りかかることにした。

 まずは地面に少し穴を掘り、その中で薪を燃やして火を点ける。そして本題はここからだ。呪を解くため〈解呪ノ謌かいじゅのうた〉を唱え、送られてきた呪の手紙を一通ずつ火にくべ、浄化を祈りながら燃やしていった。


「ウェン・イタク・イピカ。エクロク・シュ・ルラ……」


 呪文に呼応し、炎はボッと音をたてて手紙が赤く燃え上がる。

 レンゲさんのおかげもあって今の今まで忘れていたけれど、手紙を見たとたんに露店通りで娘達に囲まれたことを思い出してしまった。腹の底に残っていた不快感がじわりと沸き上がっていた。


「こんなこと、これからも続くのかな? はぁ……街を歩く時は用心しないと駄目ね」


 あまり考えたくはないけれど、あの嫉妬深い娘達の他にも、シュロさんに想いを寄せている娘はたくさんいるはずだ。人のいなくなった通りに入ったとたん、背後から襲われる可能性も否定できない。

 ただでさえ、ここには私を恋敵扱いしてくるヒユリさんがいる。いつ寝首をかいてやろうかなんて、虎視眈々と隙を狙っているかもしれない。どうしてこんなことになったのか。そう思うと、自然と溜息も出てしまう。


「アオバ、何をしてるんだ?」


 噂をすればなんとやら。外に出ていたシュロさんが帰ってきた。

 ぐったりと項垂れ、地面に穴を掘って手紙を燃やしている私の姿を不審に思ったのだろう。シュロさんは怪訝な顔で見下ろした。

 何をしてるんだ……とは何だ。かけられた言葉が妙に腹立たしくて、腹の底から苛立ちがブクブクと音をたてて湧き上がる。こうなったのは一体誰のせいだと思っているのか。怒りを込めてシュロさんを見上げた。


「どれもこれも、シュロさんのせいですよっ」

「お、俺のせい?」

「婚約者でもないのに嫉妬されて、突き飛ばされて着物は破れるし! 呪いはたくさんもらっちゃうし。とばっちりもいいところです!」

「ど、どういうことだ……?」


 まだまだ言ってやりたいことはいっぱいあったけれど、あれこれ説明するのも腹立たしい。今はただ、目の前にある呪いを淡々と処理して、穏やかな心を取り戻したかった。


「私のことは放って置いて、さっさと部屋に戻って下さい」

「なんだ、今日は機嫌が悪いな。からかい甲斐がないっていうのも、俺としては――」

「シュロさん、戻って下さい!」

「わ、わかったよ」


 声を荒げられた理由もわからず、戸惑いながら部屋に向かうシュロさんを横目に、手紙の処分を続けた。

 やっとの思いで全ての手紙を燃やし終えた矢先、カガチさんが新たに届いた大量の手紙を運んできた。もちろん、それらは全て呪の手紙。この様子だと、婚約者だと思われ続ける限り続くような気がする。いっそのこと、彼女達の前で偽りの婚約者だと叫んでやろうか。


 脇目も振らず、一心不乱に手紙を燃やすこと数刻。あっという間に夜がやってきた。

 手短に夕餉を済ませ、しっかり湯につかり、心穏やかになったところで倉庫の薬香の残量を確認。その後、夜盗討伐で怪我をしたという隊員の手当に追われ、結局、部屋に戻ったのは夜も更けた戌ノ刻。


「ただいま戻りました」


 深めの溜息をつきながら部屋に入った。

 中にいたシュロさんは相変わらず、寝台に横にもならず机に向かっている。考え事でもしていたのか、難しい顔で腕を組んで窓の外を眺めていた。


「シュロさん、まだ起きてたんですか?」

「あぁ、少しな。今日はいつもより遅かったな」

「色々作業をしていたので。今日も眠らないつもりですか?」

「そう簡単に治ったら苦労しないだろう?」


 ククッと喉を鳴らし、自嘲気味に苦笑いを浮かべた。

 ふと目に留まったのは、シュロさんの足元にある屑籠。中には今朝まで飾られていたはずの竜胆が、枯れた状態で捨てられていた。それが示すことはただ一つ。


「白狼の力が、また暴れたんですか?」


 私の問いに、シュロさんは躊躇ためらいがちに一度だけ頷いた。


「以前より、回数が多くなった。何かの兆候なのか……ひょっとすると、この血に飲まれて、俺が俺ではなくなる日が来るのかもしれん」

「そんなこと、わからないじゃないですか」

「あくまで可能性の話だ。だが、ないとは言い切れない」


 苛立ったようにも、或いは不安そうにも見えるしかめめっ面を浮かべ、シュロさんは窓の外に広がる夜の闇を睨みつける。やがて、その視線が不意にこちらに戻ってくる。ほんの一瞬だけ見つめられたかと思うと、シュロさんはスッと手を差し出した。


「少しだけ、いいか?」


 一体何のことを言っているのか、わからずに首を傾げる私に痺れを切らしたのか、シュロさんは呆れたように笑って私の手を握った。

 最初は驚いたけれど、それもすぐにおさまった。固く温もりのない義手でもわかる。手の平を介して伝わってきたのは、行き場を失った不安だ。黒龍隊の総長として、隊員の前では常に気を張り詰めている。心に巣食う弱さを押し殺して。だからこんな時くらい、私がその弱さの半分を受け取ってあげたいと思った。


「今日はやけに弱気ですね」

「やはり、夜に考え事をするのはよくないな。アオバの師匠が言うように、妖が心を食らうらしい」


 シュロさんは握り締めた私の手をまじまじと見つめ、その指先にほんの少しだけ力を込めて握った。


「俺の腕が本物だったら、この手の温もりも感じられたんだろうな」

 

 その言葉が胸を締めつけた。

 夜は妖の力が支配する――きっとその時、私の心は妖に食われていたのかもしれない。目の前にいるシュロを今すぐに抱きしめたいという衝動にかられたのは、きっとそのせい。

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