【26】灯篭華と思いの棘

 ◆◆◆◆


 シュロさんの力が日を追う毎に暴れ出すことが心配になり、早急に対処法を探ることにした。

 同じように白狼の力に悩まされているシオンの協力のもと、寄宿舎前に根を張る松の下の木陰に茣蓙ござを敷き、香術に関する古文書や文献を山積みにして作業開始。


「アオアオ、上手くまとまりそう?」

「自然界にある様々なものに妖力が含まれているけど、シュロさんは決まって花から摂取してるでしょう? それは無意識の内に、より多くの妖力が溜まる花を選んでいるからだと思うの。つまり、花の中で最も妖力の強い花を香にすれば、効率よく摂取できるってわけ」


 と、文献に載っている挿絵を指差した。


灯籠華とうろうばな?」

「そう。灯籠華の綿毛には妖力が凝縮されるの。これで作ってみるわ」

「灯籠華……そういえば、今日は灯籠華祭だね。すっかり忘れてた」


 シオンはあまり興味がなさそうな調子で言った。

 年に一度、各地で行われている祭の一つだ。秋口になると〈灯籠華〉という青い花が、火を灯したような光る綿毛をつける。日が沈むと同時に灯籠華はいっせいに綿毛を飛ばすのだが、その光景は息を呑むほど幻想的。

 灯籠華祭は、単に綿毛が飛ぶのを見るというだけのものなのだが、実はこれを見る〝相手〟によって少し意味が変わってくる。昔から〝想い人と灯籠華を見ると結ばれる〟と言われていて、この言い伝えの力を借り、好きな相手に想いを伝えるという特別な日でもあった。


「灯籠華って綺麗だよね。僕、祭には興味ないけど花は好き」

「確か、帝都周辺は灯籠華の群生地があるんでしょう? それを好きな人と見られたら、幸せなんだろうね」

「くだらない」


 私の言葉に重なり、捨て吐くような言葉が投げつけられた。

 ムッとして顔を上げると、馬を連れて通りかかったヒユリさんが目の前に立っていた。相変わらず私を見る目は鋭いし不機嫌そうだけれど、それがいつにも増して不機嫌そう。


「ヒユリさんは興味ないんですか? 灯籠華祭」

「……興味などあるわけがないっ。私は剣術の稽古で忙しいんだ!」


 私に祭など不要だとか、悠長に遊んでいる暇などないと、怒りを露わにして去っていく。それはどう見ても、明らかに「興味がある」と言っているようなもの。おそらく、興味がないのかと訊ねられて〝シュロさんと行きたい〟と、思ったからこその反応だったはずだ。


「今日も機嫌が悪いね、ヒユリさん」

「仕方ないよ。毎年、総長とカガチさんが、たくさんの女の人に誘われるから」

「なるほどね。好きな人が誘われるのを見れば、不機嫌にもなるよね」


 予想はしていたけれど、やはりシュロさんとカガチさんには相当数の誘いがあるらしい。それだけの誘いを受ける者の気分とはどんなものなのだろう。さぞかし気分がいいはず。


「灯籠華祭かぁ。仕事が済んだら見に行って……あっ」


 思い返してみれば、特定の男性と一緒に灯籠華を見に行ったことがない。それは、年頃の娘としてどうなんだろう。そんな疑問に自問自答していると、シオンが興味深げに私の顔を覗き込んできた。


「シオン、どうかしたの?」

「アオアオも総長と見に行ったら?」

「えっ! シュロさんを誘えって言うの⁉」


 シオンはこくりと頷いた。

 祭にシュロさんを誘うということは、すなわち〝あなたが好きです〟と伝えていることになる。それをわかっていて誘うなんて、無理に決まっている。灯籠華は見たいけれど、シュロさんを誘うべきなのだろうか。黒龍隊の隊員達は私が婚約者だと思っているから、一緒に行かない方がむしろ怪しまれるかもしれない。

 誘うべきか否かで悩んでいた最中、急に城門の方が騒がしくなった。まるで悲鳴のような……いや、あれは女の子の黄色い歓声だろうか。


「何の声?」

「始まった。灯籠華祭のお誘い娘」


 シオンはうんざりしたように呟いて立ち上がり、私の手を引いた。


「面白いものが見られるよ。行こう」


 にっこり笑うシオンに手を引かれるがまま、私は城門へと走った。

 鳴り止まない黄色い歓声に導かれて行くと、十数人の娘達がカガチさんに群がっているのが見えた。私とシオンは少し離れた木の陰からその様子を窺った。

 娘達は「カガチじゃなきゃ駄目なの」とか「今年は私と行って」などと口々に誘い、しまいには女同士の喧嘩が始まっていた。


「カガチさん、今年は私と一緒に行ってくれるでしょ?」

「何言ってるのよ、私に決まってるでしょ!」

「ほら、喧嘩しないで下さいね。まったく、困りましたね」


 カガチさんは困ったように腕組みをしているものの、どう見ても困っているようには見えなかった。むしろこの状況を喜んでいるみたい。群がって騒ぐ娘達をカガチさんが宥めていたそこへ、皇墓参拝に出ていた皇帝の警護を終えてシュロさんが戻ってきた。

 その帰りを待っていた娘達は、ここぞとばかりに群がった。彼女達から逃げるように急いで駆け出したシュロさんだったが、その行く手を阻むように一人の娘が目の前に躍り出た。


「あ、あのっ、シュロさん! 私と一緒に灯籠華を見に行ってもらえませんか?」


 緊張と恥ずかしさを必死に押し殺し、彼女は勇気を振り絞って叫んだ。

 外面のいいシュロさんなら笑顔で受け答えしそうなのだが、その時は少し違っていた。笑みを見せるわけでもなく、どこか冷たささえ感じるような鋭い目で彼女を見つめる。


「悪いが、君と行くつもりはないし、俺は特定の女性とそういった関係になるつもりもない。すまないが、他をあたってくれ」


 あまりにもはっきりした態度にその場の空気が凍りついた。

 勇気を振り絞った彼女にとって、その言葉ほど辛いものはない。堪えきれなくなり、そのまま泣き出してしまった。それでもシュロさんは気にも留めず、気遣うこともなく厩舎の方へ行ってしまった。

 その時、胸の奥で鈍い痛みを覚えた。チクリと、細い針で突き刺したような痛みだ。私が言われたわけでもないのに、なぜか心がざわついて痛み出す。

 わからない。わからないけれど、どうしてもシュロさんの言葉が突き刺さる。どうしてこんなに戸惑っているのか、自分でもわからなくなった。


「またあんなに集まってる!」


 突然の戸惑いに飲まれそうになった時、聞こえてきたヒユリさんの声で我に返った。

 いつの間に来ていたのか、私とシオンが隠れていた木の陰にヒユリさんもいて、一緒になって城門の様子を窺っていた。


「ヒユリさん、いつからそこに?」

「ヒユリン、鬼みたいな顔になってるよ? 表情は心を表すものだから、そういう顔になるよ?」


 シオンがやんわりと忠告しても、当のヒユリさんはお構いなし。騒ぐ娘達を憎々しく睨みつけた。


「シオン、あれを見て何も思わないの? あんな城門を塞ぐように集まったら、何かあった時すぐに出ていけない!」

「馬で蹴散らせば?」

「馬が娘達に驚いて暴れる! あぁー、駄目だ! あいつら、追い払ってくるわ!」


 止める間もなく、ヒユリさんは鬼のような形相で娘達のところへ飛んでいってしまった。カガチさんに群がる娘達に「邪魔だ、帰れ!」と怒鳴りつけた。

「城門を塞ぐ」「すぐに出ていけない」というのは口実に過ぎない。ヒユリさんの場合、何かあった時のためというよりも〝シュロさんを誘いに来たこと〟が面白くないだけ。


「アオアオに悲しい顔、似合わないよ」


 何の前触れもなく、シオンはそう言って私の手を握った。


「悲しい顔? 私、そんな顔してた……?」


 私はどんな顔をしていたのだろう。シオンに気を使わせるような顔を無意識のうちに浮かべていたのだろうか。自分ではどんな顔になっているのかわからなくて、確かめるように何度も頬や目元に触れる。すると、シオンはその手を掴んだ。


「僕が治してあげる」

「えっ? シオン!?」


 わけもわからぬまま、再び連れて行かれた。

 寄宿舎入口脇の松の下に戻ったかと思うと「ここで待っていて」と茣蓙ござに座らされ、シオンは一人寄宿舎に入る。それから暫くして戻ってきたシオンは、その手に茶菓子と茶を持っていた。


「この香りは……! ヤマト国の緑茶!」

「昨日、届いたんだよ」


 隣に座ったシオンから湯呑を受け取り、そろりと中を覗き込んだ。芳ばしさの中にほんのり溶けたほろ苦い香りが、絶妙な割合で混ざり合っている。立ち上る湯気さえも美味しいとさえ感じるほどにいい香り。


「甘い物食べると幸せな気持ちになるよ」


 香りを堪能する私に、シオンが茶菓子を差し出した。鮮やかな赤に、結晶が散りばめられたような野苺の砂糖漬けだ。勧められるままに一口。続けて緑茶も一口すする。甘味と緑茶の渋みが見事に合う。口も心も、言葉にならない幸福感でいっぱいになった。

 きっと、今の私は頬が緩んで情けない顔になっていることだろう。そんな私を嬉しそうに見つめていたシオンが――


「僕ね、アオアオの心が好き」


 何の前触れもなく、突然そんなことを言い出したものだから、驚いて咳き込みそうになった。


「こ、心⁉ 急にどうしたの?」

「今日は灯籠華祭だから特別。言ったことなかったから言おうと思って。揺るがない強い心と魂に惹かれたの」


 恥ずかしがる様子もなく嬉しそうに告げた。

 きっとシオンは男女としての〝恋〟や〝好き〟ではなくて、人として好意を持っていると言いたいのだと思う。嫌われるよりは好かれた方が嬉しいし、真っ直ぐな言葉は言われて嫌な気にはならない。それでも、なんだか嬉しさ混じりのむず痒さは感じるものだ。


「おや、楽しそうですね」


 そこへシュロさんとカガチさんがやってきた。

 木陰で茶を飲んでいるのが気になったのか、二人は興味深げに覗き込んでくる。特に嫌な思いをしたわけでも、喧嘩しているわけでもないのだけど、その時はシュロさんの顔を見るのが嫌で、咄嗟に顔を背けてしまった。


「これは、紅玉堂で売っている砂糖漬けの野苺か」 

「二人だけで食べるなんてずるいじゃないですか。私達にも分けて下さいよ」


 シュロさんとカガチさんが手を伸ばしたとたん、シオンは二人の手を思いっきり叩いた。シュロさんはきょとんとし、カガチさんは目を丸くして何度も瞬き。一方シオンは、頬を軽く膨らませてムスッとした表情を顔に貼りつけていた。


「何だ、一つくらいいいだろっ」

「……総長は罪作り。きっと罰が当たるよ」


 当るというより当たってしまえと言わんばかりに言い放ち、お茶をズズッとすすった。ご機嫌斜めなシオンに困惑し、シュロさんは私のもとに歩み寄って声を潜めた。


「シオンはどうしたんだ? 機嫌でも悪いのか?」

「さ、さぁ? 何かあったんじゃないでしょうか?」


 どうしよう、心がざわつく。

 近くにいると何だか息苦しくて、顔をまともに見ることができない。こんな気持ちに支配される理由が見当たらず、ただただこの場から逃げたくなって立ち上がった。


「アオバ、どうした?」

「買い出しに行くのを忘れていました! 私、街に行ってきます」


 背後でシュロさんが呼び止める声が聞こえたけれど、今は立ち止まる余裕すらなかった。私はその声を振り切って城を飛び出した。

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