【23】身に降る禍は雨の如く

 雑草だらけだった裏庭の整地が終わり、黒龍隊の薬草園がもう少しで完成間近を迎えていた。そんな、ある朝のこと――

 薬草の苗を植えて裏庭から戻ってくると、何やら様子のおかしいカガチさんとシオンが寄宿舎前に立っていた。カガチさんはひどく困った面持ちで腕を組み、シオンに至ってはブルブルと怯えて震えているようだった。


「あのぉ……二人共、何かあったんですか?」


 遠巻きに見ても明らかに様子がおかしく、どうにも気になって声をかけた。カガチさんは「丁度よかった!」と、私の肩をしっかりと掴んだ。


「アオバさん宛ての手紙が届いたのですが、それを見たシオンがなぜか怯えていましてね」

「手紙、ですか?」

「えぇ。見ていただけますか?」


 カガチさんは足元に置いていた木箱を差し出した。それを受け取ったとたん、シオンは私から飛び退いて離れ、カガチさんの腕にしがみついて震えた。


「シオン⁉ どうしちゃったの?」

「渦巻く念、憎悪、こ、怖い……!」


 シオンのその怖がり方は異様なほどで、ギュッと目を瞑り、さらに激しく震えるありさまだった。そんなシオンの態度を見てしまっては、さすがに私も怖くなってきた。一体、この手紙に何があるというの……?

 じわりと手の平に滲む汗と恐怖心を堪えながら、そろりと箱を開けた。中には大量の手紙がおさめられている。全ての手紙に〝神代アオバ様〟と書かれていることから、私宛に送られてきたのは間違いない。ただ不思議なことに、どの手紙にも差出人の名前がなかった。


 とりあえず、その内の一通の封を開けてみることにした。そこに書かれた内容を目の当たりにし、衝撃にも似た驚きに襲われて言葉を失った。

 紙を手にしたまま硬直している私を不審に思い、カガチさんが横から手紙を覗き込んだ。私が沈黙を貫いている理由を知り、苦笑いを浮かべる始末だった。


「おやおや、これは穏やかな手紙じゃなさそうですね」

「そ、そう、みたいですね」


 開いた手紙いっぱいに「呪ってやる」という文字が、これでもかというほど大きく書かれていた。なぜ私が呪われなければならないのか。恨みを買うようなことをした覚えなど全くない。

 何かの間違いだろう。そう思いながらも他の手紙を開けてみれば、今度はその恨みの正体が明らかになった。どれを開いても「シュロさんから離れろ」「シュロさんと別れないと呪ってやる」という言葉ばかりが並ぶ。カガチさんは、なるほどと納得していた。


「どうやら、総長に憧れる帝都の娘達からの手紙だったようですね」

「憧れる?」

「本人は気づいていませんが、総長はなかなか女性に人気がありましてね」


 その言葉で全てがわかった気がした。

 娘達の憧れであるシュロさんに、突如として婚約者が現れた。「自分がいつかシュロさんの恋人に!」と思っていた娘達の想いは打ち砕かれ、やがてそれは嫉妬心へと姿を変える。つまり、婚約者である私が嫉妬の対象となり、その結果が呪の手紙へ行き着いたわけだ。


「本当の婚約者でもないのに。どうしてこんな仕打ちを……?」

「その事実を知っているのは、我々だけですからね。アオバさんも、厄介なことに巻き込まれてしまいましたね」

「……カガチさん、面白がっていませんか?」

「えぇ、もちろん。それはもう、かなり」


 嘘偽りのない素直な返答が妙に腹立たしくて、手紙の入った箱をカガチさんに突き返した。私の手からカガチさんの手へ箱が移動するや否や、傍にいたシオンは慌てて飛び退き、今度は私にしがみついた。


「女性の怨念ほど、恐ろしいものはありませんからね。後でちゃんと念を取り除いて燃やしますから、どこか蔵にでも隠しておいて下さい。私は出かけます!」

「おや、どちらへ?」

「裏庭に植える薬草の苗と、香料を買いに街へ行ってきます。お昼までには戻ると、シュロさんに伝えておいて下さい!」


 語気を強めて踵を返し「頼みましたよ!」と念を押して、私は街へ向かった。

 嫌なことが起こった時は、その事ばかり考えてしまいがちだ。考えたところで切が無いから、普段から楽しいことを考えて忘れるようにしているけれど、今回ばかりは状況が違う。身に降りかかった出来事が強烈過ぎて忘れられそうにない。

 呪の文字が脳裏に浮かび、消えてはまた浮かびを繰り返す。今日は雲一つない晴天だというのに、気分はどんより曇り空。こんな時の荒療治は、好きなことを思う存分満喫するに限る。


「おばちゃんっ。それとそれ、あとそっちの香料も下さい!」


 露店通りにある行きつけの店にやってきた私は、香術の材料を手当たり次第に注文した。いつもなら手を出すのに躊躇するような値の張る香料も、研究のためだと自らに言い聞かせて購入した。


「なんだい、今日はやけに多く買うね。何かあったのかい?」

「ちょっと……気分が滅入りそうなので、好きな香術の研究に没頭しようと思って」


 話している最中も手紙のことが脳裏を過り、気づけば自然と溜息が増えていた。すると、おばちゃんが身を乗り出して頬を抓ってきた。


「いたたっ。お、おばちゃんっ!?」

「ほら、溜息つくと幸せが逃げちまうよ。〈ロコウ〉から届いたばかりの香料、おまけして付けておくから元気出しな」


 そう言って見せてくれたのは、この辺りでも珍しい鈴蘭の香料だった。

 農業大国である〈ロコウ〉は土壌が豊かなため、農作物はもちろん、香術に欠かせない薬草や香木の質も群を抜いて高い。当然のことながら、質の良い材料から抽出される〈ロコウ〉産の香料はさらに値が張る。そんな貴重なものを分けてくれるというのだから、どんよりしていた気分もすっかり晴れた。悪い事が起こったら必ず良い事があるとお師匠様が言っていたけれど、あながち嘘ではなかったらしい。

 

 店を後にした私は、次なる材料を求めて別の店へ移動。鼻歌まじりに気分よく通りを歩いていた、その時――突然腕を引かれ、そのまま薄暗い路地に引きずり込まれた。

 一体何事かと驚いて顔を上げれば、十数名の娘達が退路を断つように路地の入口と私の背後に立っている。取り囲んでいる女性達は皆、綺麗に結った髪に宝玉をあしらった簪を刺し、色鮮やかな朱色や瑠璃色の着物を纏っていた。身形が良いところを見ると、おそらく平民ではなさそう。

 

 士族か商人の娘か。いや、彼女達の身分など関係ない。問題なのは、私を睨みつける彼女達の眼差しの方。鋭く、相手を突き刺すような視線……どう見積もっても嫌な予感しかしなかった。


「あの……私に何か?」

「あんたがシュロ様の婚約者なんですって?」


 私にかけられた第一声がこれだった。この展開は、もしかしなくても〝呪の手紙〟に関係がありそうだった。

 せっかく良い事があったばかりだというのに、またしてもあの不気味な手紙のことを思い出してしまった。気分はあっという間に地の底へと落ちていく。


「こんな小娘が婚約者ですって? 冗談はよしてほしいわ!」

「あんたみたいな小娘が、どうやって取り入ったのか知らないけど。シュロ様に近づくなんて許せない!」

「いや、だからその話は――!」


 言葉を発したとたん、娘の一人に突き飛ばされ、その拍子に勢いよく地面に転んだ。

 あぁ、これは間違いなく嫉妬心だ。嫉妬に駆られた彼女達の中に、話を聞いて真実を確かめようという穏やかな考えの持ち主はいないらしい。そもそも、争いごとが嫌いな者はこんな薄暗い路地裏に連れ込んで、たった一人の小娘を相手に十数名の仲間を引き連れて先制攻撃など仕掛けてこない。


「痛っ。ちょっと、何するのよ!」


 さすがに黙っていられずに声を上げたものの、娘達は怯むどころか負けじと睨みつける。その迫力たるや、もはや一人で立ち向かえる雰囲気ではなかった。


「シュロ様に、あんたは相応しくないわ」

「婚約者なんて認めない。すぐに別れなさいよ!」

「いや、そもそも違うんだけどなぁ……」


 別れるもなにも、現時点で恋人でもなければ、婚約もしていない偽りの婚約者なのに。ただ、それを丁寧に説明したとして、彼女達がどこまで信用してくれるだろうか。何かを言えば言うほど、疑われるのは目に見えている。

 あぁ、神様……まるで見計らったみたいに、通りすがりの誰かさんがこの状況を見兼ねて助けてはくれないだろうか。そんな淡い期待をしていると――


「寄って集って情けないね」


 路地の奥からカラン、カランと下駄の音が聞こえたかと思うと、一人の女性が娘達を強引にかき分けて私の元へとやってきた。

 腰まである長い黒髪に、目が覚めるような紅色の着物。肌は雪のように白く、すらりと伸びた手足が息を呑むほどに美しい。娘達の身形もたいそうなものだが、その女性の身形もまた、艶やかで妖しい色気があった。

 誰かが助けてくれないかと願ったけれど、まさか本当に通りすがりの者に助けられるとは予想外だった。呪の手紙をもらって最悪な一日だと思ったけれど、今日は案外ついているのかもしれない。


「何なのよ、あんた!」

「何も知らないくせに、口出ししないでよ!」


 野良犬みたいにキャンキャン吠える娘達に対し、彼女は呆れたように冷笑する。煩くて耳が痛くなりそうだと嫌味を言いながら、素早く私を立たせ、そのまましっかりと肩を抱き寄せた。


「あんたら何様のつもり? お目当ての男に女がいて、気に食わないから女の方を潰そうって? 陰湿ね。その生き方のままなら、あんたらがこの先あの黒龍隊の総長の目に留まることはないわ。一生ね」

「な、何ですって!」

「調子に乗るな!」


 娘達はいきり立った。けれど、それも一瞬のこと。

 彼女が眉間にシワを寄せ、睨みつけると同時に深く息を吸い込みながら胸を張った。長く美しい手で軽く前髪を掻き上げただけで、言葉にならない威圧感が辺りに漂う。とたんに、娘達は怯んだ。

 生半可な脅しなど通用しない――そんな鋭い空気が一瞬で辺りを飲み込んだ。


「自分を磨いて振り向かせる努力くらいしたらどうなの? そんな自信もなくて、ぎゃあぎゃあ騒ぐことしかできない小娘が、偉そうな口を叩くんじゃない!」


 その一声は、牙をむいて唸る虎か獅子のようだった。

 〝文句があるなら言ってみなさいよ〟と無言の威嚇をされ、もはや娘達に歯向かう勢いなどなかった。何も言い返せなくなった娘達は、悔しげにその場を去っていった。


「あ、ありがとうございました!」

「あんたのためじゃないわ。私はああいうヤツらが嫌いなだけ。自分は何の努力もしないくせに、それを棚に上げて他人ばかり非難するようなヤツは最低よ」


 彼女は唸るように溜息をついて、あからさまに嫌悪感を露わにしていた。そんな彼女の姿に親近感を覚えた。その話し方や雰囲気、立ち居振る舞いがお師匠様とよく似ていたからだ。


「それより、さっきは大丈夫だった? 突き飛ばされていたでしょう?」

「平気です。どこも怪我していませんし」

「そう。それなら……あっ」


 彼女が何かに気づいて声を上げた。じっと見下ろしているのが気になり、視線を追っていくと、私の着物の裾が大きく破れていた。


「あっ!」

「さっき転んだ時に破れたんだわ。派手にやっちゃったわね」

「うぅっ、どうしよう……」

「んー……仕方ないわね。そんな状態で通りを歩くなんて恥ずかしいだろうし。私の家はここから近いの。着物、貸してあげるわ」

「えっ! いえ、そこまでご迷惑をかけるわけには」

「素肌が丸見えでも我慢できるっていうの? 案外、見た目と違って大胆なのね」


 遠慮はしたものの、本音を言えば途轍もなく恥ずかしい。思いの外大きく破れていたせいで、少し歩くだけで太腿までしっかり見えてしまう有様だった。


「そのままで帰る?」

「えっと……お言葉に甘えても、いいですか?」

「もちろん。それじゃあ、ついてきて」


 彼女はくるりと踵を返し、再び路地の奥へと歩き出す。私はその後を追った。

 家に向かうまでの間、自らを〝レンゲ〟と名乗った彼女に、シュロさんに拾われて黒龍隊の専属香術師をしていることや、シュロさんとの本当の関係について説明した。

 あの娘達に囲まれた本当の理由を知ったレンゲさんは「何かあったら私に相談しなさいよ」と、出会ったばかりの私にそう言ってくれた。困った人を放っておけない面倒見の良いところもお師匠様にそっくりだった。

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