【19】師匠の教え

「……仕事が済めば、好きなことをしていいって言ったのはシュロさんですよ?」

「そうは言ったが、出かける時はちゃんと行き先を伝えて行け。婚約者の行方を知らん俺の身にもなってほしいな」

「あれ? 伝えていませんでした?」

「わざわざ隊員が〝アオバさんがいなくなりました〟と、逐一連絡を入れてくるのだけは勘弁してくれ」


 あからさまに嫌味を含んだ愚痴をこぼされてしまった。偽りの婚約者と言えども、本物であるかのように証拠作りに気を配らなければならないらしい。


「以後、気を付けます」

「信用ならんな。これを機に、手綱でもつけるか?」


 いくらなんでも、それは困る。言い返してやろうと思ったけれど、それもお得意のからかいと嫌味。見上げれば、可笑しそうに含み笑っているシュロさんがいる。


「シュロさん、趣味悪いですよ」


 文句を言い返したのと、ほぼ同時だっただろうか。このまま連れ戻されるかと思っていたのに、なぜかシュロさんは隣にドカッと座った。


「総長がこんな所で油売ってていいんですか?」

「今は休憩中だからいいんだ。それより」


 そこで言葉を切り、ゆっくりと辺りを見回す。小さく頷きながら、視線はぐるりと一周して私のもとへ帰ってきた。


「毎日どこかへ出かけていくと思ったら、こういうことだったのか」

「……気づいてたんですか?」

「後、つけさせてもらった。こんなに傷だらけの手を見れば、何かあると思うだろう」


 急に手を握られ、びくりと体が跳ねあがった。

 私の手は、指先や甲は細かい擦り傷でいっぱいだった。薬草を採取する際に傷がついてしまうのだけど、それほど大袈裟な傷ではない。

 あまり人に興味がなさそうだから、この程度の変化にも気づかないだろうと思っていたけれど、そこはやはり黒龍隊の総長。このくらいの変化に気づけないようでは、総長は務まらないわけだ。


「こんな小さな傷に気づくなんて、さすが総長ですね」

「冗談言ってる場合か。まったく。他人の傷は治すくせに、自分の傷は治さないんだな」

 

 薄らと瘡蓋かさぶたになっている傷を、指先でなぞるように触れ、可笑しそうに吹き出した。急に恥ずかしくなり、視線から逃れるように顔を背けた。


「そ、そんな暇がなかっただけです」

「なんだ、意外と不器用なんだな。こっそり何かをしようと企むなら、気づかれないようにとことん隠せ」

「シュロさんを侮っていただけです」

「今度からは上手くやれよ。おい、坊主」


 目の前にいたナタを呼びつけ、綺麗な布を持ってきてほしいと頼んだ。

 一体何をするつもりなのかと様子を窺っていると、シュロさんは布を細長く切って、それを私の指先に巻き始めた。


「シュロさん、何してるんですか?」

「何って、見ればわかるだろ? 手当だ、手当。あっ、動くなよ。せっかく巻いたのにずれるからな」


 やけに真剣だったせいか、断ることができず大人しくしていた。

 クルクル、クルクルと、ようやく巻終えて傷は保護されたけれど、それがどうにも不器用で不格好。お世辞にも上手だとは言えない仕上がりに子供達は大笑いした。


「おじさん、下手だね」

「なっ! たまたまだ、たまたま」


 傷の手当は苦手だが香なら作れるぞと、作業をしている女の子から乳鉢を奪って、見様見真似で作業を始める。けれど、どうしても不器用。

 力加減を間違って乳棒は折ってしまうし、乳鉢から薬草はこぼすし散々だった。子供達も見兼ねて乳鉢を取り上げていた。


「シュロさんにも、できないことってあるんですね」

「そりゃ、俺にだって向き不向きくらいはある」


 すねる姿はまるで大きな子供。けれどそんな顔を見せていたのはほんの少しだけ。不意に真剣な表情を浮かべ、華香で遊ぶ子供達を見つめた。


「どうして、こんなことを始めたんだ?」


 シュロさんは唐突に訊ねてきた。


「黒龍隊に連れてきた時、香術の研究をしたいと言っただろう? 露店通りで商売を始めたから、それがしたいことなんだと思っていた。だが、ここでしていることは一銭にもならない。ましてや、商品ともなる香を無償で教えていいのか?」

「別に、お金儲けがしたいわけじゃありませんから。私は、助けてもらった分だけ他の人を助けたかったんです」


 作業の手を止め、持っていた乳鉢を静かに見下ろした。


「これは、私のお師匠様の教えなんです」

「師匠? 香術の師匠か?」

「紅炎の大戦で両親と兄を失った私を、通りかかった香術師が拾ってくれました。弟子入りをして香術を習って、いつかお師匠様に恩返しをって思っていたんです。でも」

「でも?」

「恩返しがしたいって話したら、こっ酷く叱られました」



 ―― 私はあんたから見返りが欲しくて助けたんじゃないよ。私がやりたいことをしただけ。助けてもらった礼を助けられた相手に返すのは誰でもできる。だから、自分が助けられた分だけ誰かを助けろ。そうやって人の想いは広がっていくんだよ。



「私は今まで、たくさんの人に助けられてきました。お師匠様に、お師匠様のお母さん、ショウジョウの人達。だから、受けた礼は私が誰かに返すんです」

「そうだったのか。それで、今もその師匠はショウジョウにいるのか?」

「さぁ、どこに居るんでしょう?」


 問いに問いで返されたシュロさんは、どういうことかと首を捻った。


「もともと放浪癖のある方でしたから。私に一通りの香術を教えた後、見聞を広げるんだとか香術を極めるんだって、気付いたら姿を消していました。かれこれ5年は会っていません」

「アオバからは想像のつかない師匠だな」


 適当で大雑把で、悩むことを知らない師匠は、私とは正反対の人。けれど香術の腕は確かだし尊敬もしている。本当に、今頃どこで何をしているのだろう。もしかしたら、店が売られているのを知らずに帰って驚いているかもしれない。

 今まで散々放浪していたのだから、そのくらい驚いてもらわないと割に合わない。それがきっかけで放浪癖が治るかもしれない。そんなことをぼんやり考えていると、遠くで巳ノ刻みのこくを知らせる鐘が鳴り響いた。


「もうそんな時間か」

「そろそろ戻らないと、皆が心配しますね」


 立ち上がったのを見て、ナタや他の子供達がすかさず駆け寄ってきた。


「お姉ちゃん、もう帰っちゃうの?」

「うん。でも、また来るね」

「本当に? 約束だよ!」

「うん、約束するね」


 指切りを交わし、私とシュロさんは皆に見送られて貧街区をあとにした。

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