【17】恋人とは

 ◆◆◆◆


「ふあぁぁぁ……」


 もう何度目になるかわからない欠伸をしながら、乾燥した薬草を乳鉢で擦り潰した。

 ここ数日、徹夜で薬香ばかり作っていた。それはもちろん、ナタや貧街区の人々のため。

 ナタの妹の風邪を治すために貧街区へ行ったけれど、そこは私が思っていた以上に物が不足していた。あらゆる妖術が溢れ、優れた技術が生まれる大国の帝都でありながら、貧街区ではすぐに治せるような傷も対処できず、悪化させることがほとんど。妖術大国とは表の顔であり、全てが幸せに包まれているというわけではない。暗く影を落とす場所が存在するのだと思い知らされた。

 これから先何が起こるかわからない。すぐに対処できるよう、少し多めに作って渡そうと思った結果、徹夜の毎日になってしまった。


「なんだ、また薬香を作ってるのか?」


 部屋に入ってくるなり、シュロさんは呆れとも感心とも取れる声で訊ねた。なぜこればかり作るんだと、机の上に山積みになった薬香を手に取った。


「俺が見ている限りだと、ここ数日はこればかりだ。倉庫を見てきたが、十分に備蓄してあっただろう?」

「たくさん作ったんですけど……皆さん怪我が多いので。幾つあっても困らないと思いますよ? あっ、そうだ! この間話した裏庭の件、聞いてくれました?」


 悪い事をしているわけではなかったけれど、何となく話し辛くて話題を逸らした。素直に話すべきなのは重々わかっている。ただ、それで嫌味を言われては割に合わない。貧街区のことは自分で始めたことだから、余計なことを話したくなかった。


「陛下から許可を貰ってきた。好きに使っていいとのことだ」

「本当ですか! それじゃあ、近いうちに薬草の種か苗木を買ってこなきゃ」

「使うのは自由だがな。植えた薬草、枯らすなよ?」


 相変わらず小馬鹿にしたような物言いで、おまけに半笑いを向けてくる。私はそんなに不器用に見えるのだろうか。そう見られているのだと思うと、何だか腹立たしい。


「枯らしません。言っておきますが、私は香術師ですよ? 薬草や香木の栽培に関しては専門職です!」

「そうだといいが?」


 私はムッとして、ほんの少しだけ口を尖らせた。シュロさんは基本的に優しい人だけど、時々こんな嫌味を口にしたりする。多分、私のことをからかって面白がっているのだろう。

 当初の予定は安価で使用頻度の高い薬香と香木だったけれど、腹癒せに馬鹿高い薬草でも大量に買って、困らせてやるのも悪くない。


「なぁ、アオバ」


 突然、シュロさんは机に手をつき、前かがみの姿勢で顔を覗き込んできた。半分睨み、半分凝視のようにジッと見つめられ、思わずのけ反った。


「な、何ですか?」

「俺に何か隠してないか?」

「隠してるって、何を隠すっていうんです?」


 何を根拠にそう言うのか。無言のままじっと見つめ返したが、今のままでは根負けしそうだった。

 まさか、勘付かれたのだろうか。あまりにも真っ直ぐ顔を覗き込んでくるものだから、心の中まで見透かされそうな気がした。どうにか誤魔化さなくては。そう思っていた時、トトンッと戸を叩く音が割り込んだ。


「シュロ、ワシだ」


 聞こえてきたその声は、間違いなく渡会わたらいさんだった。

 戸を挟んだ向こう側にいるのが渡会さんだとわかった途端、シュロさんは慌てて隣に座り、私の体をヒョイと持ち上げてそのまま膝の上に乗せられてしまった。


「ちょっと、何してるんですか!」

「演技だ、演技っ。渡会さんはかなり疑り深い人なんだ。おそらく俺達を偵察に来たんだろう。いいか、恋人同士のように振舞うんだ!」

「振舞うって、どうやってですか!」

「なんでもいいっ」


 返ってきた答えに、困り果てて唇を噛むしかできない。

 今、シュロさんの腕に掴まっている私の手の位置は問題ないだろうか。視線はどこに合わせれば、恋人同士ように見えるのか。疑われないように振舞うには、誰も割り込めないような甘い雰囲気を見せつければいいということなのか。あれこれ考えていた矢先――


「シュロ、入るぞ」


 答えが出る間もなく戸が開いた。

 それを合図にシュロさんはいっそう強く体を抱き寄せ、距離はぐっと縮まる。演技をしなければと思う私の意思に反して、体は反射的に仰け反ってしまった。

 恥ずかしさのあまり逃げたいくらいだった。けれど、これもここで生活するためにはやむを得ない。シュロさんの顔を両手でそっと包み込み、引きつりそうになる表情を満面の笑みに変えて誤魔化した。


「シュロさん、大変だわ。目の下にクマが!」

「ははっ、仕方ないだろう。お前のことが可愛いあまり、夜通し寝顔を見ていたからな」

「まぁ、シュロさんったら」


 こんなわざとらしい猿芝居に誰が引っかかるというのだろう。

 気づかれてはいないかと、心臓が飛び出しそうなほど焦りながら、横目でちらりと見やる。最初は驚いていた渡会さんも、この演技に騙されてくれたらしく、満足気な笑みを浮かべて何度も頷いていた。


「なんだ、邪魔してしまったようだな」

「あぁ、これは渡会さん! すみません、こんな姿を見せてしまって。すぐに茶を用意いたしますので」

「いやいや、構うことはない。近くへ来たついでに、お前の顔を見に寄っただけだ」

「そうでしたか。あっ、申し訳ありません。そろそろ帝都の外へ警邏に出ますので。アオバ、行ってくるよ」


 〝後は任せた〟と、耳元で囁いて手の甲に唇を落とす。

 上手くあしらってくれと言わんばかりの笑みを残し、シュロさんは逃げるように部屋を出て行った。その背中に向かって「卑怯者!」と叫んでやりたい気持ちでいっぱいだ。

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