【16】妖

 何かがいる。

 私とナタは顔を見合わせ、恐る恐る振り返った。

 最初は暗くて良く見えなかった。闇に目をこらして、じっとしていると、木と木の間にぼんやりと人影が見えた。野生の獣かと警戒したけれど、それが人であるとわかって少し安心した。

 その影がわずかな木漏れ日の下に姿を現したとたん、その者は足から崩れ落ちるように倒れてしまった。


「えっ、やだ、大変! 大丈夫ですか、しっかりして下さい!」


 私とナタは慌てて駆け寄り、介抱しようと抱き起して驚いた。その青年の肌は雪のように青白く、薄らと開いた瞳は黄金色で瞳孔が縦に細長い。間違いなく彼は夜叉族だった。


「お姉ちゃん、逃げようよっ! 夜叉族だっ」


 夜叉だとわかったとたんに怖くなったのか、ナタは私の腕を引っ張って急かした。

 私もすぐに逃げるべきだとは思った。ただ、その青年は腕に深手の傷を負っていて、出血も酷い。放って置けば命取りになる。


「酷い傷だもの、すぐに手当しなきゃ」

「……必要、ない。人間の、力なんて……借りねぇよ」


 息も絶え絶えに声を絞り出し、青年は私の手を跳ねのけて起き上がろうとした。

 力なんて借りない――この言葉が全てを物語っている。命を落としたとしても助けられたくない。それが夜叉としての本心だろう。だからといって、放って置けるような状態ではなかった。


「あなたは嫌かもしれないけど、我慢して下さい。ここで見捨てるのは私の信念に反するから、あなたを助けます」

「だから……必要ねぇって言ってるだろ!」

「強情な人ですね。人間とか夜叉とか今は忘れて、素直に治療されて下さい!」


 それでも抵抗を示していたけれど、私も引かなかったせいか途中からは諦めた様子だった。売り物の薬香をいてなんとか出血も止まり、傷口も閉じ始める。その間、青年も大人しく手当を受けていた。


「よしっ、これで大丈夫。きっと私達より妖力は強いから、もう眩暈もおさまっていますよね?」


 そう訊ねると、私の膝枕で横になっている青年は、無愛想な顔でこちらを見上げた。

 先程まで虚ろだった瞳は、すでに鋭さと強さを取り戻している。やはり、夜叉族が持つ治癒力は人間よりも遥かに上だ。


「やっぱり。もう大丈夫ですね」

「……どうして助けたんだ?」


 なぜ敵対している夜叉族を躊躇ためらいもなく助けたのか、それが青年には不思議だったらしい。私にとっては何も不思議なことではないのだけれど、彼には理解できなかったみたいだ。


「助けたいって思うこと以外に理由がいりますか? 人間だろうと夜叉族だろうと、私が助けたいと思ったから助けたんです。いけませんか?」

「そんな簡単な理由で、俺を助けたのか? どうせ、何か魂胆があるんだろう」


 信じられん、そう言いたげな目を真っ直ぐに向けていた。あまりにも凝視するものだから、目に見えない視線の矢が可視化できそうな気がした。


「そう思いたいなら、ご自由にどうぞ」

「……借りは必ず返す。夜叉は交わした約束は必ず守る」


 青年はそう告げて素早く立ち上がると、その勢いのまま走り去った。姿はあっという間に森の中に消え、聞こえていた足音も闇の中へと溶けていった。

 それまで恐怖心から一言も発していなかったナタも、青年がいなくなったことで安心したのか、吐息を震わせながら溜息を深くついた。


「お姉ちゃん、ここにいたら別の夜叉が来るかもしれないよ? 早く帝都に戻ろうよ」

「わかったわ。薬草もたくさん採ったし、妹さんの所に帰りましょう」


 両手いっぱいに薬草を抱え、足早にその場を後にした。

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