【15】幼い客
「全部で5銀です」
「あら、そんなに安くていいのかい? 本当に助かるよ、ありがとう」
老婆に薬香を渡し、私はそれを笑顔で見送った。
黒龍隊にお世話になって早ひと月あまり。香術師としての仕事をこなしつつ、空いた時間を使って商売の準備を着々と進めていった。そうして昨日、役所に行って〈商売手形〉という露店通りで商売をするための許可証を手に入れた。これでまた調香屋として仕事ができるようになった。
露店での商売ではあるけれど、今日は調香屋として再出発できたという晴れやかな日――天気も良好、絶好の商売日和だというのに、私の心は曇り気味。頭の中を何度も過るのは、シュロさんが流した、あの涙だった。
「きっと……夢でも見ていたんだよね」
そうは思ったけれど、夢を見て泣くことはそうそうあることではない。よほど辛い夢だったのだろう。〝夢はその人の心を示す〟と言うけれど、シュロさんは何かに悩んでいるのだろうか。
「お願いだよっ。これで薬を売ってよ!」
賑やかな通りでもはっきりと聞こえるほどの声が響いた。
ちょうど向かいに店を構える香術師の男にしがみついて、薬を売ってほしいと叫んでいる10歳くらいの少年がいた。男は売る気がないのか、しがみつく少年を迷惑そうな顔で見下ろしている。
「あぁっ、離れろっ。貧街区のガキに売る薬香なんてねぇよ!」
寄るなと強引に引きはがし、香術師は店じまいをして去っていく。勢いで転んだ少年の手から、ジャラジャラとお金がこぼれて通りに散らばった。必死に拾い集める少年を見ても、通りを行き交う人々は手を差し伸べることもなく、ただ横目に見やるだけだった。
帝都には〈
どんな身分だろうと、客に変わりはない。ただでよこせと言っているわけではないのに、人を見て商売するなんてどうかしている。それに、子供が一人で薬香を買いに来るくらいだ。それなりの事情があるのは、誰が見ても気づくはずだ。
「ねぇ、ちょっと待って」
持っていたお金を拾い集め、肩を落として歩き出した少年に声をかけた。最初はきょろきょろと見回していたが、自分が呼ばれているのだと気づくと、自らを指差した。
「僕のこと?」
「そう。名前、教えてくれる?」
「……ナタ」
突然名前を聞かれたものだから、少し警戒したみたい。ナタは不審者でも見るような目で私を見つめた。
「私はアオバ。ねぇナタ、薬香が必要なの?」
「うん。妹が風邪を引いちゃって、熱があるんだ」
「大変っ。手遅れになる前に対処しないと」
「でも……」
ナタは悔しそうに顔を顰め、お金を握った手を強く握りしめた。
「大丈夫。薬香なら私が売ってあげるわ」
「本当に!」
パァッと明るい笑顔を見せ、ナタは持っていたお金を差し出した。私がそれを突き返すと、その行動の意図が理解できなかったらしく、ナタはきょとんとしていた。
「薬香のお代は、もっと価値のあるものがいいな」
「僕、そんな高価なもの持ってないよ……?」
何を要求されるのか、不安になったナタは身構えている。
私は悪人ではない。自分よりも幼い子供から、金品を巻き上げようなんて貧しい心は持ち合わせていないもの。そういう嫌われ役は、お金のことしか頭にない富豪や領主がやればいい。
「帝都の近くに綺麗な泉のある森はない? そういう泉が湧き出る場所には、私が欲しいものがたくさんあるの。できれば人が近づかないような森がいいわ」
「森? あっ、それなら知ってるよ」
「本当に? よかったら、そこへ案内してくれる?」
すぐにでも見ておきたいと頼むと、近くだから案内できるとナタは自慢気に話してくれた。すぐさま店を畳み、私はナタと共に街の外へ出た。
東へ一里ほど歩くと〈夜光ノ森〉と呼ばれる場所に到着した。鬱蒼と生い茂る木々が陽を遮り、森の中はまるで夜のように暗く気味が悪い。いつ何が起こってもおかしくはない怪しさと危険を孕んだ風が、その場にどんよりと漂っていることもあって、帝都の人々もあまり踏み入れることはないそうだ。
それに反して、森の中でひっそりと湧き出す泉は、言葉を失うほどに幻想的だった。青玉と翡翠を溶かしたような蒼い水は、底まではっきりと見えるほど透き通っている。
「綺麗……こんなに綺麗な蒼い泉なんて初めて見たわ。それに、この森の環境よ。解毒や解熱に使える
「お姉ちゃん、森の場所を教えたけど……これでいいの?」
「うん、ありがとう。とっても価値のある薬代をもらったわ」
すると、ナタは目を丸くして驚いた。
「ここを教えただけだよ?」
「香術の材料費ってばかにならないの。街で仕入れると高くつくし。この場所さえわかれば、自分で採りに来られるから、お金もかからないのよ」
腰に差していた護身用の小刀を抜き、泉の傍に生えた夜光樹の幹に触れた。
「たくさん採って街へ戻りましょう。妹さんの風邪を治すには、薬香いっぱい作らないとね」
「うんっ!」
どれが解熱に使え、どれが毒になるのか。ナタは何度も私に訊ねながら、必要な薬草を共に採り集めてくれた。
妹はどんな子で、食べ物は何が好物なのか。森に漂う薄気味悪さを少しでも感じさせないよう、他愛もない話を弾ませていた、そこへ――パキッと、背後で小枝が折れる音がした。
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