【13】白狼の契約

 ◆◆◆◆


 寄宿舎へ戻ったのは、酉ノ刻とりのこくを回った頃だった。

 戦った後で気も高ぶっているはずだし、それを鎮めるためにも何か温かいものをと、給仕場で茶を入れてから部屋に戻った。


「お茶、はいりました」


 先に戻っていたシュロさんは、部屋の中央に置かれた長椅子に座り、穴の開いた右の義手をじっと眺めながら、そこにぐるぐると布を巻いていた。


「あぁ、すまないな」

「腕、直さないんですか?」

「専属の技術師が不在で、しばらく直せそうにないんだ。だから、こうして応急処置だ。義手とはいっても、穴が開いていては隊員達に気味悪がられるからな」


 私は向いの長椅子に腰掛け、間にある机に茶を置いた。シュロさんはそれを受け取り、熱そうに一口。美味いと笑顔を見せるシュロさんは、戦っていた時とはまるで違っていた。


「いつも、あんなに危ない仕事ばかりなんですか?」


 ふと、街の外でのことを思い出して訊ねた。

 黒龍隊が帝都の治安を守っていることは誰もが知っていること。ただ、この目で実際に戦っている姿を見たことがなかったせいか、動揺が隠せなかった。守られていると認識はしていても、それが〝当たり前〟になっていて、黒龍隊の苦労が見えていなかった。


「半々ってところだな。何も起こらない穏やかな日もあれば、今日の様なこともある」

「無茶はしないで下さいね」

「これが俺の仕事だからな。無茶しないとは約束できない。いや、無茶しないと帝都は守れないな」

「シオンやカガチさんが心配していました。無駄に怪我をしないようにとか、あと……あの力を使わないようにって」


 あの力――それだけで覚ったシュロさんは、どこか気まずそうに目を泳がせた。


「あの力のこと、聞いてもいいですか?」


 訊ねた私を、横目でちらりと確認した。

 あまり話したくないのか、じっと見つめたまま口を開こうとはしない。それでも私が真っ直ぐに見つめると、諦めたように深めの溜息をついた。


「あぁー、わかったよ。そんな、捨てられた子犬みたいな目で見るな」

「それじゃ、教えて下さい」

「……12年前、夜叉族と人間との大きな戦争があっただろう?」

紅炎ぐえんの大戦ですね」


 中ツ国の覇権をめぐって4ヶ国が対立する1000年以上も前から、人間と夜叉族は互いの存在を認めず、領土を巡って小競り合いを続けていた。

 長い歴史の中で積もり積もった夜叉族の憎しみが限界を越え、この大陸の半分を焼土へと変える大きな戦争が起こった。あの戦争で、近隣の小国が一夜にして滅ぶほど、凄まじいものだったと聞く。


「黒龍隊に入ったばかりの頃に大戦が起こって、否応なく戦場に駆り出された。その時に運悪く、敵の大将と対峙しちまってな。引き下がることもできず、向かって行ってこうなった」


 その時のことを思い出しているのか、シュロさんは苦々しい顔をして、右肩の付け根を撫でるように触れた。多くを語らずとも、失った右腕がその時の戦いが凄まじかったことは、嫌でも思い知らされた。


「俺と刀を交えた時点で、すでに相手は瀕死の傷を負った状態だった。自分の命が尽きると覚ったのか、大将は〝置き土産だ〟と言って、俺の心臓に〈夜叉ノ契やしゃのちぎり〉を刻んだ」


 苦しげに告げ、自らの胸元を押さえた。

 以前、お師匠様から聞いたことがある。夜叉族の血が途絶えそうな危機的状況に陥った際、一族を増やす手段として用いる妖術らしい。夜叉は皆一人ひとり、一族の家紋を刻んだ黒曜石の宝飾を身につけていて、その黒曜石を自らの血に浸し、一族に迎え入れる者の胸に押し当てることで〈夜叉ノ契〉が発動する。そうして紋様を刻まれた者は夜叉となり、白狼の力を手にすることができるそうだ。

 

 昔はその力について研究をしている学者も多くいたようだけれど、白狼の力が強過ぎるあまり人間が制御するのは難しく、ほとんどの人間が命を落すことが研究の過程で判明してからは、その力を求める者はいなくなったそうだ。


「そんなことが……だから、シュロさんは白狼の力が使えるんですね」

「その時から、俺の中には白狼が棲みついている。以上、俺の話はおしまいだ」


 それ以上は話すことはないと言わんばかりに、シュロさんは席を立ち、部屋の隅に置かれた机に座って本を開き始めた。


「もう遅いから寝ろ。寝台、使っていいから」

「でも、それじゃシュロさんが寝られないじゃないですか」

「俺は起きてるからいいんだ。戦った後は気が高ぶって、なかなか寝付けないんでね」


 手にした本をこちらに見せたかと思えば、さっそく読み始めてしまう。

 戦わない香術師が総長の寝台を使って寝られるわけがない。体が資本の黒龍隊で、おまけに隊を束ねる総長が体調を崩したらどうするのか。


「いえ、寝台はシュロさんが使って下さい。私は床でも長椅子でも、どこでも大丈夫ですから」

 座布団を折り畳んで枕にし、そのまま長椅子に寝転がった。それに気づいたシュロさんがこちらへ駆け寄り、すかさず座布団を素早く取り上げた。


「シュロさんっ。返して下さいよ!」

「寝台を使えって言ってるんだ。素直に使え。風邪ひいても知らんぞ」

「ですから、寝台はシュロさんが使って下さい。私、風邪なんてひきませんから。昔から体だけは丈夫なんですっ」

「もしかして、俺が使ってる寝台だから嫌なのか? 贅沢なヤツだな。心配しなくても、ほとんど使ってないから綺麗だぞ?」

「いえ、そんなことは気にしていません。むしろ、シュロさんの体調を心配してのことです!」

「見た目に反して強情なヤツだな」


 ふんっと呆れたように強めの溜息をついたかと思えば、シュロさんは素早く私を抱きかかえてしまった。椅子から体がふわりと浮かんで、あっという間にシュロさんと同じ目線の高さにいた。


「えっ、ちょっ、シュロさん! 降ろして下さいっ」

「これで拒否できんだろう? いや、それにしても……アオバ、軽いな。ちゃんと食ってるのか?」

「た、食べてますよっ。そんなことより、早く降ろして下さい!」

「あぁ、わかってるよ」

 

 優しく答え、そのまま寝台へと向かった。

 腕の中でじたばたする私を少し荒っぽく降ろし、起き上がれないよう肩を軽く押さえつける。その時、不覚にも上から顔を覗き込まれる態勢になり、あまりに距離が近かったため鼓動が痛いほどに脈打った。このまま、口から心臓が飛び出てしまうのではないか。そう錯覚するほどに、ドクドクと打つ鼓動が耳の奥で響いていた。


「いいか、動くなよ」

「うっ。は、はい」

「よし、それでいい。しっかり休めよ」


 それで満足したのか、シュロさんは再び机に戻っていった。

 私はその後ろ姿を少しだけ睨みつけた。抱きかかえられたことや至近距離で顔を覗き込まれたこと。ほんの一瞬の出来事だったのに、脳裏に焼き付いて離れない。

 どうしてくれるのかと、心の中で文句を言いながら、私は頭から布団をかぶって眠りについた。

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