【12】その身に眠る白き狼

「ねぇ、シオン。私ね、シュロさんを見ると胸がざわつくっていうか……不安になるの」

「総長は、そういう空気を纏ってるよ」


 シオンは、すでに見えなくなったシュロさんの姿を捜すように人混みの方へ目をやった。片方の瞳が微かに寂し気な色を滲ませているように思えた。


「普段は隠してるけど、鋭い狂気みたいなものを纏ってる。戦う時はいつもそうだよ」

「シオンもシュロさんを見ていて、不安になったりする?」

「うん。でも、僕だけじゃない。隊の皆も思ってるよ」


 シオンはゆっくりと目を閉じ、少しだけ俯いたかと思えば、スーッと深く息を吸い込むと同時に私の腕を掴んだ。真っ直ぐ射貫くように見つめる瞳に圧倒され、背筋がぞくりとした。


「きっと、アオアオなら総長を助けられる」

「私が?」

「アオアオ、香術以外に妖術も使えるでしょ? 少しだけ、力を貸して」

「えっ、シオン!」


 訳も分からず、そのまま腕を引かれて走り出した。

 賑やかな夜の通りを抜け、さらに街の入口をも抜けて外へ――月夜に照らされた緑の草原が広がり、しばらく行くと静寂の中に剣がぶつかり合う音が響いている。


「あっ! シュロさんが……」

「まだ応援が到着していないみたいだね」


 シオンはもどかしそうに辺りを見渡した。

 応戦している黒龍隊と夜叉の一団が見えた。数にして夜叉は20ほど。それに対して黒龍隊はシュロさんを含めてわずか5人。他の隊員は近隣の町や村を襲った夜叉の討伐に出ていて到着が遅れているらしく、街に踏み込めないようなんとか食い止めている状態だった。

 押しては押され、また押し返して。シュロさんが先頭に立って向かってくる夜叉達を薙ぎ払っていたその最中、後方にいた一人の隊員が怪我を負って倒れた。それに気を取られた隙に、夜叉の突き出した槍がシュロさんの腕を貫く。その衝撃で後方に飛ばされ、隊員達の表情が一瞬にして強張った。


「総長!」

「心配するな! 義手に風穴が開いただけだ」

「こうも数が多いと手古摺りますね……そろそろ限界ですよ」


 カガチさんが冗談交じりに笑って刀を握りなおした。


「だが、引くわけにはいかん。他の隊員が駆けつけるには時間がかかり過ぎる。何としても、俺達だけで追い払う……お前達は離れていろ」

「っ! 総長、あの力を使うつもりですか?」

「このままでは全滅だ。ここは俺が食い止める」


 あの力とは、何のことだろう? 疑問に思うよりも先に、シュロさんが行動に移した。

 ゆっくりと立ち上がり、目の前に立ちはだかる夜叉に向けて刀を構えた。深めに息を吐いた次の瞬間、シュロさんの髪は瞬く間に銀色に変わり、瞳が闇にくっきりと浮かび上がる黄金色へと変化する。

 刀を手に、駆け出したシュロさんは風のように速く、一瞬で夜叉達との間合いを縮める。それはまるで人の動きとは思えないほどで、瞬きをする間に夜叉達が次から次へと倒されていった。


「何なの、あの力……」

「夜叉の力。〈白狼はくろう〉だよ」

「夜叉? もしかして……あの姿って、夜叉が持っているっていうあの力なの?」


 シオンは静かに頷いた。

 白狼とは、夜叉族のみが使える力のこと。己の身に宿したあやかしの血を呼び覚ますことで、人ならざる強大な力を得るという。それが今、夜叉でもない黒龍隊の総長が使っていた。


「あれが、白狼……」

「総長は大戦時に夜叉から呪を受けた。僕と同じ。総長の体には妖が棲みついてるんだよ」


 そう言って、シオンは再び私の腕を掴んだ。見つめる瞳は闇の中でもはっきりと浮かび上がるほどに、強く、色濃く私を映しこんでいた。


「あの力は体を蝕む諸刃の力。あの力を使っちゃ駄目なんだ。でも、僕は妖術も使えないから、完全に夜叉を止められない。力を貸して」


 シオンはそう言うけれど、香ばかり作っていた私に何ができるっていうのだろうか。

 刀を振るうことも、戦うこともできない。それでも、シュロさんが使っている力は危険なものであり、その異様さは初めて目にした私にもわかった。

 私に何ができるんだろう。刀で夜叉を薙ぎ払うことでも、戦うことでもない私だけができることは――


「……一瞬でも、夜叉の気を逸らせることなら、できるかも」

「それで大丈夫。お願いね」


 シオンは腰に下げた刀を抜き、シュロさんに加勢するため走り出した。私は懐に残っていた最後の蛍香を取り出し、不安な思いを胸にそれを見つめた。


「蛍香は相手の狂気を鎮めるための護身用……この効力を少し増幅させれば」


 大丈夫、きっと上手くいく。そう自分に言い聞かせながら手をかざ…し、素早く十字を切った。

 赤い火が灯り、立ち昇る煙は淡い翡翠色から瞬く間に赤い煙に変わった。それは風に乗り、無数の蝶の大群となって刀を交える夜叉と黒龍隊達の元へと流れて行った。

 やがて蝶は夜叉達を飲み込み、一人、また一人と戦意を失ってその場に膝をつく。これを好機と見た黒龍隊がすぐさま反撃。すでに戦意を失った彼らに刀を向けるだけの意思はない。形勢が不利になったと判断した夜叉達は、闇に紛れるように撤退を始めた。


「夜叉が引いていく……役に立てた、のかな?」

 

 安堵に胸を撫で下ろしていると、私がいることに気づいたシュロさんがこちらへ駆け寄ってきた。


「さっきのは、アオバの力だったのか。寄宿舎に戻っていろと言ったのに、どうしてここに?」

「シオンが力を貸してほしいって。シュロさんの力を使わせたくなかったみたいです」


 シュロさんはハッとして自らの髪に触れた。その姿はまだ白狼のまま。顔や格好は同じなのに、銀色の髪と黄金の瞳のせいか、まるで別人だった。


「さすがに、このままではマズイな」

 

 申し訳なさそうに頭をかき、深く息を吐きだした。それに呼応するように、ゆっくりと元の姿へと戻っていった。見つめる瞳が黒に戻っただけで、不思議なくらいに不安が消えて、自然に笑みがこぼれた。


「総長!」


 そこへカガチさん達が駆け寄ってきた。当然のことながら、ヒユリさんは相変わらず私には無愛想で、姿を見つけるなり睨まれてしまった。


「夜叉族は西の方角へ向かいました。おそらく里に戻ったのだと思います。追いますか?」 

「いや、深追いはするな。今日のところは様子を見よう」

「了解しました。それより総長、腕は大丈夫ですか?」

「あぁ、そうだったな」


 忘れていたといった調子で、シュロさんはケラケラと笑いながら腕の矢傷に触れた。ちょうど、二の腕の辺りだろうか。向こう側の景色が見えるほど、しっかりとした太い穴が開いてしまっていた。幸いというべきなのか、シュロさんは両義腕。それが本物の腕だったらと思うと背筋がスーッと寒くなった。


 腕はともかく、生身である頬や首筋にはまた新たな切り傷が増えてしまっていた。

「シュロさん、また傷が」

「あぁ、せっかくアオバに治してもらったのにな」


 申し訳なさそうに眉尻を下げ、頬骨の辺りに走る傷を指先でなぞった。すると、また何か思いついたのか、にやりと笑って私を見下ろした。


「何だ、そんなに俺の傷を治したいのか?」

「だ、誰もそんなこと言ってません! からかうなら、シュロさんの手当は最後にしますよ」

「あぁ、それでいい。俺は他の隊員を見てくる。寄宿舎に戻ったら頼むよ」


 そう言ってその場を離れたシュロさんは、傷を負って座り込んでいる他の隊員達の様子を見に行った。その後ろ姿を見ていたカガチさんは、呆れた様子で溜息をもらした。


「アオバさんからも、忠告してもらった方がよさそうですね」

「忠告ですか?」

「さっきの夜叉は総長だからこそ、あの程度の傷で済んだようなもの。他の隊員では確実に命を落としていたでしょう」

「そんなに、力の差があったのですか?」


 そうは見えなかった。確かに数では不利だったし押され気味ではあったけれど、白狼の力を使った頃からは圧倒的だったともいえる。


「時々、総長を見ていると不安に駆られるのです。総長は誰よりも先に敵陣へ乗り込みますし、末端の隊員が危険な状況にあれば、自分の身を挺して助けたりもします」

「僕達に気を取られたら、自分の身だって危ないのにね」

 

 戦いの中に身を置いた瞬間から、自分の身は自分で守らなければ命取りになる。いくら隊であっても、仲間が負傷したとしても、目の前の敵から目を逸らすなというのが黒龍隊の中では暗黙の了解。けれど、シュロさんはどんなことがあっても仲間を助け、自ら盾となって守る男なのだと、カガチさんは困ったように笑っていた。


「総長が無駄に怪我をしないよう、専属の香術師として忠告してくださると助かります」

「わ、わかりました」


 私は返事をしながら、隊員達に大丈夫かと声をかけるシュロさんの姿を見つめた。

 黒龍隊の総長にして、白狼の力を持つ男。そんなシュロさんが、しがない香術師の意見など聞き入れてくれるのだろうか。いや、到底思えなかった。

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