【11】滲む不安
「やっぱり、思った通りだわ」
「お嬢ちゃん、一体どういうことなんだい?」
「あいつの言っていたことは、嘘だというのか?」
その場に居合わせた人々は、なぜあの男が逃げたのか、詳しい理由を知りたくて口々に訊ねてきた。
「あの香には、本来施されるべきはずの妖力がありませんでした。おそらく香術師というのは嘘。夜光樹も粗悪品で、薬香としての効能は皆無だったはずです」
「なんだって!」
「そうか……だからいくら使っても、うちの爺ちゃんの足の痛みが良くならなかったのか」
あの男に
「そもそも、薬香が10銀なんて高過ぎます。私が住んでいたショウジョウの町では1つ1銀で買えます」
「そうだったのかい! お嬢ちゃん、教えてくれてありがとう。でも、どうしてそんな詳しい事までわかったんだい?」
「私も同業なので……」
足元に男が落としていった薬香を拾い上げ、ふと思い出した。
―― 香術は崇められる力ではないわ。民と共に生き、寄り添うものなのよ。
昔、私に香術を教えてくれた師匠が言っていた。
妖力を操ることができるせいで、絶大な権力でも得たみたいに高慢になる香術師はたくさんいる。けれど、相手の弱みに付け込んで偉そうにできるほど、香術師なんて優れたものではない。
「お金を払わなくても作れる薬香があります。お教えしますので、試してみて下さい」
「それ、本当なのかい!」
「効能は弱いですが、先程の偽香術師が作る香より効くのは間違いないですよ」
その言葉を聞きつけた者達が、教えてくれと次から次へと集まってくる。その近くで商売をしていた香術師達は〝余計なことを。商売あがったりだ〟と、あまり良い顔をしてはいなかったけれど、あえて知らんふり。本来、香術は金稼ぎの手段ではない。受け継いできた先人の知恵を広めること、そして人々が元気に生きることに意味があるんだ。
「夜光樹と同じ種類の香木で、
「それって、河原なんかに生えてる、あの黄色い花の?」
「そうです。半月草には自然界の妖力を多く貯め込む習性があるので、それを乾燥させて香炉で炙るだけで、薬香と同様の効果があります」
私の話に耳を傾けてくれた人達は「なるほど」と、何度も頷いていた。するとそこへ――
「ほぅ、さすがに詳しいな」
突如、声が割り込んだ。
聞き覚えのある声にハッとして顔を上げると、いつの間にか一緒になって話を聞いているシュロさんの姿があった。
「シュロさん! いらしていたんですか?」
「おや、総長さんじゃないかい。今日も見回りかい? 精が出るね」
輪の中に加わっていた野菜売りのオバちゃんが、満面の笑顔でシュロさんの肩を叩いた。
「そっちはもう終わったんだが、寄宿舎に帰ってみたら、連れがいなくなっていることに気づいて捜しに来たんだ」
そう言って不敵に笑った。
〝なぜ俺が捜しに来なければならんのだ?〟とか〝俺を迎えに出させるとはいい度胸だ〟とでも言いたそうな、なんとも悪そうな笑顔だ。急に雲行きが怪しくなったのを感じて、思わず身構えた。
「アオバ、街へ出ていいとは言ったが、こんな夜に一人で出歩いていいとは言ってないぞ。しかも黙っていなくなるとはどういうことだ?」
「ご、ごめんなさい。でも色々と見ておきたかったし、香術の道具も欲しかったので……」
「なんだ、お嬢ちゃんは総長の知り合いだったのか?」
「知り合いというか……俺の婚約者だ」
「おや、本当かい! 仕事一筋の総長に婚約者なんて信じられない!」
その場に居合わせた人々は声を上げて驚いた。その反応から見ても、シュロさんがいかに渡会さんの縁談を拒んできたのかがわかる。ただ、どうして街の人達にも嘘をついたのか気になった。
必要ない嘘のように思ったけれど、念には念をということか。身内を欺くためには民から欺こうという魂胆なのだろう。それとも、渡会さんを騙すために偽の婚約者がどうのこうのと、説明するのが面倒だったのだろうか。
「ついに総長も所帯を持つ気になったんだね」
「んー、まぁ、そんなところだ。ほら、アオバ。心配したじゃないか」
おそらく、それも彼らを信用させるための演技。寒くないかと声をかけながら、私を軽く抱き寄せ、甘ったるい雰囲気を漂わせて見つめてくる。
演技とはいえ、少しやり過ぎのような気もした。人前で抱き寄せられることが、こんなにも恥ずかしいものだったとは思いもしなかった。そんな中、人混みを掻き分け、ヒユリさんとシオンが慌てた様子でシュロさんのもとに駆けつけた。
「総長、捜しましたよ!」
「どうした、何かあったのか?」
一瞬、ヒユリさんが躊躇いを見せる。何かを気にしているらしく、周囲に聞こえないようシュロさんに耳打ちをした。とたんに、その表情が険しくなった。
「カガチさんが先に向いました。総長もお急ぎを」
「わかった。シオン、アオバを寄宿舎まで送ってくれ」
「何かあったんですか?」
妙な胸騒ぎがして訊ねた。やはりシュロさんも周囲のことを気にしているらしく、耳もとに顔を寄せた。
「街の外に夜叉が現れたらしい。ここへ踏み込ませないよう、片付けてくる」
その時、脳裏を過ったのは、腕が取れて傷だらけになって店にやってきた時のシュロさんの姿だった。
また、あんな怪我を負うのだろうか。このまま黙って送り出していいのかと思うと、胸がざわついた。気づけば、その場を離れようとしたシュロさんの腕を掴んでいた。
「アオバ、どうした?」
「少しだけ、待って下さい」
懐に持っていた護身用の札香を取り出し、それをシュロさんの胸元に翳した。
札を撫でるように、下から上へと手を滑らせる。ジュッと音をたてて火が灯り、立ち昇る淡い翡翠色の煙と光がゆっくりとシュロさんの体を包み込んだ。
「今のは?」
「
頷きながら、シュロさんは深く息を吸い込む。フッと、安堵したような柔らかい笑みをこぼした。
「いい香りだ。ありがとう」
「総長、急いで下さい!」
「わかった、行こう」
ヒユリさんに急かされ、シュロさんは人混みの中へと消えていく。その後ろ姿から、なぜか目が離せなくて、言いようのない不安感が心を満たしていった。
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