【10】香術は民と共に

 自分が何をすべきなのか、何がしたいのか――今一度、自らに質してみた。

 香術を教えてくれた私の師匠の教えは二つある。


 〝起こった状況を嘆くより、受け入れて突き進め。人生、なるようにしかならん〟

 〝世の中に偶然なんてものはない。起こるべくして起こる必然である〟


 その教えに間違いが無ければ、シュロさんと出会ったのは、きっと何か意味があったからなんだ。

 黒龍隊ですべきことがあるから、私はシュロさんに拾われたのだろう。それが何なのかは、まだわからない。今は黒龍隊の香術師として仕事をきっちりこなす。その傍らで、私が〝続けたいこと〟を取り戻さなければならない。


 もう一度、自分の店を持ちたいというのが当面の目標。きっと続けてさえいれば、いつか叶うはず。その第一歩として、まずは道具と材料を手に入れることから始めよう。

 わずかばかりの小銭を握って、私は夜の街へとくり出した。やってきたのは、最も賑わっている帝都の中心街〈菖蒲通り〉。やはり田舎町のショウジョウとは違って賑やか。当然のことながら人は多いし、軒を連ねる店の数は比べものにならない。人の流れに飲まれて、このまま迷子になってしまいそうなくらいだ。

 その通りを真っ直ぐ北へ抜けると〈露店通り〉と呼ばれる一画に入った。

 そこには数百ほどの露店がずらりと並び、隣国から運んできた香辛料や、美しい宝石を売る露天商たちで溢れかえっている。どこを向いても、見たことのない珍しいものばかりで目移りする。香術に必要な道具を売る店もいたるところにあって迷ったけれど、一番質の良さそうな道具を扱っている、初老の店主が営む道具屋を選んだ。


「その乳鉢と夜光樹やこうじゅの香木を1束、そっちの金木犀キンモクセイ花梨カリンの香油もお願いします」

「はいよ。乳鉢20銀、夜光樹やこうじゅは50銀、香油は2つで5銀だよ」

「えっ、そんなにするんですか!」


 薬香に使用される夜光樹という香木は、ショウジョウでは5イン町では、物価に差があるのはわかっていたけれど、まさかここまで違うとは予想していなかった。


「夜光樹(やこうじゅ)がどうしてこんなに高いんですか? 他の町なら20銀あれば四束は買えます」

「そりゃ、こっちは手間賃かかってるからね。最近じゃ夜叉の連中がうろついていて、採取しに行くのも危険なんだ。このくらい貰わないと割が合わないんだよ」


 そう言われては何も言えなかった。物騒な世の中だもの。自分で採取しに行く苦労を考えれば安いほう。手持ちの有り金をはたいて渋々購入した。

 お目当ての道具は無事に手に入れて、あとは城へ引き返すだけ。ただ、真っ直ぐ帰ってしまうのはもったいない。なにせ、ここは帝都ビャクロク。妖術の始まりの地だ。これからしばらくはこの街で生活していくことになるのだから、街の様子を知っておく必要がある。

「ゆくゆくは、この辺りに店を構えることになるかもしれないし。下調べは大事だよね」

 道具を抱え、露店通りを見渡しながら先へ進んだ。

 

 ここにはどんな客が訪れるのか、何を求めているのか。店を構えた時のことを想像しつつ、観察しながら足を進める。すると、どこからともなく嗅ぎ覚えのある香りが漂ってきた。

 目をやったその先に調香屋があった。やはり同業者としては気になることころ。ここは一つ、客として商品を見てみよう。香を求めて集まった人々を掻き分け、集団の先頭へと踊り出た。

 店主は身分が高いのか、良い身形をしている。それが何とも胡散臭くて、どうにも怪しい。ただ、香術師に必要なのは〝腕〟なのだから、見るべきものは店主ではなく香の方。とりあず、台の上に並べられた香を一つ手に取った。


「これは……」


 その品からは、全く妖力が感じられなかった。この香術師が売っている香はおそらく、かなり質の悪いものを使っている。

 もともと、植物には微量ながら自然界の妖力が蓄えられている。新鮮な物、質の良い物は採取してもすぐには劣化しないけれど、腐りかけた夜光樹からは妖力が抜け落ちる。そんな材料で香を作っても、効力のない香りがするだけの煙にしかならない。

 相手が素人なのをいいことに、この胡散臭い香術師は粗悪品を売っているらしい。これで香術師と名乗っていること自体が許せなかった。


「ちょいと、これっぽっちの薬香で10銀も取るのかい!」


 薬香を買おうとした女性が、手にした香を突き出して怒鳴った。

 おそらく回数にして3回分ほどの量。だいたい5回分の薬香に対し1~2銀が相場だけれど、それで10銀とはぼったくりもいいところ。香術師の男は偉そうに踏ん反り返り、フンッと鼻で冷笑した。


「こっちは命がけで材料を採取して作ってるんだ。嫌なら自分で採ってこいよ」

「な、なんだいっ、その言い方は!」


 周囲の客達も怒り、口々に騒ぎだす。それでも男は全く動じない。嫌なら他に行け、平民に売るのはもったいないとまで言い始める始末だった。


「こっちだって病人抱えてるんだよっ。薬香がたくさん必要なのに、こんな高い金払ってたら食っていけないよ!」

「こっちだって商売だからな。買わないなら帰ってくれ!」

「すみません。これ、本当に効くんですか?」


 私が割り込むと、街人と香術師の男の視線がいっせいにこちらへ向けられた。

 頭に血が上って声を荒げるよりも、水のように静かに言葉を放つと、こういう状況下では案外相手の耳に届くらしい。


「お嬢ちゃん、何だって?」

「ですから、これは本当に効くのかとお聞きしたんです。これだけ高価な値がついているのですから、さぞかし良く効くのだと思って」


 すると、男は自慢げに胸を張って見せた。


「そりゃもちろん。どんなに深い傷も、ぎっくり腰も、たちどころに治る」

「だったら、ここで試してみて下さい」

「えっ?」


 隣で野菜を売っていたオバちゃんから果物用の小さな包丁を借り、それを男に差し出した。訳もわからず突然刃物を向けられた男は面白いくらいに仰け反り、驚いた拍子に尻もちをつく。いい気味だ。


「お、お嬢ちゃん、な、なななっ」

「どんなに深い傷も、この薬香を使えば治るのでしょう? だったら今ここで、おじさんの指でも腕でも傷つけて治してみて下さい」

「な、なんでそんなことしなきゃならないんだっ!」

「これは香術師の作った香だというのに妖力が全く感じられません。もしかしたら、妖術を扱えないのではないかと思ったんです」

「ば、馬鹿なことを言うな! 俺は香術師だっ。国家試験も受けて、ちゃんと資格だって取ったんだからな」

「だったら、何も問題ないですね」


 存分に肌でもなんでも傷つけて、見事に治してもらおうじゃないの。

 包丁をさらに突き付け、何度も急かした。渋々ではあるが男もそれを受け取り、おそるおそる自らの腕に刃先を翳す――その矢先、男は包丁を足元に放り投げ、素早く店を畳んだかと思うと、脱兎の如くその場から逃げてしまった。

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