第2話 津波から一年後の高田病院

 陸前高田市街地におりると、がれきは撤去され一面の更地に廃墟ビルがいくつか残っている状況だ。

 その中の四階建てビルの屋上建屋に、「岩手県立高田病院」という文字が見えたので、思わずその方向に手を合わせてしまう。


 両側に土台だけが並ぶ海岸沿いの泥道をすすみ、6時間かけて岩手県立高田病院の仮設診療所に到着した。


 院長室にとおされ、これから一年あまりの生活拠点として住田の仮設住宅を利用することや、通勤には病院の車を使わせてもらえることなど、担当者から説明を受けているところへ石木院長が現れた。

 駆け寄って手を握りあうと、お悔やみや労いの想いとともに「一緒に頑張ろう」という激励の気持ちなどが、すぅーっと伝わっているのを感じた。

 もっと嬉しかったのは、医師としての価値観や医療に対する姿勢という基本的な部分が一致しており、高田病院の復興にかける彼の手足として動けるぞという自信が湧いてきたことだ。


 婦人科診療ができない現状で私が担当するのは、内科一般診療ブースをひとつと禁煙外来と健診部門ということですんなりと決定する。


 訪問診療など地域医療のグループにも加えてもらい、3月1日には石木愛子先生(院長のお嬢さん)と一緒に特養「高寿園」へ出かけた。

 高寿園のスタッフが語るには、震災直後から押しかけた大勢の被災者を受け入れ、最高で1000人を超す人でロビーや廊下も一杯になったそうだ。

 私設避難所のため大変な苦労を強いられたようだが、ボランティアの支援も受けて七月まで続けたとも聞いた。

 私たちが出かけたときも、廊下やロビーには寄せ書きが何枚も飾られていて、大勢のボランティアや支援者との絆の強さを感じた。


 3月11日の日曜日には、岩手県と陸前高田市の合同追悼式が行われたが、私は高田病院跡で黙祷を捧げるつもりで、いつものように朝食を済ませて出勤した。

 医局で仕事をしていると、石木院長がふらりと入ってきて「一緒にお参りに行かないか?」と誘ってくれた。

 金曜日に病院へ送られてきた花束を二つ持ち、ローソンで線香などのお参りセットを準備して、病院長公舎跡に向かう。


 一面の更地になっていて私には見当もつかなかったが、石木院長は「ここが車庫の入り口で、これは隣の家の大きな木の根っこだと思う」という。

 あたりの瓦礫で花束を固定したが、冷たい浜風でロウソクに火は付かない状況。

 あまりに重苦しい雰囲気が漂う。

 そこでロウソクをティッシュペーパーで巻きながら「これは亡くなった親父から聞いた墓参りの時のワザなんだ」と言いながら火を付けると、「おおすごい!」と明るく返してくれたので救われた。


 高田一中の追悼式会場まで院長を送ったあと、海岸に出て小雪混じりの風が吹き付ける海を眺める。

 取り留めのないことを考えているうちに、ふと「地震が今起きて津波が来たら」と強い恐怖感が湧いてきた。


 午前中に院長と一緒にお参りした高田病院跡に戻ると、大勢の職員や病院関係者が線香を上げている姿を取材している地元放送局クルーの姿が見えた。


 誰とも話したくない気持ちだったので、病院を眺めながら遠巻きに歩いていると追悼の合図のサイレンが鳴り渡る。

 海の方向に向かって独り手を合わせていると、寒風のせいか涙がボロボロこぼれてきた。


 そして、石木院長が高田病院へ赴任してきたとき感じた気持ちを、私も全く同じ言葉で叫びたくなった。

「どうしてこんな場所に病院を建てなきゃいけなかったんだ!」


 その高田病院は、震災の時に大勢のいのちを支えた高寿園のそばに生まれ変わるという話だ。

 今度は、「医療で震災復興を!」と叫べる。


(陸奥新報 2012・03・29)

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