🍎 津軽から気仙へ 🐡

医師脳

第1話 「津軽」から「ケセン」へ

 弘前での仕事を2月28日までにすませ、翌29日には着替えをたくさん詰め込んだバッグを持って、午前9時55分発の弘南バスに乗り込んだ。


 盛岡駅で大船渡行きの急行バスに乗り換え、住田町の仮設住宅がある地域診療センターに着いたのは午後3時30分。

「岩手県立高田病院」と大きなステッカーを貼った迎えの車で陸前高田市を目指したが、15分も走ると右側を流れる気仙川沿いに津波の被害が目に付き始める。


 間もなく道の両側に仮設のスーパーや飲食店などが並ぶ竹駒地区に入ると、戦後の闇市を連想させる妙な活気を感じた。


 しかし、その先の丘を越えた陸前高田市街地は、はるか先の海まで見通せる姿に変わり果てていた。



 6年前に国立国際医療センター(東京都)から国立釜石病院へ転勤した際、青森高校で動機だった石木幹人さんが岩手県立高田病院の院長をしていることを知り、お互いに夫婦で食事会などをしたことがあった。


 2年後に私が釜石市を離れてから会えなくなったが、彼が震災で奥さんを亡くしたなか、院長として超人的な働きをしてきたことはマスコミなどを通じて知っていた。

 そういうニュースを見るたび、4人で食事をしていた時に奥さんから「高田病院で婦人科をやって!」と無邪気に勧誘されたことを思い出した。

 そんな病院思いの奥さんだったから、今回の高田病院仮設診療所での応援をきっと喜んでくれることだろう。


 私が代表を務める「LLPヘルスプロモーション研究所」は、ヘルスプロモーション(保健・医療・福祉)活動を通じ津軽地域に貢献し、快適な未来を切り開くことをスローガンに、「津軽すこや化プロジェクト」を3年前から進めている。


 昨年のメインイベントは、深浦町のヘルスプロモーション・アドバイザーとして町立関診療所の応援診療を行うとともに、深浦町チームの一員として大震災直後の岩手県大槌町へ医療支援に出かけたことである。

 大型ワンボックスカーの町長車中に、弘前市の医療機器販売業「シバタ医理科」の阿部隆夫社長が用意してくれた医療資材や診療所の薬品などを詰め込み、吉田満町長ら5人のチームで大槌町金沢地区を巡回診療してきた。


 その際、重症患者の搬送を受けてくれた自衛隊員の機敏な動きは、医療スタッフとして大いに見習うべきものを感じる。


 今年は「ケセンすこや化プロジェクト」と銘打って、岩手県立高田病院における診療応援を1年余り続けることにした。

 ちなみに、ケセンとは陸前高田市を含む気仙地域のことである。


 当初の予定では、婦人科検診を中心に婦人科診療を行うため医療機器などの搬入準備を進めていたが、岩手県庁の医療局から婦人科診療の許可が下りず困っている。

 高田病院の総師長さんは、「被災者のなかから婦人科検診をしてほしいと強い希望があり、何とかしてあげたいと思い続けていた」のだそうだ。

 そこへ私という産婦人科医が応援に来るということで「婦人科検診の準備を進めていたのに…」と非常に残念がっている。

 ちなみに総師長さんは助産師で、しかも弘前大学医学部附属助産婦学校の最後の卒業生だということも判明。


 一日も早く婦人科検診ができるよう、岩手県医療局の大局的な判断を願いたいものである。


 岩手県知事様、よろしくお願いいたします。


(陸奥新報 2012・03・22)

 

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