9. はじまる
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今日は朝から落ち着かない。
どんな服を着て行こうか。私が勝手に持つ彼のイメージカラーは濃紺だから、それに近い色のものがいい。ブラウスにスカート、という組み合わせはライブには合わないだろうか。いや、ライブグッズのTシャツを着るから、それまでのトップスは適当で構わない。そう考えつつも、私はスカートとブラウスを何着も合わせ、ベッドの上には脱いだ服が散乱した。
別に彼と二人で会うわけでもないのになぜここまで、と私はひとり苦笑する。まるで初デートの直前のようじゃないか。
いつになく丁寧に化粧をし、普段はつけないイヤリングまでつけた私は、イヤホンで相変わらず
〈ついにですね~! 見かけたら声かけていいですか?〉
一緒に見ないのに声をかけてどうするのだろう。冷めたことを考えつつ、私はできる限り明るく答える。
〈楽しみですね! ぜひぜひ、話しかけてください~〉
送ってから、本心とはかけ離れた自分の言葉に、唇が歪んだ。ライン上の私は、本当に私なのだろうか。私なら、田端さんに見つけられる前にこちらが彼女を見つけ、気づかれないように身をひそめる。
そうは言っても別に、私は田端さんを嫌いなのではない。むしろ好感を抱いている。彼女はなぜだか私といても気まずく感じないらしく、あれ以来——
物販の時間に間に合うように会場に入ると、既にロビーは人で溢れかえっていて、改めて
会計の時だけ外したイヤホンを素早くつけなおし、私はロビーを離れた。トイレでブラウスをライブTシャツに着替え、席を探す。ホール内では音楽が流れていたので、イヤホンは無音のまま耳にはめていた。人が多いところでは、イヤホンは手放せない。イヤホンは私の世界を守ってくれる重要な装備だ。外界の喧騒から、私を一枚のカーテンで隔ててくれるのだ。
人々のざわめきと会場のBGMを、水底にいるようにぼんやりと聞く。買ったグッズを手に取り、眺めていると口元に柔らかな微笑が浮かんだ。
来てよかった。
まだ始まっていないのに、そう思う。来なければグッズは手に入らなかったし、
影アナが入る。十五分前だ。そろそろスマホの電源を切らなければ、と取り出すと、沙月からの通知があった。
〈ゆきの、そろそろライブ?〉
〈うん。あと十五分〉
〈めっちゃ人いるでしょ。大丈夫?〉
〈たぶん…〉
〈笑 いやでも、あんたがライブ行けるようになるなんてね〉
〈それな。成長だよね〉
〈ディズニーでひーひー言ってたもんな笑笑〉
〈なんのことだか〉
楽しみなよ、と言う沙月にスタンプで返し、電源を落とす。田端さんからの連絡はなかった。私の緊張を察してくれているのかもしれない。終わった後になら連絡してみようか、と考えた。
あと五分。二階席の最前列からステージを見下ろす。あそこに、
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