2. ミュージシャン・鷹橋よる

鷹橋たかはしよる]

 初めて小説を書いた。自分の以前書いた曲をもとに膨らませたストーリーを、拙いながらも一編の小説にまとめた。タイトルは曲と同じだ。

 『歯車ダンス』。僕らは社会の歯車で、神様の掌で踊らされて、それでも僕らは自由になりたくて、自由に生きたくて。

 そんな歌。僕が初めてユーチューブにアップした曲だ。かなり主題は暗いし、ただ僕の内心を吐露しただけだし、曲の構成も今考えれば改善の余地だらけだ。だけど、なんとなく作ったこの曲に、顔も見えないたくさんの人々が高評価を、コメントをくれた。世の中の全てにやる気を失っていた当時の僕は、そうしてやっと少し上を向けたのだ。

 だけどもちろん、小説なんて書いたこともない。そう簡単に書けるものではなかった。読んだ経験すらあまりないのだ。書き方を調べ、昔好きだったネット小説を読み返し、話題作を読み漁り、勉強するところから始めた。

 結局、小説を書こうと決めた数ヶ月後に、僕は半年間の活動休止を発表した。小説のことは言わず、〈初めての挑戦のため〉と伝えたのは、ファンが離れてしまうことが怖かったからだ。それでも、活動休止くらいしないと、きっと僕は作曲を理由に小説を諦めてしまう。一度やろうと思ったことを、途中で投げ出すのはもう嫌だった。

 まずは登場人物。そこからプロットを決めていく。何度も書き直した。行き詰まるたび、片っ端から小説を読んだ。

 その中に、凄い作品があった。

 見奈美由紀乃みなみゆきのという人の『ひと夏の』。デビュー作らしい。彼女の精緻な表現は、小説だけでなく作詞をするにおいても、憧れないわけにはいかなかった。五感をさりげなく、でも確かに刺激する美しいことば。風の描写は草の匂いを運び、雨の描写は涼しく湿った空気を纏う。

 どうしたらこんなものを書けるのだろう。最初に感じたものは憧れだった。それは自分が書き進めるにつれて悔しさに変わった。しかし、同時に高揚してもいた。

 書きたい。これほど正確に美を描けることばを使いたい。

 久しぶりに感じた、たぎるような情動だった。中学三年の夏休み、はとこのバンドのライブを見に行った時を思い出す。メジャーデビューを記念したライブだった。あの腹の底からの興奮。それを感じさせるようなミュージシャンに自分もなりたいと、あの時思った。まぁ、両親は今の僕の仕事をよく思ってはいないのかもしれないけれど。

 ……それはともかく、小説の発売はもうすぐだ。新曲もそろそろ発表できる。一年間も待たせてしまった分、落胆させないようなものを作ったという自負はあった。

「ライブ……」

 小さな呟きが落ちる。そうだ。アルバムができたらライブもやりたい。前のアルバムの時には出来なかったけれど、今ならできるかもしれない。全国を回るんだ。小さい会場で構わない。

 新たな目標は鼓動を速める。僕は口の端に浮かんだ笑みをそのままに、暖かなふとんで目を閉じた。

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