創生記 分話版

深澄

1. 小説家・見奈美由紀乃

見奈美由紀乃みなみゆきの

 私の好きな歌手が、小説を出した。いや、正確に言うと出す。今度の五月だそうだ。

「ふざけんなよ」

 私は呟いた。鷹橋たかはしよる、という名の彼の、小説の発売を報告するツイートを見た瞬間だ。半年ほど前から活動を休止していたのはこのためなのだろう。

 なぜ、小説? 歌手なんだから、歌、出してよ。前のアルバムから一年たって、シングル一枚すら出してくれない。今ある曲は飽きるほど聞いた。あなたの新しい曲を私はずっと待ってるのに。

 だけど、違う。私の本心はきっと違う。ファンとしての純粋な戸惑いや怒りが、一生推せると思った歌手に向けての暴言を吐かせたのではない。私はもっと醜かった。

 私は彼に、途方もない劣等感を抱いたのだった。

 どうして、よりにもよって私の分野に入ってきた。どうして、曲も書けて、小説まで書けるんだ。どうして、神は彼に二物以上を与えてしまったのだろう。音楽の才能だけでいいじゃないか。どうして? ずるい。憎い。羨ましい。神様は、私には何も与えないのに。こんなにも小説を書きたい私に。

 巡る思いとは裏腹に、私の指先はツイートに貼られたリンクをタップする。画面は一瞬の空白ののち、書籍の購入予約サイトに切り替わる。

 どんなに腹が立って苦しくても、読まないわけにはいかなかった。彼の作り出すものが、彼を知ることのできる唯一の術だったからだ。彼がどんな人間なのか。何を考えて生きているのか。何を好み、何を嫌い、何に執着し、何に囚われ、そういうことの全てを私は知りたかった。

 恋をしているのかもしれない。ファンとしては重すぎるのかもしれない。私は恋のなんたるかすら知らないから、このどうしようもない焦燥や高揚がそれなのか、確信など持てないけれど。

 あぁ、それが私の敗因なのだろうか。私の二作目が鳴かず飛ばずに終わったのは、恋を知らないからか。

 デビュー作は好調だった。新人賞を獲り、どの書店でも大々的に宣伝された。私の名前や書籍がない本屋はなかった。色とりどりのポップと「稀代の新人」の売り文句に飾られ、書店のど真ん中に陣取る私の書籍たちは、まるで何かを祭り上げる神殿だった。重々しく輝いていた。私も、涙が出るほど嬉しかったのだ。

 二作目では恋愛の要素を入れた。その方が売れると思ったからだ。編集者の反応は悪くなかったはずだ。何度も修正を繰り返して、壮大な恋と冒険の物語を紡いだ。そのはずだった。編集者が感覚を誤ったのか。原因はなんであれ、今の私は、二作目が売れずに消えていくただの一発屋だった。

 きっと私の心底好きな歌手の小説は、彼のもとある人気も手伝って大ヒットとなるだろう。そうして二作目を出せば、それだって前作を上回る売上を記録する。私のことなど認知もせずに、歌手としてだけでなく、小説家としての名声も掴んで鷹橋たかはしよるはどんどん人気になるのだ。

 羨ましい。ずるい。ひどい。憎い。だけど愛おしい。好きで好きで仕方なくて苦しい。知りたい。彼の全てを知りたい。彼に勝ちたい。負けたくない。超えられたくない。私のデビュー作より売れないで。

 ぐちゃぐちゃになった感情を、私は古びたペンで紙に記す。そうして全ての感情を紙に吐き出せば、私は糸が切れたように眠る。そんな毎日を繰り返していた。バイトは遅刻を繰り返し、きっとそろそろクビになる。三作目は書けないままだ。

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