第4話

 意識が深層へ落ちていくに従ってとりとめのない映像も浮かび出してくるところへ、中年女が突然部屋に入ってきた。目覚めて起きあがると、顔を向ける前に、いいのいいのゆっくり休んで、と言われ、女はやけに恥ずかしくなってしまい、笑うしかなかった。夕飯前に起こすから休んでいなさい、と言われると、弱点をうっかり見せてしまい、それによって守る立場としての位置関係ができたようで、言葉もやけに母性の嬉しさと嘲りが含まれるように女は感じた。おそらくそんなことはないのだろうが、普段の生活と考えが見透かされるように言われた通りに仮眠してしまえば、単純で平凡な雇われ仕事のオフィスウーマンらしく、なんら珍しい存在として目にかけられないと思われた。女は笑いながら考えてどうするか言葉を探していると、中年女は、でもあまり眠りすぎると夜に眠れなくなるからね、と口にしたので、仮眠なんかしないと答えて、せっかくの旅行だからもったいないと付け加えた。

 そのまま仰向けでベッドにいた女は、中年女の声で目を覚ました。薄暗くなった室内には風が入り、小鳥の声ではなく虫の音が響いていた。

 狭く短い廊下を通っておそるおそるダイニングキッチンに入ると、女は時代を錯覚するようだった。電球色の蛍光灯に見慣れていないので、自宅マンションの白い壁面と青色の照明がふと頭に浮かんだあと、食卓の典型のようなテーブル上の料理とエプロンをする中年女の後ろ姿を目にすると、過去に経験するしないが根拠ではない夕飯の光景に溶け込むようで、仮眠の気怠さが残る頭の引き続きとして何も考えられなかった。中年女は働く者が持つ優位を自然と誇示するように、席に座るよう振り返って声をかけ、酒は飲めるか、米は炊いている、美味しい地酒があるからいける口なら飲もうと目配せした。女はビールを考えて黙りこんだ。昭和を象徴するよりも、気分だけ懐古的にするレトロ色の台所の中で、テーブルの上には漬け物があり、お浸しがあり、煮物があり、刺身があり、唐揚げや天ぷらは置かれていなかった。寝起きの食欲の目覚めがないからか、どれも美味しそうには見えず、地酒は何も浮かばなかった。中年女はでかでかとした魚の塩焼きを運びながら、これに冷酒がとても合うのよ、と言って長皿をテーブルに置き、お酒は飲めるんでしょ、と尋ね、女が口ごもっていると、そっか、ビールがいいのね、でも飲まないから買ってないのよ、それより地酒が美味しいから、ねっ、保証するから、一杯飲んでみない、と言うと決まりきったように冷蔵庫からラベルのない一升瓶を取り出したので、女はイスに座った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る