第3話

 早早と説明が終わると、女は部屋に案内された。初夏の気持ちの良い光は夕方でもまだまだ残り、誰かが生活していた気配のまるでない新築のまま取り残されていたような綺麗な部屋は、他人の趣味による飾りがなく、その場凌ぎではないが、ベッドとテーブルの他は芥子の花畑の描かれた小さなアクリル絵具の作品が飾られているだけで、客人の為に用意された行儀良さがあった。扉の正面には外に出られる大きな窓が壁一面にはめられており、レースと淡いブルーのカーテンを開くと、外の自然がそのまま広がる景観となっていた。散歩も許されないツアーはこの部屋が拠点となるので、窓が救いとして思ったよりもリラックスできる時間を得られるかもしれないと女は思った。

 中年女は家の内部をざっと説明すると、これから夕飯を用意するからのんびり休んでいて、と愛嬌のある表情を言い残して部屋を出た。

 女はスーツケースを置いて、開いている窓に近づいた。風はわずかに部屋へ入ってくる。都会の生活圏では聞かれない小鳥の声が耳にされ、目は外を見つめるようにたたずんだ。電話のベルの音が鳴り、受話器を取る女がいた。複合機へコピーをとりに足早に歩く女がいた。電話が鳴っているのもかまわず雑談を続ける誰かがいた。階上のフロアは窓が等しく並び、ルーパーの閉ざされた隙間からどうにか天気はこぼれてくるようでも、有機的な生物の声は遮断されていた。

 良い所に来たと女は思った。同時に、どこに来ても良い所だったかもしれない、光と声で、あとは今の季節と時刻が良い所にしているとも思った。動物は外に見あたらないが、きっとそのあたりにたくさん潜んでいると植物が伝えていて、時間の移ろいによって姿を現すように思えた。宿に着く前から肉体が想像していたようにベッドで仰向けになり、手を頭の後ろに天井を見た。いったいどこの島を経由したのだろうか、あんな長い時間も、船に乗って、日本国内を。小笠原諸島は東京から何時間くらいで到着するのだろうか。この島のある場所は教えられていないが、おそらく日本海のどこかにあるのだろう。竹芝から直線に父島まで計測すれば、北海道から福岡までの距離とどちらが長いだろうか。斜め向かいに座る同僚の話は長かった。長い分だけ仕事も遅かった。

 なんだか眠くなってきて、掛け布団をかけたらこのまま夜を越えて朝まで眠るだろうと思われた。夜は暗さが眠りの仕掛けになっているから、昼は明かりが布団代わりに睡眠をとらせてくれる。休日は仕事疲れをとるために、昼まで眠って、夜までだらだらする事が多い。そんな休みをここでもとったら、きっと明日の夜のコンサートまで寝て、冴えた頭で演奏を聴いて、次の日は心身すっきりツアーを終えるだろう。そんな考えをしていると、島へ向かう前の仕事の疲れがぶり返してくるようで、船の中は視線と不安に休まらず、それに二回も島を経由する予想外もあり、今ここで眠り、次の日も外出せずに休めるのは働く独り者の女にとっては都合の良いプランだと思われた。もしかしたら、その為の外出禁止なのかもしれない。せっかく遠い所に来たのに、ピアノの音色に酔いしれて眠られても困ると主催者側が考えての制限なのだ。ミーハーに楽しむのではなく、本物の音楽を知ってもらいたいという想いがあっての今回の企画なのだろう。

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