第31話

漫画家   いや、地震ですよ、テレビの野球中継を見ながら無言で夕飯を食べたり

      していたんですけど、あの地震ですよ、あの時は特別でしたね。

会社員   ああ、東北の。

漫画家   そうです、東京で入院している時にあの地震が起きたんですけど、たし

      か昼過ぎで、投薬も終わってのんびりした時間だったんですよ、漫画読

      んだり、なんかしている人ばかりで、そう、自分はベッドで漫画を描い

      ていたんですけど、そうしたら、あの地震ですよ、ぐらぐら揺れたと思

      ったら、ものすごい揺れるじゃないですかぁ、ベッドはがたがた動く

      し、医療器具はがしゃがしゃ鳴って、カーテンも建物ごと揺れるんです

      よ、もう起震車そのもので、そうしたら、遠くから女性看護師さんが、

      「みなさぁぁん、大丈夫ですか、動かないでじっとしていてください」

      って、ほんと通る大声で響いてきて、これはただごとじゃないと思って

      いると、他の被験者もきょろきょろしてるんですけど、やっぱり小さな

      独り言程度で、会話がないんですよ。

声楽家   知り合いは、見知らぬ人と道路で抱き合っていたと言ってました。

写真家   自分も東京にいたけど、電信柱がぶんぶん揺れてました。

漫画家   もう、そのあとの看護師さんの気遣いの叫び声といったら、業務を超え

      た母性の心配ですよね、なんか安心して、被験者全員が会話もせずにコ

      モンルームに集まるんですよ、大きなテレビがあるから、でっ、そこに

      いた人もいるんですけど、ぞろぞろ集まって地震速報を見ていると、も

      う、緊迫ですよ、看護師さんも集まって、どんどん震度が変わって、津

      波警報がやってきて。

会社員   ああ。

漫画家   そうしたら、画面にものすごい津波が映って、大地を飲み込んでいくん

      です、あれは、すごかった、みんなも知っていると思いますが、あれが

      タイムリーで流れていくと、現実世界の境が見えなくて、もう、言葉が

      出ないんです。

料理人   独り言もか。

漫画家   そうですよ、たしかになんか言っている人もいましたが、会話じゃなく

      て、意味なんかないですよ。

学生    やっぱり、話さないんっすね。

無職    頑固だなぁ。

漫画家   でも、不思議なことに、その空間にいるだけで、見ず知らずの、ただ時

      間を売るために参加した、他には一切関わりのない得体の知れない人間

      ながら、なんか一体感を感じたんですよ、大変な世の中になってしまっ

      た、とんでもないことだ、俺たち人間世界では……、なんていうんです

      かね、そう、人間という生物単位での目線みたいなのが、会話なしで、

      なんか生まれたんですよね、おかしなことに。

旅行家   薬の副作用じゃねぇのか。

会社員   不謹慎な、真面目な話なのに。

旅行家   いまさら、って感じもするけどね、おれからすれば。

漫画家   はいっ。

料理人   ばかやろう、貴重な話じゃねぇか、なにがいまさらだ。

学生    そうっすよ、あの当時のことを思い出しましたよ。

会社員   人のつながりを意識した時期だった。

旅行家   あんな歴史的な出来事だったからな。

漫画家   そうですよ。

旅行家   でもよ、おれはなぁ、一人で見知らぬ土地を何時間もチャリンコでこい

      でいてなぁ、いつだって世界と一緒にあるって感じるんだよ、まあ常に

      ってわけじゃぁねえけど、広大な大地を走っていて、見知らぬ現地の人

      間がたまたま前から歩いてきて、すれ違う瞬間にちょっと目が合い、表

      情がゆるむとな、ああ、人間世界だ、悪くねぇなぁ、なんて思うわけで

      よぉ、そんな悲劇を目の当たりにしてやっと実感するほど、鈍い神経で

      生きているわけじゃねぇんだよ。

声楽家   へぇぇ。

料理人   わからねぇことはねぇなぁ、おれはこいつみてぇにストイックな旅行は

      してねぇけど、やっぱり一人旅行だからなぁ、いやな時やうまくいかね

      ぇ時、もしくは不安な時はどうしたってあるから、そんな時、まあ、途

      中でバスを降ろされたり、理不尽に警察に連れて行かれたり、まあいろ

      いろだけどよ、そんな時にふと孤独じゃねぇと気づかされるのが、ちょ

      っとした自然の風景や、首を傾けたり、目をつぶったりの、だれだかわ

      からねぇ、言葉もまったく通じねぇ、同じ人間とは思えねぇような人

      の、なにげないアクションだったりするんだよな。

声楽家   わかります、それはベートーヴェンの第九にうたわれる人間愛です。

料理人   わかんねぇよ。

旅行家   音楽室の先生か、ぜんぜんちげぇよ。

会社員   小説なんか読んでいると、そのような場面を描いている作品もあるか

      な、おそらく、もっと大きな共同体というか。

漫画家   なんだか、よくわからないですが、きっとそうかもしれません、言葉も

      出さない無関心なモルモットであっても、奥底に、何か、人間として大

      切な気持ちが眠っていて、それが揺り動かされるようでした。

学生    淋しい熱帯魚みたいに、真面目なモルモットっすかね。

旅行家   魚はわかんねぇが、すべてが大いなるモルモットだからな。

料理人   なんだよそれ、知ったような口ききやがって。

旅行家   おれはもう悟ってんだよ、旅でも、薬でも、結局は神による治験なんだ

      よ。

無職    よくわかんない。

旅行家   かみ食えばわかんだよ、手軽な解脱、かみをな。

会社員   サイケデリック、カウンターカルチャー、ハレー・クリシュナか。

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