第26話

第3場


投薬期間の終わった入院中、八人が定位置にいてそれぞれが作業をしている。


声楽家   ネッスンドルマ。(プッチーニの歌曲を繰り返し練習している)

旅行家   わりぃんだけどさ、その歌、そろそろやめてくんない。

声楽家   えっ。

旅行家   もう飽きた、それ。

料理人   おいおい、そう言うなよ。

旅行家   だってよぉ、もう、うるせぇんだよ。

声楽家   すみません。

料理人   いいって、気にせず続けな。

声楽家   えっ。

旅行家   いやいや、もうやめてくれ。

料理人   いいっていいって、この無教養は気にせず、続けていいからな。

声楽家   でも。

写真家   大事な試験があるんだろ。

会社員   そうそう、そんな悪くないから。

旅行家   まじかよ、やめてくれよ、そんな寛大な心。

学生    そうっすね、ちょっと、飽きてきたっす。

無職    どっちでもいいよ。

声楽家   えっ。

料理人   いいからいいから、続けて続けて。

旅行家   やめろやめろ。

料理人   うるせえ、おめえがやめろ。

旅行家   おめぇがうるせえよ。

漫画家   すぐうるさくなる、小競り合いはやめてくだい。

旅行家   はい、でました、また、邪魔しないでください、ですよね。

会社員   たしかにうるさい。

旅行家   だろぉ。

会社員   歌じゃなくて。

料理人   いいじゃねぇか、真面目に練習してんだから、これくらい我慢できねぇ

      のか。

旅行家   我慢もなにも、限度があんだろ、三十分以上おなじところを歌い続けて

      んだ、気持ちよく眠れねぇよ。

写真家   まだ三十分じゃないですか。

学生    まだ三十分、っすか。

漫画家   歌はいいです、歌は。

料理人   気持ちいいじぇねか、歌曲も、気持ちよく眠れそうじゃねぇか。

旅行家   ばか、こんな近くで大声で歌われて、眠れるわけねえだろ。

声楽家   たしかに、このアリアは、誰も眠ってはならぬ、ですが。

旅行家   そんなことはどうでもいい。

料理人   いい名じゃねぇか、入院中に必要なことだろ。

学生    たしかに、うるさくて眠れないっすね。

写真家   昼間眠ると、夜の消灯後が長いですよ。

会社員   いい曲だよ。

漫画家   いいんです、歌がなんであろうと、その馬鹿でかい怒鳴り合いは何とか

      なりませんか、イヤホンを突き抜けて邪魔します。

料理人   真面目で努力家だけど、こいつもよほど神経質だよな。

旅行家   鼓膜でもつぶしやがれ。

声楽家   すみません、もうやめます。

写真家   だから、気にしなくていいから。

料理人   おい、やめるな、無音よりはるかにいいんだぜ。

会社員   生の声楽を聴けるのは、そう悪くない、おもしろいよ。

漫画家   そうです、歌はいいです、無駄な大声をやめてくれれば。

学生    でも、飽きたっすよ、何か違う曲ないっすか。

旅行家   そうだ、もっと楽しい曲にしろよ、演歌とか。

会社員   演歌は楽しいか。

料理人   演歌かよぉ、悪くねぇけど、演歌かよぉ。

声楽家   よし、いくぞう、ですかね。

写真家   それより、課題曲の練習をしなって。

漫画家   ほんとうるさい人たちですね、はぁ、日本の治験のように静かな人たち

      ならいいのに。

料理人   無目的なもやし達と一緒にすんな。

旅行家   そうだ、おれらは目的があってここにいるんだぜ。

学生    金を稼ぐ、って目的っすね。

漫画家   なんだっていいです、目的なんて、もっと静かにしてもらえればいいん

      です。

旅行家   こいつ、満員電車にいるやつらみてぇだな。

会社員   いや、もっと神経質だろう。

料理人   何かあると日本の治験日本の治験って、ここは日本じゃねぇぞ。

漫画家   治験を受けているのは日本人じゃないですか。

料理人   日本人でも、まるで違う日本人なんだよ、こいつらは。

会社員   あまり一緒にしてもらいたくないな。

写真家   一緒ではないですよ。

無職    みんな一緒でしょ。

学生    一緒っす。

旅行家   ちげぇよ、ぜんぜん、とくにバイタリティーがな。

声楽家   けど、ここに来て、自分はとても頑張る気持ちになりました。

料理人   副作用になるやつは、どいつもこいつもくそ真面目な暑苦しさがあんだ

      よ。

学生    この人も、っすか。

料理人   隠れてんじゃねぇの、どっか隅っこに。

会社員   あの人の、漫画を描く姿を見てかい。

声楽家   それもありますけど、あなたの、小説を読み続ける姿や。

無職    スマホのゲームをやり続けるのとか。

声楽家   なんだかんだ、勉強している姿とか。

学生    おれっすか、いやぁ。

漫画家   そうなんですよ、あの人は目的に向かって頑張っているから、歌声が応

      援のように聞こえて、うるさいどころかとても刺激になって漫画を描け

      るんです。

旅行家   こりゃ、副作用の影響かい、おれはそんな気にならねぇよ、うるせえぇ

      だけ。

料理人   じゃあ、おめぇも、必死に何か目的を持って進めよ。

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