二十六話ー気まぐれな子猫は、



 息苦しさに目を覚ますと、目の前に頭のつむじがあった。

 髪色や抱き付いてるこの子のにおいですぐに分かる。ベッドで眠っていた私に覆いかぶさってそのまま眠ってしまったみたい。布団の上に私に添い寝するように瑠華が横になってて私の首に抱き付いていた。

 ……そんなに私が恋しかったのかしら……。

 私がくっつこうとすると嫌がるのに。……猫みたいに気まぐれに私に擦り寄ってくる。私は起こさないように、瑠華の頭を撫でた。


 ……最近変なこと言うから少し避けてたんだけど、それがこんな反動を生むなんて思いもしなかった。瑠華ってば私の胸ばっかり見るんだもん。瑠華が私に言いたかったこと分かるけど、……それとこれとは話が別。お姉ちゃんは瑠華をそんな子にしたくない。……でも心を鬼にして距離を置いたのは、私の精神的負荷にもなっていた。

 ……好きなのに避けるって辛い。瑠華が何か言いたそうに私を見ていたのも気付いてたし、先回りして声を掛けようとしていたのだって分かってた。それでも今はダメ、と自分に言い聞かせて瑠華と話さないようにして、お弁当だって美穂ちゃんにお願いして届けてもらっていた。

 ……瑠華の担任の真中先生にはまたおかしなことやってるわね、と呆れられてしまったけど。


「…………んんっ……」


 息遣いが聞こえた後、瑠華が私を抱きしめ直す。何度も肩に頭を押し付けたかと思ったら、落ち着く場所を見つけた後、静かな寝息が聞こえてきた。

 まるで抱き枕ね……。嬉しい反面少し複雑な心境。こうして甘えられるのは嫌じゃないけど、寝ている間、私に変なことしてないよね……?確認しようとしても瑠華が抱き付いてて身動き取れない。風邪だってうつってしまいそうで離れたいのに、瑠華の腕はそう簡単に離してくれない。


「…………ふぅ……」


 瑠華は制服姿だった。いつものパーカーは脱いでいてシャツ一枚。……ということは学校が終わってからうちに来たのかな……。枕元に置いた目覚まし時計は夕方の時間を表示していた。……ママが瑠華をうちに入れたんだろうけど驚いていなかったかしら。


「…………こほっ、こほっ」

「………………れい……?」

「っ、……るか……起こしちゃったね、……けほっ、ごめんね?」

「………………」


 抱き付いてた瑠華が顔を上げて私から離れると、部屋のテーブルに置いてあったペットボトルの水を取ってくれた。ベッドから上半身を起こすと瑠華が薬も手渡してくれる。


「……怜のママが薬も飲んでって」

「……うん、ありがと」

「……お腹は?」

「少し、空いたかな」


 水を飲んで落ち着いた。瑠華は私の返事を聞くと、そのまま部屋を出て行く。

 ……どこに行くの?と聞きそびれて、瑠華が戻ってくるのを待っているとドアがまた開いた。


「…………え?」


 瑠華がお盆を持って部屋に入ってくる。そして私のベッドまで持ってきてくれた。


「……おかゆ作ってみた。……あ、怜ママにはちゃんと言ってあるから。なんか用事あるとかで出掛けちゃったけど」

「……瑠華が?」

「ちゃんとスマホで調べて作ったからたぶん大丈夫。味変とかしたかったら言って?マヨネーズと……」

「けほっ。……わかった。それちょうだい?」

「……うん」

「いただきます」


 瑠華が作ってくれたおかゆを受け取る。温め直したおかゆをフーフーと息で冷ましながら口に入れると、ほんのり甘かった。


「……瑠華、砂糖入れた……?」

「ううん、はちみつ」

「…………はちみつ……」


 やっぱり瑠華の味覚は私がどうにかしなきゃ、と再度誓ったのと同時に、はちみつも案外悪くないかも……なんて思ったりもした。


「…………ごちそうさま」

「うん。……食べたら寝てて」


 少し嬉しそうに綺麗に食べ終わったお椀を見つめる瑠華。そしてテーブルの上を片してた瑠華の背中を見ていたら、触れたくなって手を伸ばしてた。


「……っ!……怜……?」


 ベッドの上から床に座ってた瑠華を背中から抱きしめる。驚いた瑠華は体を強張らせてた。


「……身体が弱ってる時って、誰かにそばにいてほしくなるって本当ね。ありがとう、瑠華。……瑠華が風邪を引いたら今度は私が看病してあげるね?」

「……寝込んだこと無いから分かんないけど、……怜が安心したなら良かった」

「……起きたら瑠華が私に抱き付いてるから、ちょっとビックリしたけど」

「っ!……それは、……その……」

「…………ごめんね?避けたりして。……寂しかった?」

「っ、……アタシが悪いし。……変なこと言ったから。……反省、してる」

「それは瑠華が一生懸命作ってくれたおかゆで分かった」


 よしよしと頭を撫でると、瑠華が少し落ち込んだ表情で振り返る。


「……それに瑠華の変化に付いていけなかった私が悪いの。……これからは、……うん、今の瑠華も受け入れるから、待ってて」

「………………」

「…………瑠華?」

「……あのさ、冗談だと思って聞いてほしいんだけど」

「……冗談?」

「アタシと怜、……別の世界で恋人してたんだ。……ごっこだけど」

「……え……?別の世界で、こい、びと……?」


 あまりにも突拍子もない単語ばかり。私はその二つが結びつかずに思考が停止した。


「そうだよ。……アタシのファーストキス奪ったのだって、怜なんだから」

「え……っ、る、…………っ」


 そう言って瑠華が私に口付ける。

 ……瑠華の唇が離れた後、恐る恐る唇に指で触れていた。今にもまた触れそうな距離で私を見つめる瑠華の肩を押し返す。


「……思い出さなくてもいいけど。……無かったことにしないでほしい」

「………………っ、……うん」


 真剣な眼差しを向けてくる瑠華の言葉に、私は戸惑いながら頷くしかなかった。そしてお盆を持って部屋を出て行った瑠華は、この部屋に戻ってくることはなかった。


「…………別の世界……どういうこと?」


+++


 熱のせいでボーっとしてるんだと思ってた。でもこれは瑠華から伝わってきた熱。冷えピタを貼っても、この熱は静まりそうにない。……まだじんわりと残ってる唇の感触が、私の心臓の鼓動を早めていた。


 瑠華からもっと話を聞きたかったけど、今の私じゃ話を整理するのは無理だっただろう。……別の世界って何……?瑠華は夢を見ていたんじゃ、……そう思うけど、でも急に瑠華の態度が変わったことに繋がっているなら、その反応も納得出来る。……たまに私を見る目が変わる理由も。

 私に見せる顔とは違う、女の子の瑠華。別の世界の私が瑠華にそんな顔をさせていたんだと思うと自分なのに悔しくなる。瑠華の考えを変えたのも、……瑠華が素直になったのも、私じゃなく、もう一人の私のおかげだった。


 瑠華が最近どんどん可愛くなっていくから、周りが言うように好きな人が出来たのかなってモヤモヤしてたのに、……その相手が私かもしれないと思ったらモヤモヤは増していた。……だってその記憶は私には無いもの。

 瑠華が話している私は、きっと私が知らない私。……どう気持ちを処理していいのかわからずに、私はさっきの瑠華とのキスの感触に浸る。

 『あら、好きな人でも出来たの?』前に先生が瑠華に言っていた言葉はその通りだったのかもしれない。瑠華が顔を赤くして黙ったのだって、今になって考えると別の世界の私のことだったのかも。


「……私と瑠華が……こい、びと……」


 ……気持ちが落ち着かない。

 瑠華が帰った後カレンダーを見ると、明日は午前中だけ授業。お弁当は作らなくていい日だけど、……瑠華と話したい。

 分からないことだらけだけど、瑠華が勇気を出して示してくれた気持ちには応えたい。


「……もう一人の私……どんな私だったのかしら……」


 ファーストキスを奪ったって瑠華は言ってたけど、そんなことをする自分を想像して顔が熱くなる。我ながらすごいことするなぁと思いながらも、……羨ましいと思ってる私がいた。

 瑠華のことあんなに変えるなんて、一体どんなことしたのかしら……。キス……だってしてたのなら、もっと恋人らしいことも……?


 瑠華が少し悪い子になってしまったのも、もう一人の私のせいだと思うと何とも言えない気持ちになって思わず自分の胸を見下ろした。

 ……私のせいなんだから、私が瑠華の気持ちを発散させてあげないとダメなのかな……?今まではよく分からなくて瑠華のこと拒絶したけど、私のことが好きでそうしてるのなら…………複雑だけど、少しは許してあげなきゃ。


「こほっ…………もう寝よう」


 最近の瑠華との距離が近かったことを今更ながら自覚して、考えれば考える程、熱は上がっていくばかりだった。


+++


 休み明け、学校へ行くと色んな子から声を掛けられた。

 一日風邪で休んだぐらい、みんな気にしないと思っていたのに、……私、そんなにみんなに心配を掛けていたのね。心配してくれてありがとうと返すと、嬉しそうに去って行く生徒たちを見送って、私は自分の教室に入った。

 そして午前中だけの授業はあっという間に過ぎてHRが終わる。休んでいた日のノートを写させてもらったり、委員会の仕事もあったし、今日は瑠華に会う時間もなかった。……トボトボと委員会の集まりから教室へ戻る廊下でちょうど真中先生に会う。


『あら笠松、元気になったのね。……伊崎が随分あなたのこと心配してたわよ?もう許してあげなさいよ』

「先生。……えっと……昨日瑠華がお見舞いに来てくれて、仲直りは、したんです」

『あらそうなの?ふふっ、伊崎も案外行動力あったのね~。……でもあの伊崎があなたのこと心配してる所、動画に撮って見せたかったわ』

「……瑠華が可哀想です、先生」

『あなたが言う?……随分無視していじめてたくせに』

「っ…………それは、色々、あったんです」


 瑠華がおっぱい星人になった、とは言えなくて言葉を濁すと、先生はクスクスと笑っていた。


『でもあなたのおかげで伊崎も真面目に授業受けるようになったし、課題も提出するようになったし……制服は相変わらず指導ものだけど随分良くなったわ。伊崎も毎日楽しそうだし』

「…………そうですか」


 ……複雑な気持ち。それは私じゃなく、……もう一人の私のおかげなんだもの。


『……あら?嬉しそうじゃないわね』

「…………色々あるんです」

『そう?色々ねぇ……あ、伊崎、笠松のお迎えごくろーさま』


 先生が私の後ろに向かって声を掛ける。……瑠華?と後ろを振り向くと、もじもじと居心地悪そうにしている瑠華が立っていた。


「っ!……迎えって……別に、通りがかっただけっていうか」

『はぁ……ツンデレのテンプレ使わないでくれる?ちゃーんと素直にならないとダメよ?伊崎』

「なっ!真中ちゃん何で怜と仲良いの?早くあっち行ってよ」

『はいはいおじゃま虫は退散します~』


 先生と瑠華のやり取りと思わず笑ってしまうと、瑠華が恥ずかしそうにしていた。


『……ふふふ。そんじゃ、ごゆっくり~』


 そう言って去って行く先生を見送った後、瑠華を見ると私に近付いてくる。昨日の事を思い出して瑠華と目を合わせるのもドキドキしたけど、それは瑠華も同じだったみたい。全然目を合わせてくれなくて、……それでも私は恥ずかしそうな瑠華の顔を見つめた。


「……もう大丈夫?」

「うん。……瑠華のおかゆのおかげで」

「そ。……なら良かった」

「………………」

「………………」

「「あの、」」


 お互い声が重なって、顔を見合わせた。


「「っ、どうぞ」」

「………………」

「………………」


 そしてまた顔を見合わせた後、笑ってしまう。


「……委員会終わったし、一緒に帰らない?」

「……うん。帰る」

「じゃあ、ちょっと待ってて」


 鞄を取りに教室へ入る。これから遊びに行く子たちがどこへ行く?と相談している中、私は荷物をまとめた後、瑠華が待っている廊下へと出た。


「……お待たせ。……お腹空いたでしょ?帰りどこか寄って帰る?」


 ファミレスに入ればゆっくり瑠華と話せるかも……と思っていたんだけど、瑠華の答えは違っていた。


「……良かったら、うちに来てお昼、作ってくれたら嬉しい……」

「……え?」

「作ってくれるならスーパーで買って帰ろ?……作るのやだったらファミレスで良い」


 それだけ言って瑠華は視線を逸らした。……家に来られるの嫌だって言ってたのに……。正直今は、瑠華の家はドキドキしすぎてしまうけれど、……瑠華は私に来てほしいんだってわかって迷わず手を取る。


「……スーパー寄って帰ろ?何食べたい?」

「……え、いいの?……なら、普段おべんとで食べられないやつがいい」


 そう言うなり、スマホで料理を検索する瑠華。私はその様子を隣を歩きながら見守る。


「……んー……これは時間掛かりそうだし、でもこっちも美味しそう」

「お昼は簡単に済ませて、時間が掛かりそうだったら夕飯用に作るから何でも言って?……お姉ちゃん、瑠華の好きなもの作ってあげたいから」

「………………あり、がと」


 素直な瑠華のありがとうは思わず私の胸をきゅんとさせた。……今までならただ瑠華のこと可愛いと思って見ていただけだけど、昨日の出来事からこれまで以上に瑠華のこと愛おしいと思うようになってしまった。

 今まで恋愛なんて……と瑠華をダメにしてしまう要素だと思っていたのに、その相手が自分なら瑠華は大丈夫だと確信している私はズルい。何も知らない瑠華の選択肢を狭めているのは私だもの。


「…………ね、これとかどう?」

「いいけど……でも瑠華はもっと野菜も食べないと」

「えー。いつも怜のおべんとで食べてるじゃん」


 いつものように瑠華と話しながら、私たちは学校を出た。

 そしてスーパーに立ち寄って買い物を済ませた後、瑠華の家に向かう。


「……瑠華と一緒に買い物して帰るなんて……」

「……一緒に暮らしてるみたい」

「………………ね、重くない?そっちの方が重いでしょ?」

「大丈夫。……怜だって風邪治ったばっかりでしょ?ご飯作ってもらうんだし、これぐらいするってば」


 ……瑠華の優しさが心に沁みる。スマホをいじりながら歩く瑠華の隣で、私は瑠華に心を許されてる喜びを噛みしめた。



「……おじゃま……します」


 数年ぶりに瑠華の家にお邪魔する。……あの頃と変わらず、瑠華の家は綺麗だった。……というか瑠華以外が生活している感じがしない。瑠華ママは瑠華が学校に行っている間に用事を済ませてまた仕事に行ってしまうって言ってたけど……。


「……アタシ着替えてくるから、キッチン自由に使って」

「うん、わかった」


 二階に上がっていく瑠華を見送ってから私はリビングに入った。キッチンに入ると瑠華が使ったコップしか置いていない。あまりにも殺風景なキッチン。……私はスーパーの袋を広げ食材を並べた。


「……怜、このエプロン使って?」


 しばらくして瑠華が一階に降りてくる。瑠華は部屋着に着替えてTシャツにジャージ。髪も上で一つにまとめていた。……いつもの瑠華も可愛いと思ってたけど、今の瑠華は気を抜いている感じがしてもっと可愛い。


「ありがとう。……これ瑠華の?」

「……なわけないじゃん。……ママのだよ。制服貸して?汚れたら困るし」

「……うん」


 ブレザーを脱いでネクタイを解くと瑠華はそれを受け取ってハンガーに掛けてくれた。


「……ジャージあるけど、下履く?」


 その姿が可愛くて笑うと、瑠華が恥ずかしそうに何だよ、と不貞腐れた。


「……じゃあ、借りようかな」


 手渡されたそれを受け取って、スカートの下からジャージのズボンを履いた。


「……そういえば瑠華、」

「……なに?」


 シワが付かないようにスカートを椅子に掛けてくれた瑠華。私を振り向くのを待ってから、瑠華の頭を抱えて抱きしめる。


「わっ!……ぷ」

「……瑠華がこうなったの……私のせいなんだよね?」


 瑠華の顔を胸に押し当てると、驚いて離れようとしていた瑠華が大人しくなった。


「…………病気みたいに言わないでくれる?」

「……私からすればそうだもん。……本当はお姉ちゃんに甘えたくてしょうがなかったんでしょ?」

「…………何とでも言って。怜こそ……慣れないことしてるからドキドキしてるじゃん」

「……だって恥ずかしいもん。……じゃあ、これでおしまい。私、ご飯作るから」


 そして腕を離してキッチンに向かおうとすると、腰に回った瑠華の腕が強く抱きしめてきて動けなくなってしまった。胸元にはすりすりしてくる瑠華がいて、思わずため息がこぼれる。


「……瑠華……瑠華はそんなことしないって思ってたけど。昨日、起きた時私を抱きしめてたのって……」

「…………知らない」


 ぴくっと瑠華が反応して固まった。


「瑠華は寝込みを襲うようなそんな子じゃないと思ってたのに」

「……怜に言われたくない。……あっちの世界では怜がそうだったもん」

「……私が……?」


 自分じゃ想像出来ない私。……でも瑠華がそんな嘘をつくとは思えないし。


「……Yシャツだとボタン邪魔。……汚したら大変だからTシャツ着ない?」

「…………着ない。……ほら、もう離れて?」


 ぽん、と瑠華の頭を叩くと、やっと解放された。瑠華に借りたエプロンをしながらキッチンへと向かう。


「……ねぇ瑠華、私が作ってる間、……その、別の世界のこと、話してくれる?」


 本当はそれが夢の話だったとしても、こんなにも瑠華が変わるなんて思えない。全てを信じられるかは分からないけど、まずは瑠華の話を聞くべきだと思った。


「……絶対信じてないでしょ。……だって忘れてるんだもん」

「…………覚えてないけど、……そもそもその私が本当に私かどうかは……」


 瑠華はキッチンの中に入った私を置いて二階に上がっていく。しばらくして降りてきた瑠華の手には、私が小さい頃瑠華に贈ったウサギのぬいぐるみが抱かれていた。


「……それ……私が子供の頃瑠華にあげたぬいぐるみ……?」

「そう。……このウサギがアタシと怜を別の世界に閉じ込めた、悪いウサギ。……いや、今となっては、良いウサギ?」


 瑠華は私にそのぬいぐるみを見せながら、話し始めた。

 瑠華の態度が変わった日の喧嘩、あの日そのまま喧嘩を続けていたら、階段から二人とも落ちていたんだってこと。……確かに私あの時はすごく頭に血が上っていたし、もしあの状態で喧嘩を続けていたら瑠華との関係も最悪だっただろう。

 ……私たちはそれを回避したわけじゃなく、それを経て仲良くなれたということ。別の世界で私と瑠華はまた再度出会って二人の時間を過ごした。


「……現実に戻りたい瑠華に交換条件として、恋人になってって瑠華に言ったの?」

「そう。……怜ってばしつこいしなかなか離してくれないし、二人っきりになるとすぐアタシにキスしてきたりちょっかい出してくるし」

「…………待って待って待って」


 顔から火が出そうになって思わず瑠華の言葉を止めた。


「……それ……本当に私?」

「……アタシも怜がおかしくなったんだと思った」


 思わず顔を両手で押さえると、瑠華はクスクス笑っていた。


 ……思えば私、いつも瑠華を振り向かせる為に必死だった。別の世界の私が瑠華を振り向かせようとして、瑠華が言っていたような事をしたのだったら……。自分のことながらすごいことをすると思う。


「……怜……アタシが怜のこと避けた理由、まだ言ってなかったよね」

「……?うん」


 お互い小さかった頃の話。

 ……瑠華が私の後を付いてきていた時の事。その頃にあった出来事を瑠華が少し辛そうに話すのを見て、私まで胸が苦しくなった。


「……あの時、怜と仲良くしてた子が”なんであの子と一緒に居るの?あんな子と一緒にいないで”って言ってたの聞いて、アタシ怜から離れようとした。……でも怜が離れてくれなかったから反抗するようになって……」

「………………瑠華……」


 瑠華が急に私から離れていった。……あの日のこと忘れないし、忘れられなかった。……でもその答えは、私が悪かったわけでも、瑠華が悪かったわけでもなかった。……そのことが今になってすごく悔しい。


「…………瑠華にずっと辛い想いさせてたんだね……ごめんね?」

「怜は悪くない。……その時のことも、もう一人の怜が教えてくれた」

「え?……もう一人の私、なんて言ってたの?」

「”瑠華は私の家族も同然。良い所も悪い所も含めて瑠華は瑠華だから。瑠華と一緒にいたくないなら私ともいなくていい”って。……カッコ良くない?昔の怜ねぇ」


 あの時のこと、ふと思い出して。……そして私しか知らないその話を聞いて、瑠華の話は本当なのかもしれない、って思った。


「……カッコイイ?瑠華にそう言われるの嫌いじゃないかも」

「……アタシの推しみたい。……怜は昔からアタシのこと、守ってくれたし」

「……瑠華」

「アタシ……怜のことずっと誤解してた。今までたくさん傷つけてごめんなさい」

「瑠華は優しい子だって分かってたもん。お姉ちゃんがもっと強ければ瑠華にそんな想いさせなかったのに」

「っ、違う!怜は強いよ、強すぎる。……だからアタシ、怜のこと好……」

「…………?私のこと、何?」


 言葉を止めて急に口を手で塞いだ瑠華。その顔が赤くなる。料理の手を止めて瑠華を見つめると、お互いの視線が重なった。


『ぐふふふふっ……あーもぉ最高じゃないかっ!ボクはこれを待っていたんだ!』

「「っ!?」」


 突然聞こえてきた声に驚いて部屋の中を見渡す。何が起きたのかと瑠華と顔を見合わせると、不意に置いていたぬいぐるみを掴んだ。


「っ…………やっぱ喋んじゃん!このウサギ!」

『……久しぶりだね、我が主。……そして記憶を失くしてしまった元主、はじめまして”良いウサギ”です』

「……は……はじめまして」


 声がぬいぐるみから聞こえる。最初はどこかに何かが仕掛けられたイタズラなのかと思ったけど、瑠華の反応はイタズラを仕掛けた側のそれじゃなかった。


「ちょっと、どういうつもり!?」

『怜の記憶が無いことに怒ってるのかい?……でもそのせいで君は素直になれたじゃないか、我が主』

「…………ぐっ……おまえ、また仕組んだな」

『ハードルが多ければ多い程、悩んで燃え上がる。……それは君の漫画が教えてくれたことさ』

「っ!また”君と過ごした三年間”の設定利用して……!」

『君の推し、……君が大好きなライト君はずっとそばに居たんだってこと、知ってほしくてね』

「っ!?………………」


 ぬいぐるみの言葉に反応した瑠華が私を見る。


『……君の事ずっとそばで、嫌われても影から見守っていたのは誰?』

「………………」

『……君ももうそろそろ素直になって気持ちを伝えなよ。いつまでも君のそばに居てくれるとは限らないんだから』

「……!……それって……?!」

『……ふふっ。これはボクからの意地悪な脅しさ。別に予期したわけじゃないよ、ご心配なく我が主』

「…………はぁ…………良かった。怜に何か起こるとかじゃなくて……」


 瑠華は大きく息を吐いた後、胸に手を当てて私を見る。どういう意味なのか分からず瑠華を見つめ返すと、いつもは見せない顔で微笑まれてドキッと胸が高鳴った。


「…………怜」

「……は、はい」


 改めて名前を呼ばれて私は姿勢を正していた。何か大切なことを伝えようとしている、それだけは分かったから。


「……あの、……アタシ、怜の事、好きかも。……恋愛的な意味で」

「…………恋愛的な意味……?」

『……はぁ……瑠華、君、そんな告白されて嬉しいの?あんなにあの漫画をハマってたのに……ほら、もっと相手の気持ちになって!』

「う、うるさいなっ!……き、……緊張して声震えるの!そっ、……そもそも今日告白するつもりじゃなかったんだし……」


 ……夢なのかしら。

 目の前で瑠華と私が作ったぬいぐるみが喋ってる……。それに瑠華が私のこと好きって。瑠華の視線は私が知ってる瑠華のものじゃない、……もっと熱い何か。


「……あの、……その話はご飯食べた後にしない?……色々頭が付いていけなくて」

「…………そっ……そう、だね。お腹空いたし」

『ほんと君たちってマイペースだね……まぁいいよ。せっかくだからボクたちの話、忘れてしまった元主にしてあげよう』


 お喋りなぬいぐるみと瑠華の楽しそうな声が私たちの緊張を解いていく。

 まるでこの関係を知っていたかのような既視感があって、知らない誰かの話を聞いているようには思えなかった。


「……瑠華、これテーブルに運んで?」

「……ん、わかった。……この食器使うの今年の始め以来かも」

「結構いいお皿なのに。……でも大丈夫、これから私が使ってあげるから」

「…………えっ、……それって……」

「……ん?どうしたの?瑠華」

「……なっ、……なんでもない」


 瑠華がやけにジッと見るから、なに?と首を傾げると、顔を赤くしてテーブルに向かってしまった。……変な瑠華。


『……んー……別世界の元主の生き方は元主の心を大胆にしたけど、……この世界の元主は自分の心を縛り付けたままだ。我が主頑張れ』

「っ!……あ……アタシにどうしろっていうんだよ……」

「ねぇ、瑠華何か飲み物ある?」

「……お茶でいい?……待って、用意する」


 キッチンで私の隣に立った瑠華が飲み物の準備をする。


「……ありがとう」

「……っ、怜こそ、ありがと。……急にワガママ言ったのに、作ってくれて」

「……素直な瑠華可愛い」


 思わず瑠華の髪を撫でると、瑠華が私を見上げた。……ちょっと恥ずかしそうに私を見つめる瑠華の視線に鼓動が早くなっていく。ふと昨日の光景が浮かんでドキッとしてしまった私は手を離していた。


「……あ……えっと、……お腹、空いたね」

「……?怜……?」


 自分でも分かるぐらい挙動不審になってる。瑠華は不思議そうな顔で私の顔を覗き込んだ。


「…………今度はアタシが怜のこと振り向かせるから」

「………………っ、」


 どう答えていいのかわからなくて黙る。チラッと隣の瑠華を見ると、ムスッとした顔でコップに冷蔵庫から出したお茶を注いでいた。そして瑠華がコップをテーブルに持って行った後、私が作ったぬいぐるみに話しかけられた。


『……もう一人の元主、君は気にならない?』

「…………気にならないわけないでしょ?……でも知るのも怖いかも」


 ……もし瑠華に、私じゃなく、もう一人の私の方がいいなんて言われたら、どうしたらいいのかわからなくなる。それこそ今、私に向けられている気持ちにも疑心暗鬼になってしまいそうだし。


「…………怜、早く食べよ?」

「う、うん」


 早く早く、と手招きする瑠華。そのテーブルの反対側に座って、私たちはお互い手を合わせた。


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