八話―好きの余韻




『大丈夫かい?我が主……』

「………………はぁ」


 大きく息を吐いた後、私はベッドに倒れ込んだ。


「……私、どうするべきだったのかしら……」

『怜、君がどうっていうより……瑠華があんなことをしてくるなんて驚いたよ。瑠華は君と関わることを止めていたのに、今の瑠華は思い切りぶつかってくるね』


 可笑しそうに笑うウサ太郎を睨めば、ごめんごめん、と謝った。


 思えば朝から瑠華の態度は違った。

 急に呼び捨てで名前を呼んできたり、今まで恥ずかしがって逃げていたのに自分から私に触れてくれるなんて……。そんな瑠華に戸惑いながらも、私を見てくれることに気持ちが舞い上がってしまった。


 でも放課後の瑠華は違う。……暗く、落ち込んだ顔をして。

 あんな感情的で強引な瑠華は初めて見たし、私のこと見てくれないし、……すごく胸が痛んだ。でもそれが瑠華のヤキモチだったんだって分かった後は、ただただ愛おしかった。

 ずっと瑠華が何かを気にしてることはわかってたのに、……ううん、私の屋敷に遊びに来てから、彼女はずっと私の態度を気にしてた。


『……だからアタシを見ると、悲しそうな顔するの?』


 そう聞かれた時、私は何も返せなくなった。無意識のうちに出ていた態度が瑠華を苦しめていたんだって気付いたから。


『っ……ごめん。……ずっとおじょーの様子が気になってたんだ』

『さっきアタシを抱きしめてたのも、……そう?』

『……そんなこと気にしない……って言いたいけど、気になる』

『……でも別に今すぐ聞きたいわけじゃないから。おじょーが言いたくなったら言えばいいよ』


 瑠華の言葉はどれも胸に突き刺さる。瑠華がそう感じるのは、瑠華にその記憶がないから。

 今の瑠華はとても優しくて私に好意的な、理想の瑠華。

 でも、それは私が作り出している妄想なんじゃないかと思った事が幾度もあった。今の瑠華に対してそれは失礼なことなのに、自分の心がどこか今の瑠華を受け入れられずにいる。そんな態度が瑠華の目には悲しそうな顔に見えたのかもしれない。

 ……いっそのこと、怒鳴られても嫌われてもいいから、言ってしまえればいいのに。今の瑠華に私の記憶が無いのは当たり前で、……私はそれが寂しかった


『……君がどう思おうと自由だけど、育つ環境が変われば同じ瑠華でも気持ちも考え方も変わる。今まで君たちから現実の記憶を消していたのはそれを気付かせる為のもの。……君だってそうだろう?記憶が戻る前の君はそんなにネガティブな思考は持ってなかったはずさ』

「………………」


 瑠華のことを思い出す前の私は、アイギス家のことだけを考えていた。

 この家の長女として、私はこの国を担う一人として恥ずかしくないようにと、勉学教養全てを学んできたのだから。……今もそれを続けているのは、習慣となっているのは…………もしかしたらこの世界に留まるかもしれない、そんな想いがあるから。……はぁ、私ってズルいのかも。

 ウサ太郎との賭けを思い出した後も、私はここに留まる可能性を捨てきれないのだから。


『……それがレイチェルっていう人間だからね。怜の猪突猛進な所とレイチェルの狡猾さが相まって今の君が存在していると言っていい』

「……それは…………自分の中でも感じているわ」


 ……前の私なら思ったままに行動していた気がするもの。瑠華の気持ちよりも、瑠華をみんなに認めさせたい、そんな想いが強かったことを自覚する。


『……いいじゃない。前の君は話し合うことさえ拒否されてきたんだ。今は思いっきり気持ちをぶつけてもらうといいよ』

「っ……他人事だと思って面白がっているのね……!」

『……そりゃそうだよ。我が主は頑固だからね~?ボクも何度瑠華に怜へのストレスをぶつけられたことか』

「うっ…………誰に似たのかしら、意地悪ね」

『君には負けるよ、我が主』


 このままこの世界が進んでいけば、私の未来はほぼ決まっている。

 それはこの世界での、レイチェル・ウィル・アイギスとしての人生。私はその為に努力していたし、そうなることを望まれてこの世界に生を受けた。それに何の疑問も不安も抱いていなかった。


 ……それなのに、瑠華のことを、現実の世界のことを思い出した今は、そんな自分の未来を否定したい気持ちでいっぱいになる。

 今の生活が嫌なわけじゃない。瑠華が楽しそうに生活しているのを見ていると、私の気持ちだけで現実に戻りたいとは言えなくなる。

 瑠華だって記憶が戻ったとしても、今関わりのある家族や友人たちに私以上に思い入れがあるはずだわ。……それどころか、現実に戻りたくない、って言われるかも。


『……だけど、ここは現実じゃない。君、ちゃんと覚えてる?君たちにはちゃんと帰る場所があるってこと』

「…………そう、だったわね」


 ……いくらこの世界に留まりたいと願っても、それは違う。自分のしたことから目を逸らしているだけだわ。


「……私……どうしたいのかしら。好きな気持ちは変わらないけど、今の瑠華は私の知ってる瑠華とはだいぶ違う……」

『……君は両親にも構ってもらえずすれてしまった可哀想な瑠華が好きなんだったね』

「っ!?っ……ちっ……ちがうっ……!」

『……君はそんな可哀想な瑠華が自分を頼ってくれるのをずっと待ってた』

「っ、……それはっ…………」


 ウサ太郎の言葉で、今までのことが走馬灯のように頭の中を流れる。

 違う、と思っていても、心のどこかにそれに似た気持ちがあったことを否定できない。私は瑠華に頼ってほしかったし、何でも話してほしかった。ずっと助けたかったのに逃げていく瑠華を追いかけることしか出来なくて……。

 今、色々なものに満たされている瑠華は、弱さなんてどこにもなくて、私のことを心配までしてくれて……。

 私は今、そんな瑠華を改めて好きになっている。

 ……瑠華への罪悪感と後悔が薄れて、許されているのだと勘違いしてしまう。……あなたはただ知らないだけなのに。


『君はそのネガティブさで勝手に悩んでればいいよ。……それより我が主、どうするんだい?』

「っ、……ど、……どうするって……?」

『瑠華の気持ち、受け入れるつもり満々なくせに』

「っ…………だって…………瑠華のこと、好きだもの」


+++


「……っ!?……レ、レイチェル……?」

「……あなたが急に私のこと呼び捨てにしたり……許婚になるな、なんて言ったりするから……。そんなこと好きな人に言われたら、私……どうすればいいのかわからないわ」


 瑠華にキスした後、驚いた顔をしたまま固まる彼女を抱きしめて耳元に口を寄せる。


「……私はルカが好きなの。……ルカの気持ちがもし違うのなら、そんなに私の心を揺さぶらないで」

「っ…………アタシ、」


 肩を押して離れると、瑠華は顔を真っ赤にして私を見上げた。

 ……その顔はどう見ても、私に好意を抱いているように見える。でも私はまだ、瑠華の口からその言葉を聞いたわけじゃない。

 ……今の瑠華の気持ちを聞きたい……。

 今の私たちの関係はあの時とは違う。欲しかった感情を今、向けられているのに、それを刺激しすぎて瑠華がこれまでの記憶を思い出した時、また嫌われてしまうのが怖い……。相反する想いが瑠華に気持ちを聞く勇気を失くさせる。


「……ルカ、ごめんなさい。もういいわ。……あなたを困らせるつもりはなかったの」


 まだ瑠華が私の家で親の帰りを待っていた時、こうして背中を撫でて、大丈夫だから、と声を掛けていたことを思い出す。私はあの頃からずっと、守ってあげなきゃって瑠華を勝手に背負おうとしてた。でも瑠華はそれが嫌だったのよね……。


「…………ごめん」

「っ…………気にしなくていいわ、私のことなんて……」

「バカッ!……違うよ、そうじゃない。……ちゃんと考える。だから、さ」

「……え……?」

「……レイチェルの気持ちは迷惑なんかじゃない。……今、言われて嬉しいって思ってる自分がいるし、……その、」

「…………?」


 その言葉の続きが気になってジッと顔を見つめていると、私の視線に気付いた瑠華が恥ずかしそうに目を逸らした。


「……アタシ……最近、レイチェルのこと見てるとドキドキするんだ」

「………………」


 思わず目頭を押さえた私は、そのまま崩れ落ちそうになった。

 心配そうに私の体を支える瑠華。私は顔を見ることが出来ずに、押し返して逃げるように背中を向ける。


「……ちょっと、……キスしたくせに逃げるの?……さっきの、初めてなんだけど」

「っ……う、その、」


 それについては初めても二回目も私が奪ってるわ、とは言えずに口ごもる。


「……まぁ、いいや。この話はレイチェルの家に泊まった時に話そ」

「……え、ちょっと待って、本当に?」

「当たり前でしょ?……勝手に王子様のパーティーに行ったら許さないから」


 瑠華は私を背中から抱きしめた後、すぐ離れて門の方へと歩いていってしまう。その後ろ姿は振り返ることなく、私に手を振って去って行った。


「っ………私……明日死んでしまうんじゃないかしら……」


+++


『……はぁ……君の回想は瑠華が三割増しにキラキラしてるね……』

「実際はもっとキラキラして見えたわ」


 相変わらず私の思考を読んでくるウサ太郎にため息まじりに答える。

 瑠華の仕草一つ一つが可愛く思えて、私の胸を苦しめた。……本当はまだ、嬉しい気持ちと自分が瑠華を追いかける側じゃないことへの戸惑いでどうしたらいいのかわからないけど。

 嫌がる瑠華を追いかけまわしてばかりだった私が、瑠華に追いかけられることになるなんて、……今でも信じられないわ。


「…………瑠華……」


 後悔のため息なんかじゃない。もっと、胸が熱くなって気持ちが溢れるような吐息がもれて、自然と頬が緩んでしまう。


「瑠華が……ヤキモチ焼いてくれるなんて」


 枕に顔を埋めたまま、ふふっと声をもらしてしまうと、気持ち悪いとウサ太郎の声が頭の上から聞こえてきた。


『……それよりどうするわけ?本当に泊まるつもりなんだろ?瑠華たち』

「……サラに部屋の掃除は頼んでおいたし、私の友人が泊まりに来るって張り切ってたし、リリカも喜んでいたけど?」

『……泊まらせる気満々だった。パーティーは?行くなって言ってたんだろ?』

「それは……アイラちゃんもいることだし、瑠華に分かってもらえるように話すわ」

『フリッツ王子は怜と結婚する気満々だろうけどね』

「……そうかしら?……案外好きな人が出来ればコロッと変わる人よ?フリッツは」


 フリッツ・ラヴァ・ルイン

 私より一つ上の彼は、誰にでも好かれる優しい人だった。

 決められていたわけではないけれど、アイギス家と王家との繋がりは強く、私はその第一王子フリッツ様のお妃に、と常々言われ続けていたし、その為の教育はずっと受けてきた。……それがこの世界での私の役割だと思って。


 ……でも私もフリッツもそんなこと考えてない。お互い好きな人が出来れば、その人と共にいるべきだと思っている。いわゆる私たちはこの国に必要な大事な部品だってこと、それを理解しているから。


『……君ってそういう役割に慣れてるよね。……だから瑠華との関係こじらせたってこと、理解してる?』

「…………幼なじみの役割ってこと?」

『そうさ。……怜の、そうしなきゃいけない精神のせいで瑠華はあんなにすれたんだから』

「私はしなきゃいけない、なんて思った事ないわ。……それが当然だと思ってたのだもの。……今なら何故嫌われたのかわかるけど」

『もっと重症だった。……瑠華はその役割を勝手に背負ってる怜が嫌いだったんだ。君はそこに気付かなくちゃ、また同じことを繰り返すよ?』

「………………そうね。……今ならわかるわ」


 瑠華がどうしてあんなに必死に私に抵抗していたのか。……瑠華は私のことを想って自分から嫌な役をしてくれたっていうのに、私は気付かずに……。


「…………これからは瑠華の気持ちを尊重するようにするわ。だって瑠華に好かれたいもの、私」

『……そう?ならいいけど』

「……今の瑠華は私を正面から見てくれるもの。その気持ちを無視するようなことはしたくないわ」


 この世界の瑠華は私のことを好きになってくれた、それがこんなにも嬉しいとは思わなかった。


「……ちゃんとあなたとの賭けも、現実の瑠華のことも分かってる、わ……」

『…………おやすみ怜』

「えぇ、おやすみ……」


 ……話し疲れた私は、幸せな気持ちで目を閉じた。

 もちろんこの世界も現実ではあるけど、……私はあの現実での瑠華の気持ちも取り戻したい。今までの自分と瑠華の気持ちをこのまま塗りつぶすことなんて出来ない。……あの辛くも苦しい現実で育んできた瑠華への気持ちがなかったら、今の私は存在しないのだから。


『……夢は楽しい夢でなくちゃね……』


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