四話―賭けをしようよ



 ――気付いたら、私は見慣れた教室で瑠華の体を腕に抱いていた。

 さっきまで動いていた瑠華が動かない。……それだけで血の気が引いていく。


「やだ……やだやだやだやだ……っ、瑠華っ!!」

「…………っ、う」

「――!?瑠華っ!」

「…………うっ、さ……」


 いつも通りの反応を返す瑠華を見てホッとする。無意識に私の手を振り払うこの手も、眉間にしわを寄せた顔も。それも全て瑠華が生きている証拠だもの。


「……はぁ……良かったぁー……」


 ホッと息をついて、私は横たわる瑠華の体に抱き付いた。

 ……本当は少し傷つくけど。でもそれでも彼女のそばにいられるなら構わない。私は放り出された手に自分の手を重ねた。

 ここがどんな場所かは分からない。さっき、私たちは階段の踊り場にいたはずなのに、ここは何もない空き教室のような場所だった。そしてぼんやりとここは現実ではないと分かっていた。

 じゃあ、どこなの?と聞かれても答えることは出来ないけど、夢のような場所……という感覚はある。ここは、私の夢の中なのかしら……?


「……ん…………怜……」

「…………る、か……?」


 ずっと触れたいと思っていた瑠華が目の前にいる。……そして私の名前を呟いたその唇に視線が囚われる。一瞬、思ってしまった思考を振り払おうと頭を振るけど、……むしろここが夢だというなら、自分の思うままにもっと瑠華に触れたいと思ってしまった。

 私……今、すごく不純なことを考えてる。


「……瑠華……?起きて」


 行動を起こす前に最後の理性を振り絞り、瑠華の頬を手のひらで軽く叩く。これで起きなかったら……。


「……起き、ないの?」


 ……瑠華が可哀想だからじゃない、同情でも心配でもなくて、ただ私が瑠華のそばにいたいから、ずっとあなたといる理由ばかり探していた。

 重ねた手に指を絡ませ、私は顔を近付ける。いつも顔を見るだけで嫌な顔されてきつく睨まれても、それでも私はあなたのことが好きだから……。


「っ…………瑠華、好きよ」


 頬を撫でて私の悪口しか言わないその唇を塞いだ。

 初めて触れた唇は柔らかくて温かくて……胸が苦しくなる程、瑠華への想いが胸の奥から溢れだす。

 瑠華を失くしてから気付いてもしょうがないのに、私は自分の気持ちに蓋をしたまま、周りから求められる幼なじみを演じることで瑠華のそばにいようとしていたのだと気付いた。


「っ……瑠華、ごめんなさいっ……私、」



『……ほんと君たちって何なの?』

「――っ!?」


 その声に驚いて顔を上げれば、呆れたようにこちらを見つめる二足歩行のウサギがいた。……ウサギ?

 その見覚えのある愛嬌のある顔、まだ付き合いがあった小学生の頃、瑠華が散々可愛くないって文句を言いながらも受け取ってくれたプレゼントだった。

 手先が不器用な私は一か月以上、このぬいぐるみを作る為に時間を費やした。……それでも瑠華は私を見ようとはしてくれなかったけど。


『久しぶりだね、我が主』

「……ウサ太郎……?」

『そのネーミングセンスの欠片も無い呼び方やめてくれるかな』

「ウサ太郎がどうして喋っているの?……やっぱりここは夢の中なのね」

『……夢の中?どうかな、覚める夢ならいいけど、このまま眠り続けるかもよ?二人仲良くね』

「………………」


 その言葉に悪意があることはすぐにわかった。私はともかく、瑠華のことはそうさせるわけにはいかない。相手はぬいぐるみだけど、私が睨むとウサ太郎は両手を上げた。


『そんなに怖い顔しないでくれる?むしろボクは君たちを見かねてある提案をしにきたんだ』

「……提案?」

『ボクと賭けをしようよ、怜。……境遇も生活も今とは全く別の場所に生まれても、君の瑠華への気持ちは変わらないか』

「っ、どうして?私、瑠華への気持ちを賭けの対象になんてしたくないわ」

『……じゃあこのまま、お互いギクシャクしたまま現実の世界に戻るかい?君はまた瑠華に嫌われ続ける生活を続けなきゃならないのに』

「っ……」


 瑠華に嫌われるのは慣れている、と言っても、そのまま言葉にされると、忘れようと心の奥に押し込んだ胸の痛みを思い出してしまった。


『……それよりボクの賭けに乗って、瑠華の気持ちを取り戻してみない?』

「瑠華の気持ちを取り戻す……?」

『君たちはとても仲が良かったんだろう?……それなのに急に瑠華があそこまでこじれた理由、知りたくないの?』

「っ…………知りたい、けど」


 瑠華は何度聞いても教えてくれなかった……。


『……君たちはこれから疑似的に別の世界で生き直す。今までの現実の記憶を失くしたまま、お互いのことも知らずに育つんだ。……でも向こうの世界の今日を境に記憶が戻る。……怜、君だけね』

「私、だけ?」

『……君が瑠華がこじれた理由にたどり着いたら、瑠華は全てを思い出す。……その時、君が瑠華を支える存在になっていることを祈るよ』

「…………」


 ……何も知らない瑠華なら、私を受け入れてくれるのかしら。そして全てを思い出した後も……。


『おやおや、弱気かい?』

「まさか。……むしろこんな機会を与えてくれたことに感謝しているわ」


 私が笑うと、ウサ太郎も笑ったように見えた。

 全てを鵜呑みにしたわけじゃないけれど、そんなことが出来るなら、それに挑戦したいと思っている自分がいる。

 ……だって私は今、全てをやり直したいと思う程、大きな後悔をしているから。


『……せっかくだから教えてあげる。君はずっと彼女に嫌われ続けていると思い込んでいるだろうけど、それは違う。……瑠華はね?君にもっと自由に学校生活を楽しんでほしいと願ってたんだ。だから君を遠ざけようとした』

「…………瑠華が?」


 目の前で横たわる瑠華の顔を覗き込む。もちろんウサ太郎の声は聞こえていないだろうし、それが本当なのか聞く術はないけれど……。

 それが本当なら嬉しいわ。……瑠華が本心から私のことを嫌っていたんじゃない。瑠華が私のことを想ってそうしてくれていたのだと知って嬉しくなる。自然と溢れてくる涙をそのままに、私はもう一度瑠華の手を握った。


「夢……じゃないの?ここは」

『……その質問に関する最適解は、流行りの異世界転生だと思えばいい、なんだけど、……怜には難しかったみたいだね』

「……いせか……え?……なに?」

『まぁ、とりあえずいってらっしゃい。君たちが最良の答えを出してくれることを祈っているよ』

「え……えぇ、そうよね。まずはやってみないとわからないわよね」

『……君ってほんと瑠華のことになると行動力半端ないなぁ』


 さぁ、はじめよう、とウサ太郎が私に手を差し出す。

 ……私に迷う理由なんてなかった。

 瑠華が……まだ幼かったあの時のように、私に頼ってほしいし、お姉ちゃんって呼ばれたいもの。……自分の気持ちを押し付けてるだけだっていうのは分かっているけど、その手を取らずにはいられない。

 ……ううん、むしろ夢なら、私は自分が思う結末を手に入れたい。

 そして心から瑠華に好きって言われたいもの。


「――その賭け、乗ったわ」


 私は綿が詰まったウサ太郎の手を握った。


『……OK。随分とこじれちゃってさ。君がプレゼントしたボクを嫌々受け取った瑠華がボクを部屋のどこに置いているのか知ってる?』

「……え?わからないわ……クローゼットの一番奥の陽の当たらない場所とか……ううん、箱の中に押し込められて潰されてるとか、」

『ひどいな、ひどすぎる。君、瑠華に嫌われすぎて自己肯定感めちゃくちゃ低いな』

「……じゃあ、使われていない部屋に……それでウサ太郎はそんなにひねくれてしまったのね」

『――君と一緒にするなっ!!……ボクは瑠華の部屋にいるよ。それもベッドの枕元にね?』

「……なっ!?」


 私は思わずウサ太郎に詰め寄り体を掴んで揺らしていた。


『やめっ……やめろぉっ!!こらっ、ボクは君が贈ったぬいぐるみだろっ!?』

「っ…………ズルい、ズルいわ!私は隠し撮りした瑠華の写真をずっと眺めてるっていうのに……」

『……重症だね。創造主ながら心配になってきた……。仕方ない、ボクが君をナビゲートしてあげるよ、我が主。……ちゃんと瑠華と仲直り出来るようにね』


 それが合図になって、私たちの体は何かに強く引っ張られる。


「っ、瑠華!!」


 最後に触れたかったのに、それより先に光の中に消えていった。


+++


 見覚えのある夢。私はまたあの日の夢を見て、目が覚める。

 重いまぶたを開けると、夢の中にいたウサギのぬいぐるみがベッドサイドのテーブルに座っていた。


「…………おはよう、ウサ太郎」

『あぁ我が主、おはよう。君はこの世界に来た時の夢を見ていた』

「……もぉ、人の夢を覗かないでほしいわ」


 私がそう言うと、ウサ太郎は両方の手を上げて首を横に振った。

 自室の天蓋付きの大きなベッド。……そこはもちろん、現実の私の家とは大きく違う。もうすぐ16歳の誕生日を迎える私、これまで生まれ育ったレイチェル・ウィル・アイギスとしての記憶はもちろんのこと、一か月前のあの日を境に、夢の中で見たあの日の現実までの記憶も取り戻した。


 ――そしてそこからウサ太郎との賭けは始まる。

 私の瑠華への気持ちは変わらない。……変わるはずないんだから。


『ちゃんと眠れたかい?……今日は怜が待ち望んでいた日だ。コンディションはバッチリかい?』


 子供の頃から私のそばに置いてあったウサギの人形が喋り出す。ウサ太郎が話し始めたのも、記憶が戻った後だった。

 最初は戸惑ったけれど、私は次の瞬間には瑠華のことを考えていた。記憶の中の瑠華と通っている学校の中に同じような姿をした彼女を見つけていたから、私はすぐに彼女のことを調べた。そして一つ一つ知っていく度、私の瑠華への想いは募る。……自分の貴族という立場なんてもうどうでも良かった。どう彼女に近付けばいいのか、私はそればかり考えていた。


「……えぇ、今日は瑠華が初めて私の家に遊びに来てくれるのだもの、準備は万全よ。……そろそろ本気を出そうかしら」

『君ってそういう時に限ってやらかすタイプじゃない?……せっかく瑠華の好感度が上がってるんだから、余計なことするのやめなよ?』

「っ…………確かに、そうね」


 思い当たる節がありすぎて、ウサ太郎の言葉に頷いてしまう。

 ……やっと瑠華と出会うことが出来た。何も知らない瑠華は、私に他の友達に見せる笑顔を見せてくれる。それだけで胸が苦しくなる。


「……瑠華はこの世界では家族に愛されている。……友達は少ないみたいだけど関係はとても良いわ。……そう、この世界で私が必要とされることは無い」

『……怜、必要か必要じゃないか、で考える頭やめなよ。……瑠華がどうして放課後君の話に付き合ってくれるのか考えて。……瑠華は帰りたいのに、わざわざ君との時間を作ってくれてる。絶対それは瑠華にとって必要なことじゃないだろう?』


 ウサ太郎の言葉に私はすぅっと目を閉じる。……思い出した記憶の中に、瑠華が今のように私の前で笑ってくれたことなんて……。


「……そうね。浮かれてはダメ。瑠華は私に本を借りに来ただけなんだから」

『君、ボクの話、聞いてた!?……怜の瑠華に対する自己肯定感の低さに呆れるよ』


 コンコンッと部屋をノックする音。それが身支度の合図だと分かっている私はウサ太郎に視線を送った後、返事をした。そしてメイドたちが部屋の中へと入ってくる、私は笠松怜としてではなく、レイチェル・ウィル・アイギスとして振る舞った。


「……ありがとう、今日は友人が訪ねてくるわ。彼女は私に本を借りにくるだけだから、あなたたちは気を遣わなくていいわ。……そうね、サラ、あなただけいてくれるかしら」

『かしこまりました』


 私がそう言えば、サラ以外のメイドは下がっていく。そして扉が閉まった後、私はサラを鏡越しに見た。


 サラは私が幼少期から一緒に育ってきた幼なじみの従者。世間では完璧な令嬢と言われている私が本当はそうではないことを知っている、唯一の理解者。

 彼女には学校であったこともよく話している。


「……サラ、ついにルカがうちに遊びに来るの」

『ええ、お嬢様。昨日もその話を何度もお聞きました。とても楽しみになさっているのですよね?』

「そうだったわね。……ふふっ、もうね?夜も眠れなくてどうしようかと思ったわ」

『お嬢様?頼まれた書籍は机の上に置いてありますので』

「ええ、ありがとう。……ルカ喜んでくれるかしら」

『……ふふっ。これまでお嬢様と一緒に過ごしてきましたが、そのご友人のこととても大切になさっているのですね』

「…………えぇ、とても大切なの」


 ふと昔の記憶を思い出して、座っていたドレッサーの鏡をぼーっと見つめていたら、サラに肩を叩かれてしまう。そろそろお時間なので、とサラは瑠華を出迎える為に玄関へと向かった。


『我が主、今日の君のミッションは、瑠華と普通の友達として過ごすこと。……君が世話を焼く必要はないからね』

「…………わかってるわ」


 これまでの私は瑠華と大きく切り離されていた。……その分、思い出した時の瑠華を想う気持ちが重くのしかかる。

 今まで他人に対してこんな感情があったことなんて無かった。だから自分にこんな感情があることに驚いて、彼女と話すまでは信じることも出来なかった。

 ……でも、瑠華と話した瞬間、胸の奥に抑え付けられていたものが溢れだした。瑠華じゃなきゃダメ、私の中のもう一人の私が顔を出す。


 まだ私と彼女は混在しているけれど、いつかこの想いは一緒になる。……でも本当にそれでいいのかしら。

 今の私は最悪の状況を知った後だから、瑠華の為だと思えばどんなことでも耐えられる。でも今でもどう接していいのかたまに分からなくなってしまう。私の中には今までの彼女との関係がある。それは楽しいことよりも、辛くて寂しい想いの方が強い。……そんな私が今、接している瑠華はとても優しくてこんな私を大事に想ってくれる。けどもし瑠華が記憶を取り戻したら、……また、あの目で睨まれるのかしら……。


『……また不安に思ってるね?』

「……だから私の心を覗かないで」

『放っておいたら、君は悪い方にしか考えないだろ?』

「……それは、」


 そして自室の部屋がノックされる。支度をしている間から緊張していたのに、瑠華が来たことが分かると心臓が大きく高鳴り始めた。


『お嬢様、ルルカ様がお見えです』

「今、行くわ」


 鏡の中の自分の顔に向かって暗示をかけるように呟く。


「……瑠華を……今度こそ悲しませない。私はルカの友達、……レイチェル・ウィル・アイギスよ」


 一つ深呼吸した後、私は部屋を出た。



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