三限目 正義の味方と対峙するのもやぶさかではない
地下鉄の切符は無事に買えた。指も太くはなってはいるが、
座席に座る時、尻尾があるため背もたれとの間に適度な
周囲からの視線も、慣れてしまえばそんなに気になるものでもない。──というかぶっちゃけ、僕が神経質だったのかな?と思うくらいには他人は無関心だ。悪の組織の怪人に変身した僕が視界に入っても、拍子抜けするくらい波風が立たない。
(なーんだ、白い目で見られるわけやなかったか…自意識過剰やったかな)
これなら登校してもクラスメイトや友達からも受け入れられるだろう。男ばかりの環境だけれど満喫していた平凡な高校生活を奪われてしまうかと思っていたので、心の底から安心した。
一番の
トンネルの闇を鏡にし、反対側の車窓には現在の僕の現実がありありと映し出されていた。
白黒
スペインの闘牛が持つ
その点では「情けなか!」と嘆いたお爺ちゃんの評価は正しい。少なくとも前にアルバムを見せてもらった全盛期のお爺ちゃんの写真(ざっと三十年前の)は、悪役ならばかくあらんといった感じの漢くさいフェロモン全開だった。九州男児としての感覚なのか、僕自身そういった分かりやすい男らしさには基本的に憧れる。
そんな事を考えていたらすぐに電車が中洲川端に着いてしまった。フレックス出勤の人並みに混じって僕も地上を目指す。えーと、パパのメモにある制服販売店の最寄りは…こっちかな。
この時、僕は牛の耳の聴覚をもっと上手く使うべきだった。
「なぁ、アレ…」
「お前も気付いとったやろ?アレ、どう見ても悪の組織の怪人やんな」
「この辺じゃ見かけんツラやな。ショボか感じやけど」
「んじゃ…いっとく?」
「おいおい、こがん昼間に狩るつもりか?それにガタイの方は結構強そうやん」
「ばってんこっちは三人やぜ?」
…という、かなり不穏な会話を聞き逃してしまっていたのだから。
地上に続く階段を上り、古い喫茶店が一階に入ったビルから外に出て、ゴトゴト
大学生くらいの面識の無い三人組が表通りへの出口を塞ぐ格好で僕を取り囲み、そのうちのリーダー格らしい男が低く笑いながら凄んできた。
「なあキミ、組織どこよ?」
これまでアニメとかでしかお目にかからなかった展開に頭が真っ白になってしまい、僕はまともに声すら出ない。逃げなきゃ、と思っても足が動かない。
「あの…あの…僕悪いことまだしてないですし、これからも清く正しく生きるつもりなんですが…」
辛うじて蚊の鳴くような弁解をした。いや本当に世間様に害となるようなことは何もしてないんだけど。高校生だし。
リーダー格の男は肩をすくめ。
次の瞬間、
…といっても頭に赤いヘルメットを被る姿になっただけだった。それでも僕を凍り付かせるには充分だった。
続いて後の二人も光を放ち青、黄色のヘルメット姿になった。
「俺ら二、三日前に力に目覚めてさ。見ての通り正義の味方ってワケなんや。ちょーっち付き合ってくんない?あ、恋愛的な意味でなくて試運転的な意味で」
「ついでに有り金全部ドロップしてもらおうぜ」
「抵抗やらせんほうが賢かよ?アッちゃん空手五段やけん、うっかりしたらキミ、殺されるばい」
力に悩んでも力に溺れるな。お前の授かったそれは、仲間を助けるためにこそ
お爺ちゃんの言っていたこと。その意味が目の前で展開している。
こいつら、悪の組織の怪人相手なら一人を寄ってたかってボコるのをなんにも疑問に思わないんだ。
僕はなけなしの勇気をふり
『おかけになった番号は、現在電源が入っていないか、通話中で──』
「だーっ!もう
背後からヘラヘラ笑う声と、ブゥンという電磁的な振動音が近づいてくる。
と、友達…いつもつるんでる仲間にかける。が、授業中で切っているから誰も出ない。
もう
続く青ヘルメットの飛び蹴り。僕はビルの壁面に叩きつけられ、そこから放射状の亀裂が広がった。
痛い。
「いいねいいね、やっぱ怪人ってのはこうじゃなきゃなあ」
「俺にもやらせてよアッちゃん」
黄色ヘルメットだ。僕の顎をサッカーボールのように蹴り上げる。
ぐにゃぐにゃした僕の視界の中で、三人のヒーローは僕のポケットから抜いた財布を勝手にいじくり回す。
「えマジ結構良か財布じゃん。ブランドもんやぜ」「これ本体もメルカリで売れるんやなか?」「おっ中身もちゃんと入っとうよ!十万!へへへっサンキュ〜!全部もーらい〜」
顎も腹も痛い。
だけど。
「やめ…下さ…それ…制服を買う大事…なお金…」
鼻血の代わりにぬるぬるした
「うるせえし。誰に向かって口聞いてんだよオオン?悪の手先がよぉ、オ?」
頭を踏んづけられた。のに、涙が出るばかり。身体が変態して力は強くなったけれど、でも、男兄弟もいなくて友達ともついぞ喧嘩などしたことない平和主義の僕なのだ。
不良との暴力的な和解は荷が勝ちすぎるよ。誰か、助けて。
誰でもいいから───
「やっぱこいつ殺そ。なんか怪人とモメたら届出とか役所とか面倒臭い手続きとかせんばならんとやろ?俺らが壊したこの壁とかの損害やら、こいつが勝手に暴れよったけん…ってことにすれば後腐れ無うなるばい」
「そがんかね?ひょっとしたら金一封やら出るかね」
黄色ヘルメットの意見に赤ヘルメットも賛同した。ほんの数日前に手に入れたばかりだというのが納得できるぎこちなさで、両手を合わせてエネルギーを溜め込む。
「なんて叫ぶかなー。必殺技やけん、なんかこう、悪を滅ぼすぞ!的なカッコよかもんが良かよな」
言いながらも両手の中にソフトボール大の光球が育っている。それはバリバリと不吉な軋みを立てながら、周囲に小さなかまいたちをばら撒く。
「まあネーミングは後で!──喰らえ!」
かめはめ波のモーションで赤ヘルメットは光球を放った。
観念して目を瞑り僕は思った。今日この日に殺されるなら、パパの言うこと聞いて学校の成績上げて、ママの家事をもっと手伝って、ついでにお爺ちゃんの肩も嫌がらないで揉んであげたらよかった…
『Él rayos del infierno‼︎』
高らかな叫びと共に、ヒーロー達と僕との間を
予想しない反動にヒーロー達はよろめいて後ずさる。口々に喚いている。僕は恐る恐る薄目を開けた。
緑のエネルギーの壁がじんわりと陽炎のように溶ける。その前に、つまり僕と連中との間にさっそうと現れたのは…
孔雀石でできた雲つく巨人。
──ではなく、濃密な緑のマーブル
「相手が悪の組織とはいえ、たった一人の怪人を寄ってたかって攻撃し、あまつさえ
ぱっと
「いや、さ…こいつがなんか悪かことしそうだったけん?俺達で
そうや、そうやと残りの二人も同調する。
「
僕からは緑の男の背中しか見えない。けれど、彼が激怒していくのがよく分かった。ひと呼吸ごとに戦車の
「嘘で
「へぇ?それやったらどがんすっと?オッサン」「アッちゃんもう一回今のやったれ!」「俺達も
太い声とゴツい見た目に反して
「よろしい。この私に牙を
三人組は息のあったタイミングで同時に三つの光球を
「あ…危ない!」
まるで
目を丸くしている三人組に、緑ヒーローが大きく両腕を回して空中に円を描く。そこに三人組とは比較にならない
「
光源があまりに強くて、景色がモノトーンに沈む。
僕は死に物狂いで手足を突っ張った。リング状に僕を縛っていたエネルギー繊維の束が、ガラスを引っ掻くような耳に痛い響きと共に千切れて消える。
その勢いで立ち上がり、
「ダメーッ‼︎」
相手はギョッとして振り返る。意識が
「
「命を
「でもあちらの方々は貴方を殺そうとされていましたよ」
「でも…それはそうだけど…あなたが助けてくれたでしょ。それで良いですよ」
三人組は地面に伸びて
しかしその声を聞いて再び緑ヒーローは筋肉をこわばらせた。
「それでは、特に落ち度もなく踏み
「それは、もう、その…あの人達を警察に突き出したら十分です」
「
僕は前に回り込んだ。さっきから顔も見ずに話しているこの状況は、ちょっと失礼だと思って。
正面に
筋肉がもう凶悪だ。肩はパットでも入れてるみたいだし、胸は
胸元の密集した
「あらためて。僕を助けてくれてありがとうございます。今度お礼をさせてもらいますね。どうすればいいかな…とりあえずあなたの名前を教えてくれませんか?」
「
緑ヒーロー、僕に名乗りもせず少しずつにじり寄ってくる。
「
………ドッシン。
「そ、そうなんですね。どっちかって言うと…そこで伸びてる人達の方がそういうの得意そうですけど。僕は苦手ですアハハ」
苦笑で
「うーむ、どうにも調子が狂います。貴方は私が…恐ろしくは、ございませんか?」
……ドシン。ドシン。ドシン。ドシンドシンドシン
「え?むしろかっこいいと思いますけど…」
無言。
僕もつられて、沈黙。
二人の間になんとも
と、そこへ。
「ごぁーっはっはっは!孫のピンチに
ドシドシという振動が大きくなって、掛け声も勇ましくビルの谷間に黒い
「むっ、
あー、カッコ悪い見本だよコレ。僕は赤面しながら
「そん人は僕ば助けてくれたと!襲撃はもう終わっとるとよお爺」
「むむ、そがんね?と…いうことはこんヒーローは尚宏の恩人ゆうわけかい。こいつは
的外れな態度に勘違い。僕はお爺ちゃんの背中をポムポム叩きながら早く警察に連絡して、この
そんな僕達から目を離さず、緑ヒーローは少しずつ距離をとった。
「…Oscuro león…」
緑ヒーローのへの字口の
「貴様…ヒーロー名はなんだ」
緑ヒーローは不敵な笑みを浮かべ、腰を低く落として足のバネをためるとビルの屋上へ一気に跳んだ。そのまま気配が遠ざかる。
僕は
僕の後ろで、お爺ちゃんは苦手なゴーヤが食卓に並んだ時のような表情を浮かべていた。
今頃になってやっと、パトカーのサイレンの反響が鳴り響いてきた。
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