三限目 正義の味方と対峙するのもやぶさかではない

 地下鉄の切符は無事に買えた。指も太くはなってはいるが、形状けいじょうそのものは変わっていないのでタッチパネルの操作に支障ししょうはない。

 背丈せたけが一夜にして引き伸ばされているので車高しゃこう感覚が追いつかず乗り込むときに頭を打ったし、額に生えた牛の角が吊り革の持ち手に丁度からんでしまうのが少々鬱陶うっとうしかった。

 座席に座る時、尻尾があるため背もたれとの間に適度な隙間すきまを作らねばならず、腰掛ける位置を前にずらした。…膝が通路に出っ張るが、まぁ、許容きょよう範囲だろう。

 周囲からの視線も、慣れてしまえばそんなに気になるものでもない。──というかぶっちゃけ、僕が神経質だったのかな?と思うくらいには他人は無関心だ。悪の組織の怪人に変身した僕が視界に入っても、拍子抜けするくらい波風が立たない。

 勿論もちろん普通の人間ではない異形の姿だが、それを見やる他人の瞳はヤクピーとか明らか精神的に乗り越えづらい課題を抱えている人を避けるような感じではなく──少しばかり目立つ人をなんとなく意識するような…そう、場違いな祭り装束を見かけて「アレ?今日って何かお祭りの日やったと?」と思われるような…?うん、大体そんな感じ。

(なーんだ、白い目で見られるわけやなかったか…自意識過剰やったかな)

 これなら登校してもクラスメイトや友達からも受け入れられるだろう。男ばかりの環境だけれど満喫していた平凡な高校生活を奪われてしまうかと思っていたので、心の底から安心した。

 一番の懸念けねん材料が消失し、張り詰めていた肩から息を抜いて、前を眺める。

 トンネルの闇を鏡にし、反対側の車窓には現在の僕の現実がありありと映し出されていた。

 白黒ブチ模様の牛頭(丸っこい)の顔。元の顔立ちを少しだけ残したつぶらな瞳が見返してくる。つくづくアレだ。自分でも認めるのに抵抗あるが、なんというか…間抜けだ。

 スペインの闘牛が持つ凛々りりしさとか、ああいうヲットコらしさ?があると良かったんだけど。あんまりにも迫力が無さすぎじゃないかな?

 その点では「情けなか!」と嘆いたお爺ちゃんの評価は正しい。少なくとも前にアルバムを見せてもらった全盛期のお爺ちゃんの写真(ざっと三十年前の)は、悪役ならばかくあらんといった感じの漢くさいフェロモン全開だった。九州男児としての感覚なのか、僕自身そういった分かりやすい男らしさには基本的に憧れる。

 そんな事を考えていたらすぐに電車が中洲川端に着いてしまった。フレックス出勤の人並みに混じって僕も地上を目指す。えーと、パパのメモにある制服販売店の最寄りは…こっちかな。

 この時、僕は牛の耳の聴覚をもっと上手く使うべきだった。

「なぁ、アレ…」

「お前も気付いとったやろ?アレ、どう見ても悪の組織の怪人やんな」

「この辺じゃ見かけんツラやな。ショボか感じやけど」

「んじゃ…いっとく?」

「おいおい、こがん昼間に狩るつもりか?それにガタイの方は結構強そうやん」

「ばってんこっちは三人やぜ?」

 …という、かなり不穏な会話を聞き逃してしまっていたのだから。

 地上に続く階段を上り、古い喫茶店が一階に入ったビルから外に出て、ゴトゴトヒヅメ鳴らして繁華街を目指していたら、いきなり強い力で裏道に引っ張り込まれた。

 大学生くらいの面識の無い三人組が表通りへの出口を塞ぐ格好で僕を取り囲み、そのうちのリーダー格らしい男が低く笑いながら凄んできた。

「なあキミ、組織どこよ?」

 これまでアニメとかでしかお目にかからなかった展開に頭が真っ白になってしまい、僕はまともに声すら出ない。逃げなきゃ、と思っても足が動かない。

「あの…あの…僕悪いことまだしてないですし、これからも清く正しく生きるつもりなんですが…」

 辛うじて蚊の鳴くような弁解をした。いや本当に世間様に害となるようなことは何もしてないんだけど。高校生だし。

 リーダー格の男は肩をすくめ。

 次の瞬間、まばゆい閃光を放って変身した。

 …といっても頭に赤いヘルメットを被る姿になっただけだった。それでも僕を凍り付かせるには充分だった。

 続いて後の二人も光を放ち青、黄色のヘルメット姿になった。

「俺ら二、三日前に力に目覚めてさ。見ての通りってワケなんや。ちょーっち付き合ってくんない?あ、恋愛的な意味でなくて試運転的な意味で」

「ついでに有り金全部ドロップしてもらおうぜ」 

「抵抗やらせんほうが賢かよ?アッちゃん空手五段やけん、うっかりしたらキミ、殺されるばい」

 力に悩んでも力に溺れるな。お前の授かったそれは、仲間を助けるためにこそる──

 お爺ちゃんの言っていたこと。その意味が目の前で展開している。

 こいつら、悪の組織の怪人相手なら一人を寄ってたかってボコるのをなんにも疑問に思わないんだ。

 僕はなけなしの勇気をふりしぼり、ポケットからスマフォを出しながら路地の奥へ逃げた。短縮入力でお爺ちゃんの番号へかける。

『おかけになった番号は、現在電源が入っていないか、通話中で──』

「だーっ!もう肝心かんじんか時に使えんじゃん!さてはまた携帯を不携帯フケータイやなお爺‼︎」

 脳裏のうりにリビングのテレビ前に置きっぱなしでフラフラ出かけようとするお爺ちゃんと、注意する僕のいつもの風景がフラッシュバック。いや死なないよ?死にませんよ逃げ切るまでは!

 背後からヘラヘラ笑う声と、ブゥンという電磁的な振動音が近づいてくる。

 と、友達…いつもつるんでる仲間にかける。が、授業中で切っているから誰も出ない。

 もう袋小路ふくろこうじに追い詰められてしまった。余裕の足取りの赤ヘルメットが、右手に巻き付いていた光の筋を僕に投げつける。空中でバラリとほどけたそれは僕に一瞬で巻きついて拘束した。正義の味方の組織の…ヒーローの特殊能力?

 続く青ヘルメットの飛び蹴り。僕はビルの壁面に叩きつけられ、そこから放射状の亀裂が広がった。

 痛い。肋骨ろっこつはいかれてないと思うけど、朝ごはんの一部を吐き戻してしまうくらい強烈だった。膝をついてそのまま地面に崩れる。

「いいねいいね、やっぱ怪人ってのはこうじゃなきゃなあ」

「俺にもやらせてよアッちゃん」

 黄色ヘルメットだ。僕の顎をサッカーボールのように蹴り上げる。脳味噌のうみそのてっぺんが揺れて意識が遠ざかった。

 ぐにゃぐにゃした僕の視界の中で、三人のヒーローは僕のポケットから抜いた財布を勝手にいじくり回す。

「えマジ結構良か財布じゃん。ブランドもんやぜ」「これ本体もメルカリで売れるんやなか?」「おっ中身もちゃんと入っとうよ!十万!へへへっサンキュ〜!全部もーらい〜」

 顎も腹も痛い。のどから鼻までっぱいものが逆流して気持ち悪い。情けなさと怖さで、涙も出てる。

 だけど。

「やめ…下さ…それ…制服を買う大事…なお金…」

 鼻血の代わりにぬるぬるした吐瀉物ゲロを鼻腔から垂れ流し、なんとか訴える。

「うるせえし。誰に向かって口聞いてんだよオオン?悪の手先がよぉ、オ?」

 頭を踏んづけられた。のに、涙が出るばかり。身体が変態して力は強くなったけれど、でも、男兄弟もいなくて友達ともついぞ喧嘩などしたことない平和主義の僕なのだ。

 不良との暴力的な和解は荷が勝ちすぎるよ。誰か、助けて。

 誰でもいいから───

「やっぱこいつ殺そ。なんか怪人とモメたら届出とか役所とか面倒臭い手続きとかせんばならんとやろ?俺らが壊したこの壁とかの損害やら、こいつが勝手に暴れよったけん…ってことにすれば後腐れ無うなるばい」

「そがんかね?ひょっとしたら金一封やら出るかね」

 黄色ヘルメットの意見に赤ヘルメットも賛同した。ほんの数日前に手に入れたばかりだというのが納得できるぎこちなさで、両手を合わせてエネルギーを溜め込む。

「なんて叫ぶかなー。必殺技やけん、なんかこう、悪を滅ぼすぞ!的なカッコよかもんが良かよな」

 言いながらも両手の中にソフトボール大の光球が育っている。それはバリバリと不吉な軋みを立てながら、周囲に小さなかまいたちをばら撒く。

「まあネーミングは後で!──喰らえ!」

 かめはめ波のモーションで赤ヘルメットは光球を放った。

 観念して目を瞑り僕は思った。今日この日に殺されるなら、パパの言うこと聞いて学校の成績上げて、ママの家事をもっと手伝って、ついでにお爺ちゃんの肩も嫌がらないで揉んであげたらよかった…

『Él rayos del infierno‼︎』

 高らかな叫びと共に、ヒーロー達と僕との間を真緑まみどりの光の壁が遮った。赤ヘルメットの光球がそれにぶち当たり、ドカン!…という鈍い破裂音と同時に爆風がヒーロー達を襲った。

 予想しない反動にヒーロー達はよろめいて後ずさる。口々に喚いている。僕は恐る恐る薄目を開けた。

 緑のエネルギーの壁がじんわりと陽炎のように溶ける。その前に、つまり僕と連中との間にさっそうと現れたのは…

 孔雀石でできた雲つく巨人。

 ──ではなく、濃密な緑のマーブル紋様もんようのスーツで全身を覆う大男だった。

 えさをねだる魚のように口をパクパクさせているヒーロー達に、緑の大男は腕をこまぬいて尋ねる。

「相手が悪の組織とはいえ、たった一人の怪人を寄ってたかって攻撃し、あまつさえ搾取さくしゅするとは何事でございますか。納得のいく説明をして頂きたい」

 ぱっと、お爺ちゃんよりも大柄な──多分、彼もヒーローだ──相手に、赤ヘルメットは卑屈な調子で肩をすくめた。

「いや、さ…こいつがなんか悪かことしそうだったけん?俺達でらしめてやろうとしただけばい」

 そうや、そうやと残りの二人も同調する。

わたくしは先程から様子を探っていました。どうやら貴方がたは、性根しょうねがお腐れになっていらっしゃるようでございますね」

 僕からは緑の男の背中しか見えない。けれど、彼が激怒していくのがよく分かった。ひと呼吸ごとに戦車の鋼板こうはんみたいな肩甲骨が盛り上がり、サイを思い出させる背骨から尻にかけての筋肉がと膨らんでいく。

「嘘でり固めた弁明べんめいで私をたばかるとは不届ふとどき千万せんばん。ヒーローたる資格なしでございます。恥をお知りなさい!」

「へぇ?それやったらどがんすっと?オッサン」「アッちゃんもう一回今のやったれ!」「俺達も助太刀すけだちすっけん。どうせコイツも悪の組織の怪人やろ」

 太い声とゴツい見た目に反して慇懃いんぎんなほど丁寧ていねいな緑ヒーローに、三人組は気が大きくなったのかそれぞれエネルギー弾を構えだす。

「よろしい。この私に牙をくというのですね?でしたら──」

 三人組は息のあったタイミングで同時に三つの光球をち出した。僕は思わず叫んだ。

「あ…危ない!」

 まるで小蝿こばえを払うように、緑ヒーローは光球を片手ですべて叩き割った。

 目を丸くしている三人組に、緑ヒーローが大きく両腕を回して空中に円を描く。そこに三人組とは比較にならないはげしい輝きが集中し、緑ヒーローの前に歴史ドラマに出てくる銅鑼ドラのようなエネルギーの盾が出現した。

勧奨懲戒かんしょうちょうかい破邪顕正はじゃけんしょう───おくたばりあそばせ‼︎」

 光源があまりに強くて、景色がモノトーンに沈む。 

 僕は死に物狂いで手足を突っ張った。リング状に僕を縛っていたエネルギー繊維の束が、ガラスを引っ掻くような耳に痛い響きと共に千切れて消える。

 その勢いで立ち上がり、無我夢中むがむちゅうで彼…僕に味方する緑のヒーローの背中に抱きついた。

「ダメーッ‼︎」

 相手はギョッとして振り返る。意識がれて、放出されたエネルギーは形を崩してはじける。それだけでも十分な破壊力で、三人組は袋小路の反対側のはじまで吹っ飛ばされた。

何故なぜお止めになるのです」

「命をうばうのは最終手段‼︎でしょう‼︎」

 巨木きょぼくに抱きつくような格好で、僕は言い返した。怖いとかいう気持ちは不思議といてこない。

「でもあちらの方々は貴方を殺そうとされていましたよ」 

「でも…それはそうだけど…あなたが助けてくれたでしょ。それで良いですよ」

 三人組は地面に伸びてうめいている。良かった、大怪我おおけがかもしれないけど生きてるなら…。

 しかしその声を聞いて再び緑ヒーローは筋肉をこわばらせた。

「それでは、特に落ち度もなく踏みにじられた貴方に対するつぐないはどうなるのです。贖罪しょくざいをせずに反省はあり得ないのではないですか?ヒーローどうにもとります」

「それは、もう、その…あの人達を警察に突き出したら十分です」

さっしかねますね…貴方は損をしただけです」

 僕は前に回り込んだ。さっきから顔も見ずに話しているこの状況は、ちょっと失礼だと思って。

 正面に対峙たいじすると、本当に大柄なヒーローだ。身長三mメートル近いんじゃないかな?怪人になった僕が見上げる位置に頭がある。

 鼻梁びりょうが高くてりが深い。いかにも頑固そうな顔つき。ラテン系?ゲームに出てくるパワー系の僧兵に似てる。あともみあげがすごい。

 筋肉がもう凶悪だ。肩はパットでも入れてるみたいだし、胸はひとすじずつ筋繊維の束が視認できるし、屈強そのものといった逆三角形の体格。アメコミから実体化してきたみたいじゃないか。

 胸元の密集した剛毛ジャングルもすごい。ついでにいうと体臭も──クサいわけではないけれど、なんというかこうフェロモンが全開で、思いっきり吸い込んだら男の僕でも子宮がうずいてしまいそうなゆい芳香ほうこうがたゆたってくる。

「あらためて。僕を助けてくれてありがとうございます。今度お礼をさせてもらいますね。どうすればいいかな…とりあえずあなたの名前を教えてくれませんか?」

アクというものは…」

 緑ヒーロー、僕に名乗りもせず少しずつにじり寄ってくる。

傲慢ごうまん淫猥いんわい高慢こうまんにして我欲がよく権化ごんげ。他者をおとしいれることになんの忌憚きたんをも抱かない。──そううかがっていたのですが」

 ………ドッシン。

「そ、そうなんですね。どっちかって言うと…そこで伸びてる人達の方がそういうの得意そうですけど。僕は苦手ですアハハ」

 苦笑で誤魔化ごまかししたつもりだけれど、彼は得心がいっていない様子でジロジロと眺め回してくる。

「うーむ、どうにも調子が狂います。貴方は私が…恐ろしくは、ございませんか?」

 ……ドシン。ドシン。ドシン。ドシンドシンドシン

「え?むしろかっこいいと思いますけど…」

 無言。

 僕もつられて、沈黙。

 二人の間になんとも名状めいじょうしがたい空気が流れた。

 と、そこへ。

「ごぁーっはっはっは!孫のピンチに颯爽さっそう参上!待たせたな尚宏なおひろーッ」

 ドシドシという振動が大きくなって、掛け声も勇ましくビルの谷間に黒い獅子しし獣人が落ちてきた。お爺ちゃんだ。

 砂埃すなぼこりを舞い上げて着地。例の半裸はんらコスチュームで黒マントをはためかせてキメ!なポーズを作る。

「むっ、あやしか緑のやつばら!貴様か?貴様が可愛いやあらしかワシの孫ばイジメよったとか⁉︎悪の裁きの鉄槌てっついを喰らわしちゃる‼︎」

 あー、カッコ悪い見本だよコレ。僕は赤面しながら息巻いきまくお爺ちゃんの尻尾しっぽを引っ張る。

「そん人は僕ば助けてくれたと!襲撃はもう終わっとるとよお爺」

「むむ、そがんね?と…いうことはこんヒーローは尚宏の恩人ゆうわけかい。こいつは失敬しっけい

 的外れな態度に勘違い。僕はお爺ちゃんの背中をポムポム叩きながら早く警察に連絡して、この後始末あとしまつをつけてと文句を投げつける。

 そんな僕達から目を離さず、緑ヒーローは少しずつ距離をとった。

「…Oscuro león…」

 緑ヒーローのへの字口のはじからこぼれたかそけきつぶやき。お爺ちゃんは獅子の耳をピクつかせ、火箸ひばしを当てられたように振り向いた。

「貴様…ヒーロー名はなんだ」

 緑ヒーローは不敵な笑みを浮かべ、腰を低く落として足のバネをためるとビルの屋上へ一気に跳んだ。そのまま気配が遠ざかる。

 僕は呆気あっけに取られて彼が消えた軌跡きせきを見上げていた。お爺ちゃんも怪人としてはひとかどの身体能力だけど、彼もまた同じくらい…いやひょっとしたらそれ以上のものを持っているのではないだろうか。

 僕の後ろで、お爺ちゃんは苦手なゴーヤが食卓に並んだ時のような表情を浮かべていた。

 今頃になってやっと、パトカーのサイレンの反響が鳴り響いてきた。

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