二限目 乳牛獣人の姿もやぶさかではない

「うわぁぁぁぁぁぁ!パパママパパママパパママパパママパパママぁ‼︎」

 福岡市内。平均的な所得世帯が数多くマイホームを構える住宅区である。近在には都市圏だというのに蛍の飛び交う湧水地ゆうすいちがあり、地下鉄の駅周辺は再開発されて清潔かつラグジュアリーな空間に生まれ変わって久しい。

 その平穏な月曜の朝を、僕の悲鳴が切り裂いた。

 階段を二段飛ばしに降りて、一階のリビングに駆け込んだ。ストライプのパジャマのパパ(民弥・三十四歳)がのんびりとコーヒーをすすりつつ英字新聞を広げている──わざわざ再生紙に印刷したものを読むのは、高級思考ではなくタブレットだと目が疲れるという理由らしい。

 天然パーマで少し濃いめの顔の作り。かなりせて背が高く、手足が長いので高校生の頃は『人型汎用決戦兵器』とか呼ばれてたそうだ。

「これはまた意外な動物まじりで変態へんたいしたなぁ」

 高い鼻にかけた丸縁まるぶち眼鏡をずり上げて僕を眺めると、植物学者が新種を発見したような声を上げた。

「え、へんた…え?」

 僕はハッとして股間こかんを隠す。我が家の中だからと油断していたけど、確かに二階から盛大せいだいにブラブラさせて来てしまった。

「あーそういう意味じゃない。昆虫とか一旦さなぎになって自分の身体からだの構成を変えて出てくるだろう?」

 そういえばパパの趣味って、昆虫とか鉱石を採集したりする系だった。って、じつの息子を虫と同等の扱いとかどうなの?

「えっと、それじゃあ僕は…ん?よう分からんよ」

「うん、見る限りだと細胞のしつも一部で変わってるかも知れない。かたち通り偶蹄目ぐうていもくウシ科の特徴が内臓に影響しているかどうか…発語はつごに問題はなさそうだね。発音はつおんには難がありそうだけれど」

うとることが難しいっちゃ!もっと高校生にも分かるごと説明して⁉︎」

「それはお前がきちんと勉強していないのが悪い。塾にも通っているんだからあとは自分で調べなさい」

「騒がしかばってんどがんしました…アラアラはだかんぼ」

 今度はフライ返しを持ってママ(南子みなこ・三十二歳)がリビングから続きのオープンキッチンで振り返る。日本で一番双子三つ編みツインテールが似合う中年女性だろう。かなりぽっちゃりしてて、大学まで一貫した女子校では『クッキーを焼くのが得意そうな子』というあだ名をつけられたらしい。

「ごめんママ、パジャマのやぶけたっちゃん」

「それは新しいのを買えばよかけど…制服は?今までのが入りそう?」

「あ!考えてなかった!」

 変身もといが起こってしまった結果、今の僕は以前と比べ物にならないくらい体型が変わってしまっている。そう、肩幅は広く胸筋きょうきんは厚く、きたえてもいないのに腹筋もゴリゴリ八つに割れている。脇腹には見たこともない筋肉(前鋸筋ぜんきょきんとゆーやつらしい)がうねり、太腿ふとももは太腿というかもはやウシだ。

 や、牛なんだけど。リアルな話。

 ヒヅメまできちんとあるあたり、ゲームなんかでよく見るミノタウロスに近い。ハッとして首をひねり後ろを見る。

 かなり太くてかなり筋肉質な白い尾の先に、ふっさりと毛が生えていた。

「これじゃあ本物のモンスターやん…」

「アラ靴も無理そう。うーん、まあとにかく朝ごはんば食べんしゃい。そいから考えましょう」

 がっかりと項垂れてテーブルにつく。ママはふっくらした脚でスリッパをパトパト鳴らしながら朝の食卓の準備を続ける。うっ、尻尾のポジションが悪くて尻肉しりにくつぶされて痛い!

 尻をモゾモゾしてベストな位置を探る。パパはコーヒーをお代わりし、ママはよく使い込んだ専用フライパンで作った完璧なプレーンオムレツを僕とパパに配膳はいぜんし、グラスに牛乳を注いで僕の前に置き…

「はいどうぞ…ぷ、ププッ」

「あ!ママ笑ったでしょ!」

「笑ってませーん♬」

 僕は恨めしくグラスをにらみ、一気飲み。うん、美味しい。飲むぶんにはなんの問題もないんだけど自分がこうなっちゃうと、なんというか…子牛の気分?

「今日の学校は休んで制服を作りに行きなさい。先生に連絡しておくから」

 オムレツをナイフとフォークで器用に食べながらパパはメモに何か書きつける。

「僕がこうなったんはパパの身代わりなんやけんね、マジ勘弁してほしかよ」

「分かってる。大人のエゴに巻き込んだことは謝る。しかしその間抜まぬ──愉快な姿を選んだのは尚宏の深層しんそう意識だ。責任はお前自身に帰するぞ」

「そう言われてハイソウデスネって納得ばできると思うと?…あと間抜けって言いかけたでしょ」

「そんなことはない。うん。見れば見るほど立派な変態だ」

 時と場所を変えたらものすごく恥ずかしい評価だよそれ。

 全裸だし。

「たった一日で変態をやりげおったか!さすが我が子孫よ‼︎」

 スッターン!とリビング続きの和室からふすまを開いて現れたお爺ちゃん。他人様よそさまから見たらただの老年太りな黒毛の獅子しし獣人だが、れっきとした我が家の家長だ。寝床から起きたばかりの赤褌アカフン一丁。パパが顔をしかめ

「家の中とはいえ朝からその格好はひかえなきゃだめだよ」

 と言い、ママは困り顔で

「そうですよお義父さん、せめて用意してあります寝巻ねまきをおしになって。子供尚宏の教育に良うなかでござろうや」

 と嘆息たんそく一つ。

「ちぇぇいせからしかっ。そもそもなぁ、悪の怪人は全裸が基本やぞ。オトコたるもの裸一貫はだかいっかんなんば恥ずかしがることがある!山笠やまかさんときやらお前も締込しめこみになるやろがい」

 博多を代表する祭を例に出されてパパはむっとする。 

「山笠は神事、同列にとらえることが間違ってるよ」

 お爺ちゃんは聞く耳持たず。だっすだっすと床を鳴らして僕の方へやってきて。

「おお…尚宏よ、無事に変態しおって…」

 あ、お爺ちゃんはうれし泣きしてくれるんだ。美味しい牛乳を出せそうなこの姿は嫌だけど(オスだから無理か)、喜んでくれる家族がいるならまだいいかな…

 ぐわ、と肩をつかまれた。

「こともあろうに草食獣そうしょくじゅうやと⁉︎ふざけとるんか‼︎」

 えー…全否定?

「まあまあお父さん。雄牛おうしはヘタな肉食獣よりも凶暴だと言いますよ。発情期中は特に」

「そうですよお義父さん、牛さんは胃が四つもあるんですから。大抵の雑草も処理してござりましょう」

「実の息子のこの姿を前にして恥ずかしいこと言わんでよパパ。僕に草むしりさせるつもりでしょママは」

 わなわなと肥えた出っ腹を揺らし、獅子頭の(旧)悪の組織のトップは両腕を天にかざす。

「由緒正しき悪の組織にあって首魁しゅかいはその表象シンボルであり理念の具現インカルナチオに他ならぬ!恐れられまれ、圧倒的な迫力で他を平伏ひれふさせることこそその義務かつ、本懐ほんかいなのだ!それが分からんか⁉︎」

「えー?怖がられたり嫌われたりするやら、僕イヤや」

 僕はオムレツの半分にケチャップを、残りに醤油しょうゆをかけてご飯に乗せた。こうすると途中から味変できて、二回分楽しめるのだ。

「そいがモーモー鳴いて人間に美味しく搾取さくしゅされそうなガスば抜けた外見とは…ふざけよるにも程がある!」

 お爺ちゃんが椅子の背もたれの下の隙間すきまから出して平和にパタパタさせていた僕の尻尾を、付け根からニギって引っ張った。

「んくぅぬっ⁉︎」

 腰骨の奥からすうっと虹色の風が吹き抜けた。体のエッチなところを最高にいじられかたをしたような感覚。

 僕は思わずお爺ちゃんの鳩尾みぞおちあたりを突き飛ばしていた。ちょっと力を入れ気味で小突いた、僕にはそんな認識だった。

「ぐわおぇぬんぐらだぁぁーッ⁉︎」

 お爺ちゃんの巨体がジェット機の直噴射じかふんしゃを受けたように吹っ飛んだ。壁を突き抜け、庭木に激突。え変わり中の松の古い葉がパラパラと全部落ちる。

「な…なんというパワー…流石さすが我が子孫…もはや我が貴様に伝えることは何もない…ガクっ」

「リアルに『ガク』って気絶しないでよ」

 割と重めの家屋破壊が展開されてもパパは動じず、朝食の片手間にしたためたメモをテーブルの上に滑らした。

「朝ごはん食べたらこのメモにある洋裁店に行きなさい。十万円くらいあれば足りるだろう」

「高くない?」

「特製になるからそれぐらいるさ」

「でもパパ、この獣身カラダやと制服以前に出かける用の服がかよ」

「それなら任しんしゃい!腕によりをかけて作ってあげる」

 遅れてエプロン姿のまま食卓についたママが二の腕を片手で抑えて強調する。確かに子供の頃はママにいろんな服を作ってもらったけど、高校生になってそれは恥ずかしいなぁ…

「いやママ、怪人用の服なら組合から割引で買えるから。尚宏だってお年頃なんだ、母親に頼りっきりじゃ彼女の手前てまえバツが悪いだろう」

「アラ残念。じゃあとりあえず今日の外出用だけ後で仕立てますね。お義父さんの着古しのズボンとセーター…カーディガンでいけるかしら」

「着られればなんでもよかよ。あとパパ、僕男子校やのにどがんして彼女のできっと?」

「それはお前が出逢であいをサボっているからだよ。パパがママをつかまえたのは他校の文化祭で…」

「アラやだ民弥たみやさん♡またその話すると?」

 パパとママが目の前で惚気のろけるのを死んだサバの眼で眺めつつ食事を終えて、服ができるまでテレビを見て過ごした。

 仕立てるといってもお爺ちゃんのスラックスには元々尻尾用の穴が空いていたし、少しすそを詰める程度で十分着られた。シャツを着る時だけ何回か角を引っかけてしまい穴をほがしてしまったくらいで、カーディガンも問題なく羽織はおれた(むしろ腹回りが余裕ありすぎてスカスカだ)。

 庭木から立ち直ってきたお爺ちゃんも、ママの作った朝ごはんを食べながらうむうむと頷く。

「こうして見るとなかなか良か男ぶりやな。ばってんここまで強力に発現したからには、もしや周囲にも思いもよらんカタチで影響が出よるかもしれんのう」

「それってどんな?」

 ボリリン、と柴漬しばづけを噛んでお爺ちゃんは獅子頭をかしげる。

「さあ?考えたところでしょうのなかけん。まぁ早晩そうばんイキりな正義の味方に因縁インネンつけられるやもしれんがの」

「え何それ物騒ぶっそう

「大丈夫や。困ったらワシのすまぁーとふぉーんに助けば求めんしゃい。孫のSOSにはすぐ駆けつけるけん。あと友達には絶対にそんチカラ使つこうて怪我けがやらさせたらつまらんぞ。力に悩んでも力におぼれるな。お前の授かったそれは、仲間ば助けるためにこそるんやけんにゃ」

「ハイハイ分かりました。じゃあ行ってきます!」

 蹄に合う靴は無かったので、くるぶしから下に陽射ひざしでぬくもったアスファルトのまとう熱気を感じながら僕は外に出た。

 午前九時半。駅まで歩いて地下鉄に乗り、メモにある繁華街の洋裁店には一時間もなく着くだろう。

「ひもじゅうなっても、その辺の衛生上不安全そうな草やらんではつまらんでござるよ」

「やめてよママ、牛じゃないんだから…ってそのネタもういいよ!」

 のーっほほほほほ!という高笑いを背に僕は生まれ変わった姿で初めて街に出た。

 少し離れた物陰から様子を窺う小さな影には気付かずに。だって周囲から浴びせられる奇異の視線を意識してしまい、いっぱいいっぱいだったのだ。

 

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