愉怪人戦隊ダルメシアン

鱗青

一限目 悪の組織の首魁となるのもやぶさかではない

 日曜日の朝。福岡市のとある一軒家のリビング。外からはランニングに勤しむご近所さんと、玄関先の掃除をしているお隣さんが爽やかな挨拶などを交わす声がほんのり聞こえてくる。

 大人なら激務の疲労を癒すべく惰眠を貪り、学生ならば勉強の憂さフラストレーションを晴らすために遊びに出かけ、子供ならば──

「ごっははははは!我が子孫・安国やすくに尚弘なおひろよ!今日から貴様は“死の夜明けアルバ・モルト”の西部代表、日本を裏から牛耳る悪の組織…の、西日本支部首魁となるのだ!」

 画面の中で暖色系(赤とかオレンジとか)のピッチリタイツに全身をくるんだヒーローが

「何いっ!そうはさせんぞ⁉︎」

 などと叫ぶ…それがヒーロー番組のセオリーだよね。うん。

 だけどここは撮影セットじゃないし、ていうか僕んの居間だし、僕は象さんの着ぐるみパジャマだし、イタリア製のカウチの上で足を組んで健康番茶を啜る黒いライオン頭かつマントの半裸の巨漢は僕のお爺ちゃんだ。

 窓から差し込む和やか&うららかな初夏の木漏れ日が、すっかり後退した禿げかけのたてがみを黒曜石みたいないい感じにキラキラさせている。被り物とかじゃなく本物の獣人の頭部の下は、かつてはゴリゴリのマッチョだった名残を残す肥満体。獣人らしく鬣と同じ漆黒の剛毛に覆われた下腹も出てる。繰り返すがこれは僕のお爺ちゃんだ。

 寝ぼけ眼を手の甲でこすり、よく目を凝らす。うん、何の変哲もないいつもの我が家のリビング。

「おじい、なんで戦闘服なんか引っ張り出してきたと?いつもの甚兵衛はどうしたと?」

「今日は何の日だ、我が子孫・尚宏よ」

「普通にまごの尚宏って言ってよ…牛乳屋さんの集金と、お母さんのハーディ・ガーディの発表会」

「違う!」

 ぐわっ、と獅子がえる。庭に面したガラスが震え、番茶の茶碗が傾いた。

「お前が成人した日、つまり我が組織に正式な入隊を許された日である‼︎」

「…何?いきなりおかしかこと言い出して。僕まだ十六才やん。用事ってそれだけ?じゃ僕二度寝してくるね」

「ちょおいおいおい待て、ちょ待てヨ!」

 腕をグインと伸ばして僕の肩を掴み、無理矢理対面に座らせて、お爺ちゃんは咳払せきばらい。

「よいか」

「ダメ。眠かっちゃん…」

「よかけん、かっぽじってよう聞きんしゃい!ゴホン。──我等われら一族の家業ファミリービジネスの事は既に知っておるな」

「そがんこと耳タコどころか生まれた時からしつっこく聞かされよるやん。アレでしょ?悪による世界征服ば目論もくろむ秘密結社で、こん博多ば根城ねじろに福岡のこと裏から牛耳ぎゅうじっとるんでしょ?それが何?あテレビでYouTubeつけてよか?」

「リモコンから手ば離しんしゃい。…うむ、その通り。ついては代々我が家の男子直系が福岡支部の首魁しゅかい、ひいては組織の運営のかなめとなるよう定められている」

「知ってるってば。でもそれなら、パパがお爺のあとぐのがスジなんやなかと?」

「…であった、のだが、な。あやつめ───」

 口元まで持っていった茶碗が、お爺ちゃんの手の中でクッキーのように崩れた。

「今の仕事が忙しい、急にめられん、そいけんが跡目あとめ一代ひとつすっ飛ばしてお前に譲ると!こう言いよった‼︎」

「あー…」

 僕は「いつもニコニコ⭐︎頼れる気さくな弁護士!」がキャッチフレーズの父親の顔を思い浮かべる。確かに腕はそこそこらしいし、仕事にやりがいを見出してる熱血派だからいきなり悪の組織に転職とか納得しないだろう。いくらCEOトップでも。

「それでなんか昨夜ゆうべ遅くまで話し合ってたんや。なるほどね…せめて男子直系とかが条件でなかったらママでもよかったとにね」

南子みなこさんはそもそも相続自体に反対の立場での。ワシ、肩身かたみ狭かっちゃん…民弥たみや(パパのことだよ)も嫁さんの肩ばーっかり持ちよるし…」

 しゃわしゃわとしおれて縮むお爺ちゃんの顔。可哀想かわいそうだけれど、嫁舅よめしゅうと問題は僕には今ひとつピンとこない。

「大体莉里りり(これはお婆ちゃんの名前)が民弥を甘やかし過ぎたのが良うなかっちゃん。大学やら行かせて、ガクばつけさせて。行き着いたのは法曹界ほうそうかい!そいけん見てみい、日曜日やゆうとに仕事で出張しよる。ワシの言うこと聞かんけんそがんなる。だいたいが──」

「その愚痴ぐち聞ききたけん。で、何?続きは?」

「全く最近の若者は年長者の話ば聞けんけん、つまらんばい…ほらこっち」

「?」

 鉤爪かぎづめの生えたバナナのふさほどもある手でおいでおいでされる。素直に顔を近づけたら──

 ぐわし!と脳天のうてんから鷲掴わしづかみにされた。それも、なまやさしい力ではなく獣人である祖父の渾身こんしんの腕力で締め上げがかかる。

いたか痛か!ばり痛かぁ‼︎」

だまっとれ、すぐ済む!」

 お爺ちゃんはもう片方の手で天井を指差し、高らかにとなえた。

両親ふたおやに加え我の同意によりこの者を成人とし、もって我が力をゆずり渡す!悪をつかさど天魔てんまよ聞き入れ給え!」

 毛穴から熱い何かが侵入してくるような感覚。皮膚ひふの下にみ入り、腕が、脚が、内臓が、目が、耳が──あらゆる感覚が煮えたぎる。

 やっと放してくれたとき、僕はテーブルにしてピクピクしていた。

「…これでよし。ワシのオーラばあらんかぎりブチ込んだ。けん、しばらく安静にしとけ。副反応ふくはんのうやらあるかもしれんけんな」

「さ、最近の老人は待つことが苦手かっちゃんね…せめてもーちょっとおだやかなやり方できんかったん?」

「それでも悪の首魁ね軟弱者なんじゃくもの。効果はおいおい現れるばってん、無闇むやみ狼狽うろたえるやらするんやなかぞ」

「効果…?」

 盆栽ぼんさい枝落えだおとしが最高にうまくいったときの表情で、老いた獅子の獣人は頷く。

「そなたに最も相応ふさわしい獣の姿として生まれ変わるだろう。そう──アニマに刻まれた運命、心象イメージ、それらの総体そうたいがな」

 ようするにこの一連の流れが組織のトップになるために必要な儀式イニシエーションというわけか。僕はまだクラクラする意識を拾い上げながら体を起こした。

 まだなんにも変化していない。平均よりちょっと高い身長で、まあごく一般的な高校生のまま。

「あー!もうこがん時間ね。いけんいけん、遅刻じゃ!」

 急にわたわた立ち上がったお爺ちゃんは、マントやズボンをその辺に脱ぎ散らかしてリビングから続く自分の和室に引っ込んだ。

「あれ?お爺も何か用事あったと?」

「こないだ買いえた、すまぁーとふぉーんが使い方よう分からんで困っとったろ?そん話ばしたら友達が教えてくれるゆうことになったんじゃ」

 ふすまの向こうからいそいそとした声。

「社交ダンスの人?」

「うんにゃ。公民館の麻雀マージャン仲間」

 僕は立ち上がる。何だよもう、お爺ちゃんの鉤爪が食い込んだこめかみもひたいもまだズキズキする。

「その、悪の組織の──」

死の夜明けアルバ・モルトや!」

「はいはい…アルバなんとかのトップばなって、僕に何かトクあると?」

 スターン!軽やかに襖が開く。先ほどの世間的には常識外れの衣装とは打って変わり、お爺ちゃんはどこに出しても恥ずかしくない渋めのスーツ姿になっていた。…胸に造花の小さなバラまで付けて。

「最近の若者は即物的そくぶつてきやけん好かんばい。ちっとは喜べ。すべての組織員の上ば立つやら浪漫ロマンやろが」

「浪漫でご飯が食べられる時代とは違うんだよ。あ、お爺ネクタイ曲がってる」

 僕は溜息ためいきをついて立ち上がり、学校の制服で覚えたやり方でネクタイを整えてあげた。

「誰かがやらんばならん大事な役割や。お前はワシにとって生意気じゃが可愛いやあらしか孫。そいけんあたえてやったとに…」

「それは信じてます。…できた。うん、男前おとこまえ!マフィア映画の偉い人んごとなったよ」

 お爺ちゃんは姿見すがたみななめになったり正面向きになったりしてセルフチェック。ニタリと悪者らしいキメ顔を作ったりした後で、僕が頭を下げて両手を揃えて出している様子に

「うむ、ご苦労」

 と財布から札を出して渡してくれた。

「ありがと!お爺♬」

「くれぐれも南子さんには内緒じゃぞ。あ、跡目あとめ相続やのうて小遣いこっちの方をな。それとオーラ移譲いじょうカンづいて万一まんいちおかしかやつが…」

ーかってるって。ガールフレンドさん待たせてるんでしょ。行ってらっしゃい」

「ほんなごてくちばかり達者たっしゃになりよる…ま、おいおい説明すっけん」

 赤くなってうなりながら、お爺ちゃんはドスドスと床を鳴らして出かけていった。僕は壁掛かべかけの時計で時間を確かめ、さて幸せな二度寝に突入する前にのどかわきをうるおそうと冷蔵庫へ。

 我が家ではコーラやポカリは置いていない。清涼飲料水せいりょういんりょうすいは糖分とかカフェインが多いからとママが嫌っているせいだ。僕自身もどちらかというと紅茶とか緑茶を手製てせいで飲むのが好き。

 チルドに並んでいるのはそれぞれ銘柄ブランドの違う、ちょっとお高い牛乳ボトル。その中でも一番高級な『阿蘇あそのご褒美ほうび手搾てしぼり一番』の紙パックを選んだ。

 コックをひねり、まろやかで濃厚な味わいを楽しみながらあれやこれや考える。欲しかったイヤホンにはまだ遠いな、でも全部貯金するのももったいないし。

 丁度ちょうどいましがた飲んだ牛乳の量を眺めて決定する。

「三分の一は貯金、あとは友達との遊びとゲーム!」

 お腹も少し空いてきた。僕は戸棚とだなからポテチを引っ張り出し、二度寝の代わりに自室でゲームをすることにした。共闘きょうとうしてるFPSゲームのチームが成績不振せいせきふしんなのだ。テスト終わったからそろそろ本腰入れるか…

 

 次の日。カレンダー通りの月曜日。

 妙に鼻がむず痒い。ベッドの上で大きなくしゃみをして夢から覚めた。妙にリアルな怖い夢だった…ような、気がする。

 ううう、暑い。冷房壊れた?

 体を起こした。毛布の感触がやけに強い…あれ、眠ってる間にパジャマ脱いじゃった?

 手で探った。ベッドの中に千切れたボロ布がある。

 いや、違う。これは残骸ざんがい

 僕が中学に入ってから愛用してる、まだサイズ的に充分着られる象さんぐるみパジャマが、見るも無惨むざんなズタズタのボロぬのしていた。

 のどから変な声が出た。感情的に変な、ではなくて、物理的に変なのだ。

「えっ?」

 と

「も゛っ?」

 の中間地点、みたいな。

 いやな予感と共にベッドから降りた。足先も、くるぶしから下が大きく硬い塊になっている。

 や、これ。

 ヒヅメだよ。

 姿見の前に立つ。

「ウソやん…」

 そこに映っていたのは、白地に黒の斑点ブチが──いや、黒字に白の地図模様が──ええいどっちでもよか!変わらんよ!

 とにかく、丸々としたホルスタイン牛の頭を持ったたくましい全裸ぜんらの怪人が立っていた。

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