第十四話 短い永遠の様に ②

 あれから、折に触れて思い出す。

 横隔膜から胸骨の辺りにかけて感じ取った、椎本の涙の熱を、思い出す。

 彼女の見せる弱さは、私を縛り付ける鎖のような物で。その熱は、その鎖の堅固さを私に再確認させる役目を負っていたのかもしれない。

 鎖を散ることなく丁寧に解くことが出来てしまうなら、私の心は腐り落ちていくに違いない。繋がれているという事実のみが、私を酷く幸福にさせている。

 椎本の少し華奢な身体は、多分心の形だ。

 美しく綺麗なのに、触れてしまうとすぐに壊れてしまいそうな。

 多分人類はそういう綺麗で壊れやすい物を古来より好んできたのだろう。だからこそ、背反する永遠すら求め続けてきたのだ。

 ……主語を大きくした所で、私の悩みが解決する訳でもない。

 椎本の全てを支えたいという思いと、椎本の愛を——本人曰く存在しないという愛を——注がれたいという想いが錯綜している。

 いつかと私は言った。彼女もまた、いつかと言った。

 そんな曖昧な言葉だけが、今はただ救いであり、呪いでもあるような。




 友人を頼ること。

 それは私にとっては、あまり思いつかない考え方ではあった筈なのに。

 何故だろうか。それを訊ねられると、少し困ってしまう。心当たりはある過ぎるくらいだが、決定的な理由は思いつかないのだ。

 しかし、一人でぐるぐる悩んでいても埒があかない。

 そういう訳で、柄にも無く私は小塚と矢嶋を招集した。今日は休日である。

 矢嶋と小塚は数秒の差も無く、二人とも二つ返事で了承のメッセージを返してきた。

 矢嶋と小塚はどうやら二人で映画館に行っていたらしい。そういえば一昨日辺りに誘われた気がする。アニメ映画は興味ないからパスしたけど。


 休日を怠惰に過ごしたいという本能に鞭打って、私は二人に合流するため駅前に来ていた。ロータリー付近の駐輪場に自転車を止めていると、背後から懐かしい香りが通り過ぎる。何となしに振り返ると、白か銀か、変わった髪色をした少女が通り過ぎっていった。金木犀の匂いをする香水でもつけているのだろう。ふわりと、その匂いが鼻腔をくすぐる。

 背丈の低い小柄な少女だった。

 不意に少女は振り返った。私の視線を感じてしまったのだろうか。

 不思議とその妙な髪色に関して、変だとは思わなかった。欧米の人間が金髪であることを変に思わない様に、彼女の髪色はその顔立ちと合わせると自然に思えるのだ。

 顔が日本人離れしているという訳ではない。だというのに、それが自然に思える感覚こそ不自然な気がしてならなかった。

 どこか、椎本に似ている気がした。

 そんなことを思っていると、少女は口角を上げた。なんというか、挑発的な微笑みのような。

 レイヤーカットの白銀の髪が、ふわりと揺れる。

「こんにちは、お姉さん」

「……え。あ、うん。こんにちは」

 突然の挨拶に私は吃りながら答えると、満足そうに頷いた。

「思っていたよりも、素直なのね。もう少し、懐疑主義的な人間だと思っていたわ。猜疑心の塊みたいな、他人を信用していないような」

 私はなんと答えるべきなのか分からず、彼女を見つめるばかりだ。

「でも、本当に私は運がないみたい。今日は普通に友達と遊ぶだけだから。お姉さん、また今度お会いしましょうね」

 少女は手をひらひらさせる。その仕草は、幼さの残るもので、思わず私も手を小さく振ってみる。思考が追いつかないのは、言葉の意味を理解しようとしていたからだ。

「……ええと、よく、分からないけど。うん、じゃあ、また」

 相手の一方的な会話に、私はずっと頭の上に疑問符を浮かべっぱなしだった。何を言っているのかをよく理解できなかったのである。

 だが、それを単なる彼女の悪戯だとかそういう類のものとは思えなかった。

 そういう真実味のような何かが、彼女口ぶりには見て取れたのだ。少なくとも、彼女は私を何者なのか知っている。決して人違いなどではない。

 だからこそ私はすくんでいた。思い当たる節を、記憶の底を、全てを思い出そうとしていた。だが、それは無駄に終わった。



「待たせたね江月」

 去っていく少女を茫然と見ていると、矢嶋の声が聞こえた。振り向くと塚本と矢嶋が両手に買い物袋を持ってこっちに向かってきていた。

「あの子知り合い?」

 左右に揺れる白い髪の少女と話しているところを見ていたのか、矢嶋はそんなことを訊くが首を横に振る。

「そんなことよりさ、そんなに何買ったの?」

「これ全部矢嶋の買ったグッズだよ。映画館のグッズコーナーにある物ほぼ全部買いやがった」

「私はオタ活のためにバイトしてるからね。こういう時に金使わないでいつ使うのさ」

 紙袋の中を覗き見ると、確かに以前矢嶋が好きだと言っていたアニメのキャラクターグッズが詰め込まれていた。


「で、どうしたんだ?急に相談なんて。ま、どうせ椎本のことだろうけどさ」

 ファミレスに移動した私たちだったが、特に空腹という訳ではないのでドリンクバーとフライドポテトだけを注文することにした。三人でドリンクバーから各々飲み物を持ってきてから、席に着くなり塚本は言う。

「おいおい、甘酸っぱい恋の話かよ。たった今オタ活してきた私に色恋の相談するなんて血も涙もないのかい」

 矢嶋には一応江月との関係を話していた。矢嶋にはあまりそういうことに対する偏見は無さそうだったし、校内だといつも三人でいるのに、一人だけ除け者というのも憚られたからだ。

 矢嶋は冗談めかしてそんなことを言うが、実を言うと矢嶋が一番相談相手としては頼りになりそうだと思っていた。

 塚本からそういう恋バナというものを聞いたことがない。同じく矢嶋からも聞いたことはないが、彼女はオタクだと名乗るだけあって、アニメや漫画だけではなく、多くの映画やドラマにも精通している。何かしら助言の一つももらえるのではないだろうか。

「椎本が私のことを意識してないような気がするんだよね。どうしたら意識してもらえると思う?」

 我ながら突拍子のない、大雑把な問い掛けだとは思う。とはいえ、これが核心であり、全ての問題の根幹のような気もするのだ。

 塚本は難しい顔をしている。まぁ、私と椎本のバックボーンをある程度知っている分、なかなかに厳しい問いかけなのかもしれない。

 一方で矢嶋は、そんな塚本の表情を笑いながら眺めてから、テーブルの上に肘を置いた。

「そりゃあ、そうだよ。だって友達だと思ってるんだからさ、どこまでいっても向こうは友達だと思うよ。例えばさ、友達同士とはしないことをするとかは?」

「キスは、したよ」

「で?その時はどんな反応だった?」

「うーん……何というか、普通だった。別に驚くこともなかったし、拒否もしなかったよ」

 そういうと、塚本は呆れたように笑う。多分、椎本を知るだけに、何となくそういう光景が浮かんだのだろう。

「行動でダメなら言葉だね。ちゃんと口で言う方がいいかも」

「でも告白はしたよ?」

「そうじゃなくてさ、本当に貴女のことが好きですっていうのを言葉で言うんだよ。って言っても分かりにくいね。デートだって宣言してからデートするとか」

 矢嶋の助言に、塚本は首を捻る。私も同じ気持ちだ。なんというか、キスでダメだったのに、デートで意識なんてしてもらえるのだろうか。

「でもキスよりデートの方が意識しちゃうタイプもいると思うよ。デートの方が時間もかかるし、その分想いも伝わんじゃないかな」

 そういうものなのだろうか。

 私は半信半疑になりながらも、矢嶋のアドバイスを信じてみることにした。


 人を好きなるということは、辛いものだと思っていた。

 でも、意外なもので。存外に、悩むことすらもどこかで楽しんでいる自分がいる気がする。

 もし、この片想いが終わるなら。それがどのような形での終わりを迎えたとしても。

 この永遠にも思える永く焦れる日々すらも、短かったと振り返る時が来るのだろうか。

 塚本は笑う。矢嶋も笑っている。

 その時は、こんな悩みも三人の笑い話になって、いつか思い出の一つになってしまうのだろうな。

 少し寂しい話だが、そういうことが出来てしまうのが人間という生き物なのだろう。

 だけど今の私は、永遠などない事実だけが安寧を与えてくれていることに気づいていなかった。

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